「世（よ）はすべてことも無し、順風満帆（じゅんぷうまんぱん）だよね」

「… そう思っていた時期が俺にもありました」

　屋敷の庭端へ座り込んで木に背中を預けながら溜息すると、胡坐（あぐら）の形で組んだ人の脚を枕替わりにして、だらしなく芝生に寝そべっていたリィナが身動（みじろ）ぎ、温（あたた）かな左手を頬に添えてくる。

「ん… なんかあったの、ダーリン？」

「些末（さまつ）な問題に加えて、結果待ちの大案件が一つ」

　柔らかな稜線（りょうせん）の下、お腹の上に先ほどまで弄（いじ）っていた開錠依頼品の小箱など載せている彼女を眺め、ホムンクルスの近縁（きんえん）となってから外見年齢が殆（ほとん）ど変わらない、少女のようなままの姿に疑念を抱く。

　迷宮遺跡より帰還後、地母神派に属する教区長の辞令を受けて領主嫡男の専属司祭に叙階（じょかい）されたフィアや、自身の才能に見切りを付けて当家のメイドになったクレアと比べたら、身体的な成熟の遅さは歴然だ。

「悪影響がなけ… ッ、こら、頬を摘（つま）むな」

「人の顔見て露骨に眉を顰（しか）めるとか、天罰覿面（てきめん）」

「くっ、いつも無抵抗だと思うなよ！」

「うきゃあ！？ち、ちょっと！！」

　こちらの心配を他所（よそ）にして、やや不機嫌そうな態度で非礼を指摘してきた斥候の娘とじゃれ合うこと暫（しば）し、釦（ボタン）の外れたブラウスから覗（のぞ）く健康的な乳房に視線が吸い寄せられてしまう。

　にやりと悪戯っぽく微笑んだ彼女は衣服の合わせ目に指先を掛け、僅（わず）かに押し下げて白いレース付の下着（ブラ）など見せつけてきたので、曇りのない春先の空を見上げた。

「ふふっ、照れてるの可愛い、何度も閨（ねや）で揉みしだいてるのにね」

「時と場合によるだろ、それは……」

　度重（たびかさ）なる攻勢に押し負けて受け入れた手前（てまえ）、強く窘（たしな）めるのも憚（はばか）られてしまうが、所かまわずに誘惑するのは止めて欲しい。

　その立場上、領主邸宅の別館に部屋を与えられた幼馴染二人の親友かつ、懇意（こんい）の冒険者として敷地内への出入りは不問にされているものの、夫人(母)の心象が若干良くないという自覚はあるのだろうか？

「他言は無用だぞ？」

「心得ております、ジェオ様」

　縁側から静々（しずしず）と歩み寄ってきた栗毛のメイドが頷（うなず）き、我関せずといったプロフェッショナルな態度で父の呼出（よびだ）しを伝えてくる。

　されども股座（またぐら）に寝転がるリィナの後頭部が乗っているため、膝上の猫をどかせないような感じで動くに動けない。あと、膝枕の構図が男女で逆転してないか？

　思わず微妙な表情を浮かべれば、クレアの教育係も務（つと）めた栗毛のメイドが俺の隣へ座り込み、徐（おもむろ）に猫娘の頭を掴（つか）んで自身の太腿へ乗せ換えた。

「ここは私が受け持ちますね、百合の作法も心得ていますので♪」

「むぅ… それは要（い）らないんだけど」

　琥珀色の瞳を細めた三白眼となり、白藤色の髪を撫でつけられている斥候の娘に苦笑してから、時折（ときおり）に涼しい風が吹く木陰の芝生より腰を上げる。

　息抜きは終わりと思考を切り替え、想定され得（う）る幾つかの事態を脳裏に過（よぎ）らせつつ、屋敷の三階にあるウェルゼリア領主の執務室へ向かった。

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