第94話

 梅は咲いたか、桜はまだかいな。薫り高い蝋梅が盛りを過ぎ、代わって梅がそこかしこで満開である。桜はまだ先だが、もう春だなあ。


 こうなると、私はむずむずしてくる。花粉症ではない。桜餅が食べたいのだ。まだクソ寒い時期に襟ぐりの開いたパステルカラーの春物を売ったり、年末に雑誌の1月号が出たり、とかく季節は先取りされる。和菓子も同様で、桜が満開の頃に桜餅はいない。ちょうど、梅の時期が桜餅の最盛期である。納得がいかん。


 という私の個人的な義憤をよそに、我が行きつけの和菓子屋にも桜餅の札が張られている。会社帰りの時間だと大抵売り切れているのだが、今日はまだ残っているではないか。やったね。私はほくほくと入店した。


 中年サラリーマンともあろうものが、店に入って桜餅1個だけ買うのも気が引ける。他にもうちょっと買い足そうかな。とはいえ、時間が遅いので、選ぶのに迷うほど商品が残っていない。結局、三色団子と草餅を追加して、私は家路についた。


「ただいまー。」

「にゃーふ」


 家に帰ると、玄関に身の丈四尺の飼いネコ、メニョが控えていた。ぬるりぬるりと私に毛と匂いを擦り付け、所有権を主張する。うむうむ、好きにせい。私は私で、メニョの毛皮に両手を突っ込んでモフモフ、むぉっふもふ。うひひ、モフやまらねえぜ。


「うな」


 私の執拗なもふりを避けたメニョが、床に置かれた袋に気付いた。


「あ、それは桜餅だぞ。」

「にゃーい」


メニョが喜んで袋に鼻を突っ込む。メニョは和菓子、というか、あんこが大好きである。ただし、餅は好まない。ネコの歯と餅の相性はよろしくないのだ。まあ、見るからに、ネコの尖った歯は餅を咀嚼するようにできてはいない感じがする。


「メニョ、餅食わんだろ。これは私のだよーん。」

「ぬー」


 メニョは諦め悪く袋をごそごそやっている。桜餅以外の可能性に賭けているのかもしれない。だが、本日は生憎と、餅三昧である。何しろ、それしか残っていなかったし、私はメニョと違ってお餅大好き人間だ。もち、もち、もち。幸せ三重奏ではないか。とにかく、メニョに食べられる和菓子は無い。


「ほら、餅ばっかだろ。メニョはまた今度な。」

「ふぬーう」

「文句言ったって、今日は餅以外残ってなかったんだって。上用まんじゅうがあれば買ってきたけどさ。」


 上用まんじゅうや温泉まんじゅうのような、餅でない皮にくるまれたあんこであれば、メニョは喜んで丸ごと食べる。しかし、無い袖は振れぬ。ちなみに、色鮮やかなねりきりも食べるのかもしれないが、あれは私が好きでないので買わないから、試したことが無い。


 私は和菓子のパックを机に置いて、眺めながら夕食を頂いた。桜餅を見ながら一献、これ即ち、桜で一杯てなもんである。酒飲みは、葉っぱ1枚花びら1枚でもその気になれるのだ。特に、桜の葉の塩漬けは香りが良いので、一層風情が出る。あ、桜の葉の塩漬けだけ買って、刻んで何かに和えておつまみにするのも好いかもしれないな。今度試そう。


 かくの如く私が良い心持になっている脇では、メニョがご不満そうにまんじゅうとなっている。ベッドでふて寝するとか、部屋の隅でそっぽを向くとか、そういった分かりやすいいじけ方ではない。食卓の私の椅子の根元で、じっとりネットリ、存在感をアピールし続けているのだ。私が食事を終え、食器を洗っている間も足元にいる。普通のサイズのネコならネコ踏んじゃったになるところであろうが、こちとら身の丈四尺である。私が盛大に躓いて、コケる。メニョは平気の平左で、倒れようとする私から遠ざかる。何て冷たい奴だ。クッション代わりになってくれたりはしないのか。


 ああ、痛い。私はぶつけた膝をさすりつつ、よろよろとお茶を淹れる。この程度の負傷で、折角の桜餅を諦めることはできぬ。私は緑茶をたっぷり準備して、再び食卓に舞い戻った。さあさあ、お楽しみの時間ですよ。


「にゃー」


 ここぞとばかりに、メニョがぬうっと伸びてきた。立ち上がって私の膝に手をかけ、前足を伸ばし、私の手にある桜餅を奪おうとする。


「おいおい、メニョは餅食べないだろ。やめなさい。」

「なあー」

「えー。食べるの?」

「にゃーふ」


 ホントかなあ。私は疑いの眼差しを向けたが、メニョはキラキラと輝く目で真直ぐに私を見つめている。しょうがない。少し、分け与えるか。とはいえ、葉っぱは塩気があるのでのけて、餅とあんこをちぎって豆皿に入れてやる。


「ほれ。」


 私が豆皿をメニョの食事台に置くと、メニョは喜び勇んで顔を突っ込んだ。ふがふが鼻を鳴らし、せっせと舌を動かしている。ん?舌だけか?私は豆皿の中を覗き込んだ。


「あ、メニョ。お前、あんこだけしゃぶって食ったな。」

「ねろん」

「お餅も食べなさい。こら。どこへ行く。」


 メニョは豆皿にべったりと道明寺を残して、ぽてぽて食卓に近付いていく。そして、にゅうと伸びあがって、食卓の上の和菓子を凝視。


「こらこら。そんな食べ方するやつには、もうやらんぞ。」


私は一口残していた桜餅を口に放り込んだ。むっしゃむしゃ。餅があるから旨いのに。ずずっと緑茶を啜っても、何となく消化不良である。残されるくらいなら、自分で食べたかったなあ。さりとて、メニョがねろねろしゃぶった残りを食べるのは衛生的に問題がある。


 こうなったら、団子も食べちゃおうかな。ここの三色団子は、黒糖、白、ヨモギという渋い布陣で、私は大いに気に入っている。私は目で物を食べないので、よくあるピンク色の団子は要しない。あれは色が付いているだけで、味は白と同じでつまらん。


「ぬー」


 私が団子の串を手にした途端、横から物言いがついた。


「何だよ。団子にあんこは入ってないぞ。」

「うあー」


メニョが前足を和菓子パックに向けた。そこには、明日食べようと思っている草餅が据え置かれている。


「草餅のあんこが狙いか。」

「にゃ」

「にゃ、じゃなーい。正直に言えば許されると思ったら、大間違いだ。」


あんこだけしゃぶって、餅を残すような勿体ないネコにやる和菓子は無いのである。私は立ち上がり、草餅をラップでぴっちり包んで、戸棚に片付けた。しかる後に、ゆっくりと団子を味わう。うーむ、うまい。餅を食わないだなんて、ネコは気の毒な生き物だ。


 ふむ、さすがに満腹である。私は腹をさすった。さて、では、急須と湯飲みを片付けましょうか。


 しこたま餅を食べて幸せいっぱいの私は、不審者を警戒するようなささくれた心持ちではない。それなのに、立ち上がった私の脚元には、でかい毛むくじゃらまんじゅうが鎮座していた。よって、私は再び、メニョに毛躓いて床に転がったのであった。ぐふっ。

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