第34話
それは、私が丸茹でのナスを丸かじりしている最中であった。
私は唐突に天啓に打たれた。ハンバーグが、食べたい。
だが、今、私の目の前にハンバーグはない。ある物と言えば、茹でられたナス、トマト、セロリ、ブロッコリー、レタス、パセリ、それに魚肉ソーセージが無造作に山を成す皿だけだ。あと、ハイボール缶とアーモンドフィッシュとチーズもあるけど、それは別枠。
「ハンバーグ食べたいなあ…デミグラスソースで煮込んだやつ。」
なお、そこにはとろけるチーズとか温泉卵を乗っけても良い。
私は我が家のお抱えシェフにちらりと目を向けた。毛むくじゃらのしっぽを不用心に伸ばしたまま、どんぶりの中に顔を突っ込む巨大ネコがいる。何を隠そう身の丈四尺、メニョである。
「んあ」
眺めていたら、メニョが顔を上げた。ぼろぼろと、口の中のカリカリがこぼれる。もちろん、こぼした分はすぐに床から口の中に回収されるので、何の問題もない。
メニョの作るごはんは、先ほど述べたとおり、栄養バランスに優れた万全なメニューだ。しかも、美味しい。何といっても、この丸茹でのナス。ヘタが付いたままで、ビジュアル面でも映える。かつてメニョがこの世に生誕する前、私はナスを乱切りにしてチンして食べていたが、それより丸ごと茹でる方が美味い。さすがメニョ、料理の達人、いや、達猫。
話をナスからひき肉に戻そう。メニョごはんに文句があるわけではないが、私はハンバーグが食べたいのだ。
メニョはネコであるがゆえに、ネギ族を扱えない。ハンバーグには玉ねぎのみじん切りが必須だ。よって、ここ数年、私はハンバーグを食べていない。ぐぬー、肉肉しいハンバーグが、食べたい!
「メニョ、明日ミンチを買っておいてよ。明日は自分で煮込みハンバーグ作るから。」
「にゃ」
「メニョはハンバーグ食えないからな。ささみ買っといても良いよ。」
「にゃーい」
メニョが快く引き受けてくれたので、私は安心してハイボールと茹で野菜の山に舞い戻った。うむ、うまうま。ギョニソは温めると柔らかくて旨いんだ。
翌朝、私は再度メニョに買い物を念押しして、仕事に出掛けた。今日は、ハンバーグ。わーい。朝からずっと頭の中はハンバーグでいっぱいだが、サラリーマンたるもの、夕飯のことを考えながら仕事をするくらいお茶の子さいさいである。
やがて定時の鐘が鳴り、私は浮かれる足取りで社を後にした。長年一人暮らしだったのだ、ハンバーグの作り方くらいは記憶している。玉ねぎを刻んで軽く炒めて、パン粉を牛乳に浸して…などと不要におさらいしつつ、私は帰宅した。
「ただいまー。」
「にゃー」
玄関の戸をからりと開ければ、そこにはメニョ。うむ、毎日出迎え、殊勝な心掛けである。よく撫でておこう。
「買い物、しておいてくれた?」
「うあ」
たぶん、イエスだろう。そうであってほしい。
私は着替える前に、台所に寄った。ミンチなら、冷蔵庫だろう。ぱかっと冷蔵庫の戸を開けた私は、そのまましばし凍り付き、そして、その場にひざを折って崩れ落ちた。
冷蔵庫に鎮座ましましていたのは、ミンチはミンチでも、イワシのミンチだったのだ。ミンチと言えば聞こえはいいが、まあ、たたきと称した方が適切であろう。
「メニョ…これは、私の欲しかったミンチではない…。」
「うぬー」
メニョが開け放しの冷蔵庫を閉めながら、文句を言う。
「もしかして、メニョが食べたいミンチを買ったのか?」
「にゃ」
「私が食べたいミンチではなく?」
「…」
メニョは黙って、そっぽを向いた。確信犯か。そう言えば、許可しておいた鶏ささみが見当たらなかった。
ぐう、朝からハンバーグのことしか考えていなかったのに、どうしてくれよう。私は悶々としながら部屋着に着替え、手を洗い、そこでようやく妥協した。魚ハンバーグにしよう。つみれ汁も美味しいが、何か、こう、違い過ぎる。
私はメニョバーグの分のイワシミンチを取り分けておき、自分の分はハンバーグらしく玉ねぎやらナツメグやらを投入した。この練りミンチを適当にジュウジュウ焼き、シソと大根おろしを乗っけて、ポン酢を掛ける。これに、昨日メニョが茹でた野菜の残りと生トマトスライスを添えれば晩ごはんのできあがりである。うむ、想定と全然違う。
「にゃーあー」
メニョが足元でぬるぬるしながら、ご飯を催促する。魚の焼ける香りで、食欲が刺激されているのだろう。私は小皿にイワシ100%メニョバーグを載せ、どんぶりにカリカリを流し込んだ。
「ほい、ご要望にお応えいたしましたぞ。」
「うなーう」
嬉しいのか、何なのかよく分からない雄たけびを上げ、メニョはメニョバーグにかぶりついた。ちょっと、熱そうだ。例によって口からこぼしながら、ぱくついている。
やれやれ。今日はデミグラスソースのこってりハンバーグで赤ワインでも、と思っていたのにな。私は冷酒をすすりつつ、あっさり和風魚バーグをもぐもぐした。これはこれで、美味しいし、メニョが喜んでいるのも良い。が、ハンバーグを求める心の空洞は満たされない。まさに別腹。私は、明日にでも自分で合い挽き肉を買ってこようと、決意したのであった。
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