第99話
食べ物に好き嫌いがあるのはよろしくない。雑食であるヒトは、多様な食物を摂取することを前提に生体が成り立っている。肉は嫌いだ、野菜は食べない、白いものは好かん。そんな偏った食生活では健康を維持できない。そればかりか、外食では付け合わせやセットの料理を残すことになり、実に勿体ない。
とはいえ、全ての食べ物を満遍なく愛するのもまた難しい。だって、人間だもの。
そう、私は人間であるので、今著しい苦悶の表情を浮かべている。私は食べ物の好き嫌いは少ない方だが、どうしても許容できないものがある。それがパクチーだ。口に入れた途端にカメムシを捻り潰したような悪臭が広がる、あの悪魔の草。なぜ世の人があんなものを好き好んで食べるのか、全く理解できない。カメムシが好きなのか?私はカメムシも嫌いだ。
「めにょ…どうしてパクチーを買った…。」
私は我が家のシェフ、身の丈四尺の飼いネコであるメニョに訴えた。その一方で、なるべく噛まずに水で口の物を奥に流し込む。パクチーが入っていたのは、グリーンサラダである。他の緑色に紛れ、あたかもイタリアンパセリのような顔をしてでパクチーが潜んでいる。忍者か。すっかり殺られたよ。
「ふあーむ」
「間の抜けた声を発している場合じゃない。これだ、これ。」
私はサラダからパクチーを引っ張り出して、メニョの鼻先に突き付けた。メニョはふんふんと鼻を鳴らしてパクチーの匂いを嗅ぐ。が、特に何も感じないらしい。まあ、葉っぱの丸ごとのままではインパクトは少ないかもしれない。
「ちょっと噛んでみなさい。すごいから。」
「ふあーむ」
全然やる気のない様子。止むを得まい。私はメニョをむんずと掴んで、口元に無理やりパクチーをねじ込んだ。なお、私はサラダに何も掛けずに食べるので、メニョに与えても問題は無い。迷惑千万と言いたげにメニョしっぽが私を打つが、無視。口に入れてしまえば、反射的に噛んでしまう。メニョはあむあむと口の中の葉っぱを噛みしめ、どうやら飲み込んだようだ。
「どうだ、臭いだろう。」
「にゃー」
「うわ、メニョが臭い!」
メニョに面と向かっていた私は、メニョの口内から放たれるパクチービームをまともに浴びて顔をしかめた。なんてこった。庭で見つけたカメムシでひとしきり遊んだ後のメニョのようではないか。
ん、待て。そういや、メニョはカメムシで遊んでいても平気だったな。ということは、パクチーも特に悪臭だとは思わないのか。メニョを眺めると、無理やり草を食べさせられて不快ではあるものの、吐き出したり水を飲んだり、匂いを嫌がるような素振りはない。
「えー。メニョ、パクチー平気なのか。」
「んー」
「ほんなら、全部やる。ネコ草の代わり。」
私はサラダからパクチーを全て摘まみだした。幸いにして、大した量は入っていない。ぴろりぴろりと、頼りない感じの葉っぱが4、5本である。この4、5本のせいで、私のサラダはゴミ同然となるのだ。厄介極まりない毒草だ。
「ほれ。」
私はパクチーを豆皿に載せて、メニョの食事台に置いた。が、草を与えられて喜んで食べる肉食獣はいない。ネコであるメニョもまた、見向きもしない。まあ、食べても食べなくてもいいや。メニョが残したら、庭に埋めて緑肥としよう。
「しかし、メニョ、何でパクチーなんか買ったの。今までそういう冒険、しなかったじゃん。」
「ぬー」
「え、買ってないの?でもパクチーだったぞ。間違いない、あの悪臭。」
「んー」
私がくどくどと文句を言うので、座布団で丸くなろうとしていたメニョはのそりと立ち上がった。ぽてぽてと足音を立てて台所に行き、やがて何かを咥えて戻ってくる。見ると、グリーンサラダと書かれたプラ袋である。半額シールも付いている。メニョが生野菜を出すなんて珍しいと思ったら、出来合いのサラダを買ってきていたらしい。半額を買うあたりがメニョの良くできたところだ。我が家の経済状況を重々承知している。
それはともかく、これにパクチーが混入していたのだろうか。
私は袋の表を見たり裏を見たり、あれこれと確認した。確かに、原材料にはパクチーの記載があるが、こういう癖のある野菜の場合が入っているならもう少し分かりやすいところに注意喚起の表示があるのではなかろうか。
「あっ。」
私は気付いた。半額シールをはがしたその下に、パクチー入りという吹き出しが印刷してある。ナイスアイデアでしょ、とでも言いたげな浮かれた吹き出しである。冗談じゃない。サラダにカメムシ草を混入させて得意げな面をするとは、どういう思考回路だ。
「メニョ、ほらこれ見てくれ。パクチーだ。」
「なふ」
「私はパクチーは大嫌いなんだ。メニョにとっての柑橘のキツイ匂いと同じだ。頼むから、今後は気を付けておくれよ。」
「にゃい」
私の例えが身に染みたのか、メニョはすぐに了承してくれた。メニョはネコであるので、柑橘の匂いがあまり好きではない。私がそばでみかんを剥いて食べるくらいなら平気だが、メニョが自分でオレンジなどを切って出してくれることは無い。
ふう。やれやれ。これでひとまず安泰か。食後、私は庭にパクチーを埋めながら安堵のため息をついた。そういえば、私は好き嫌いが無いので、メニョに使用禁止の食材を言い渡すのは初めてだ。まったく、メニョが物分かりの良いネコで良かった。
と安心したのも束の間。その数日後、またも半額シールによってパクチー吹き出しを隠された生春巻きが、私に阿鼻叫喚の地獄をもたらした。
ぐぅ、あのスーパー、何の悪意があってこんな真似を。パクチーの表示があると売れ残ると分かっているのではないか。そんなら、初めから入れなければよかろうに。こちとらこんな苦行で悟りを得る予定ではないのだぞ。うう。太平楽にいびきをかいて寝ているメニョを脇に、私は吐き気を堪えながら夕食を食べ終えたのであった。
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