第122話

「んぅ……」

「…… 左眼は失明、何らかの衝撃を受けた右眼もかすかに見えるだけ、酷いです」


 王城の対面にある行政庁本館の医務室、こてんと小首などかしげた人狼の少女ウルリカを憐れみ、暴行の後遺症を調べていた妙齢の女医がなげく。


 されども昨日今日と甘やかして、とろとろにけるまで容赦なくでた甲斐があり、表情に乏しいながらも、露骨な警戒心やおびえは鳴りを潜めているように見えた。


(意味もなく、避けられるのはしゃくさわるからな)


 出会って早々に喉奥へ手を突っ込んで吐かせたり、人体錬成に必要な端肉はにくを切り取ったりと第一印象がよろしくなかったのか、当初はリィナやフィアの影より恨めしげなジト目を向けられていたが、ねんごろに手懐てなづけて調教済みである。


 怪我の診察を終えた人狼娘は楚々と歩み寄り、てらいなく両腕を広げた。


「ご主人、っこ」

「くっ、“分からせ” 過ぎたか」


 微笑んだ女医の生暖かい視線にさらされつつも、身体機能が弱って本調子とは言えないウルリカのそばに屈み、右腕に腰掛けさせて肩や背中の服布をつかませる。


 所謂いわゆる、片腕抱きというやつで立ち上がり、近場の椅子に座り直して、意見付きの診断書がしたためられるのを二人で眺めた。


「一応、重度の虐待が疑われると書いておきましたけど… この娘、自由民じゃないんですよね? 最低な下衆野郎から所有権を取れるように頑張ってください」


 袖振そでふり合うも他生の縁ということで人狼の少女が幸せになれるよう、言葉添えする女医にうなずいて麻紙の書類を受け取り、登記及び編纂へんさんの職務にたずさわる部署へ向かう。


 実は最初に訪れたのがそこで、保護対象である本人の自己申告に従い、奴隷簿の記載を調べて欲しいと頼んでいた。


 只人ただびとが大半を占めるグラシア王国に於いて、奴隷は亜人種しか認められておらず、取り扱う商人はもとより登録数も少ないため、したる時間はらないはず。


 そう思って担当の官吏かんりに話し掛けるも、微妙な困り顔を向けられてしまった。


「王都には人とモノが集中します、お時間をもらわないと無理ですよ」


「日をあらためた方が?」

「えぇ、二日ほど必要です、調整官殿」


 宰相付きの貴方だから骨を折るのだと、やんわりさとしてくる相手に謝意を述べ、人狼娘を抱えたまま賑わう中央区の表通りへ出る。


 後日の結論に言及すると… 出生国で発行された奴隷証明や、権利書など買い取った多国間を巡る行商がウルリカの卸元おろしもとであり、王都の商会が仕入れて登記上の所有者に売り払ったという経緯が判明した。


 例え、適正な購入手続きがされていようと、心身をそこなう加害行為は禁則事項に抵触するので、官憲による当該人物の聴取も行われたが……

 

 案のじょうと言うべきか、相手は違法な代理行為に手を染めた一般人でしかなく、彼女を嬲ることで愉悦に浸っていた亜人排斥主義者、若しくは単なる加虐嗜好の人物には辿り着けなかった。



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奴隷って、色んな作品に出てきますけど、そのバックボーンたる制度が書かれることは少ないですよね。イタリアの歴史的記録物の中に奴隷の登記簿があったり、実際は法的な整備がしっかりと成されていて、ある種の権利も認められていたようです。

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