第58話

 以上が王立学院に通う貴族子弟を狙った誘拐未遂事件の顛末てんまつであり、もう四年ほど前の話となっている。あと少しだけ補足しておくと……


 当時、探索道沿いの比較的安全な場所で交代制の見張りを立て、外套に包まれながら夜露などしのいでいた俺達は朝を待たず、ランタンを掲げる捜索隊に出くわした。


 師弟共々に姿を伏せたまま鉄火場へ介入したことから、素知らぬ振りで子細しさいえば、命からがら逃げ帰った教職の女魔導士エマが常備兵の詰所つめしょに駆け込み、浸食領域の森で散り散りになった教え子達の保護を願い出たらしい。


 兵卒らの中には自力で都市門へ辿り着いた公子も混ざっており、土埃や泥にまみれるのをいとうことなく草地に分け入って、級友の名前を叫んでいた。


 “根は悪い奴じゃないのかもな” と、雑貨屋の軒先のきさきで揉めていた時の悪印象を緩和させ、良い方向に修正したのも言及しておこう。


 ただ、行方知れずになった学院初等科の生徒七名に対して、魔物がまう森より生還できたのは三名のみ。


 下手に動きまわらず隠れて救助を待った主従の令嬢や、半年間に及ぶ過酷な環境での生存競争をくぐり抜けた何処どこぞの令息だ。


 他四名のうち、喰い散らかされた遺体から身元を確認できたのが一名、残りはすべて魔物の胃袋に納められたか、今も森の何処かでしかばねさらしているのだろう。


 定例の実地修練で星拝の祭壇へおもむいた班は、生徒の半分が帰らぬ人となった。


(当然、子息を失った貴族達が怒り狂い、惨事の切っ掛けである誘拐犯の生き残りを血眼で探したものの、かんばしい成果は出ていない)


 狼藉者に捕らわれた生徒らを救うべく、俺が放った領域爆破の魔法で致命傷や深手を負い、取り残された襲撃者は全員が “意志ある粘液ショゴス” の餌食となっている。


 余さず綺麗に物証ごと溶解されているあたり、用意は周到だったと言えよう。


 そんな状況で確たる証拠がないにもかかわらず、エマ女史が “国教会に叛意はんいを持つ不敬な司祭達が背後にいる” と吹聴したことから、無秩序な教皇派への弾圧が起きた。


 公的支援の断絶から始まり、グラシア国教会に所属しない聖職者の一部追放、王権神授説を受け入れて従うことの強要等、数え切れない遺恨が生まれていたりする。


 表面上は平静に見えても、水面下で激しく蹴り合っており、護民救済を根本理念とする地母神派の侍祭フィアなげいていたほどだ。 


 ちなみに聖母を女神と崇める傍流ぼうりゅうの者達は貧民層の支援ができれば十分なのか、あらがうことなく国教会への恭順を表明しており、寡勢かぜいなのもあって不毛な権力闘争に巻き込まれていない。


 過剰な寄附金を求めず、安上がりな同派の教会を自領では祖父の代から呼び込んでいるため、港湾都市ハザルの近隣は中央と比べて平和なものである。


 それを良いことに郊外へ大掛かりな製紙工場など建設、ここ数年で自領は言うまでもなく王都を中心とした各地に麻紙を売りさばき、独占市場の強みを振りかざして額面付き手形(紙幣)の普及も少々強引に進めた。


(ウェルゼリア領うちや協賛する商会との取引でしか扱えないが……)


 通貨に使う金銀の量的制限が市場規模をおさえる理屈について、商業系の組合ギルドが理解を示したこともあり、兌換だかん紙幣の発行量は順調に伸びている。


 工業系の一部、具体的に言うと羊皮紙職人の組合ギルドから、麻紙に顧客を奪われた不満が聞こえてくるも、連中だけでは当家の障害となりえない。


 とりわけ困った事態が起きることもなく、巨樹のごとき “黒い仔山羊ジュブ=ニグラス” の噂にかれた我が師サイアスの離脱を除けば、成人と見做みなされて冒険者登録も可能な15歳を過ぎるまで、穏やかな時間が続いていた。

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