第12話

 その日私は、仕事帰りに珍しくコンビニに寄った。何故ならば、むしゃくしゃしていたからである。サラリーマンたるもの、仕事をしていれば腹立たしい出来事に遭遇することもある。というか、概ね全ての仕事は至極不快にできているので、常に心を消灯してアルカイックな半眼で業務に従事することが健康のためには肝要だ。が、本日はうっかりしていた。隣の同僚が仕事でミスを連発し、愚痴と後悔とを熱心に私に囁き続けたせいで、消灯に失敗したのだ。


 私は日頃はコンビニを利用しない。必要がないからだ。お弁当は我が家の身の丈四尺の飼いネコであるメニョが作ってくれるし、お茶もメニョが水筒に詰めてくれる。そして、最寄り駅から徒歩30分という微妙な過疎地にある我が賃貸古家は、最寄りコンビニも徒歩20分。全然コンビニエントではないので、行く気がしない。


 ただ、今現在のように精神状態が荒れると、最寄り駅のそばのコンビニに立ち寄る。狭い店内に整然と並ぶ、自分がここでは決して買わない品々を眺めていると、何となく心が落ち着いてくるのである。米1キロ。三角定規。成人向け雑誌。バナナ1本。アイシャドー。うーん、どれもこれも今要らない。そこが、良い。


 店内を巡回していた私はやがて、冷蔵ケースの前にたどり着いた。ここは、絶対的に不要とは言えないものが並んでいるので、ちょっと疲れる。ほら御覧なさい。ついつい、「北海道クリームチーズ焼きプリン たっぷり焦がしカラメル」に手が伸びている。それだけではない。ついつい、それを手に持ったまま、セルフレジで処理してしまっている。あちゃー。


 まあ、いいか。私はプリンを鞄にしまって、30分の道のりを歩いて我が家に帰った。


「ただいまー。」

「にゃー」


 私が家の戸を開けると、メニョは大抵既に玄関にいる。我が古家は玄関が直接道路に面しているので、庭石を踏みしめるとか、外の門扉を開けるとか、そういった予備動作が無い。ネコは耳が良いというが、何の音によって私の帰宅の気配を察知しているのか、不思議でならない。


「今日の晩御飯、何?」

「まうー」

「うん、何だか分からん。鍋か?」


 メニョは冬になると、鍋か、シチュー/カレー/ポトフのスープ系(味付けは私に選ばせてくれる)をよく作る。夏の間は丸茹でにされた後でざるに上げられていた食材が、汁に浸かったままの状態に変化するわけだ。温かく食べられて、実に良い。


 台所を覗くと、今日はスープ系のようだった。鍋の中に、どかんどかんと不揃いLサイズに切られた皮付きのニンジン、ダイコン、ゴボウ、レンコン、椎茸が煮えている。乱切りかくあるべし、という風格だ。メニョは左右のネコ手で包丁を抱えて、なたでも振るようにして野菜を切るので、常に乱切りとなるのだ。秋田の漬物に「なた割がっこ」なる大根漬けがあるが、乱切りマイスター・メニョの妙技を見慣れた我が目にはなた感がなく、整然とし過ぎているように見えたものだ。


「えーと、たんぱく源は…豚こまか。じゃあ、豚汁にしようかな。味噌、味噌。」


 私はそう言いつつ、冷蔵庫を開けた。手に持っていたままの通勤鞄からプリンを出して冷蔵庫に入れて、代わりに味噌を取り出す。豆味噌と言えばのカクキュー銀袋と、信州みそである。味噌は二種類混ぜると旨いんだ。


「ほい、味噌。赤多めでね。」

「…」

「ん?どしたの。」


メニョが味噌の奥に目を向けているので、私は後ろを振り返った。冷蔵庫しかない。


 メニョは味噌も溶かずに、とことこ歩いて冷蔵庫を開けた。


「うにゃーい」

「あっ、そのプリンは、私のだぞ。勝手に食ったら、泣くぞ。」

「うぬー」


しっぽがぱたぱたと揺れる。メニョはプリンが好きだ。放っておくと、私の秘蔵のプリンを勝手に食う。ネコ手ではプリンの蓋をはがすことはできないだろうとタカをくくっていたら、カッターで蓋を切って開けるという生態が近年の観察で明らかになったところである。さらに言うなら、豆腐パックを開けるときも、蓋をめくれないから包丁かカッターで切っていたように思う。豆腐はともかく、プリンに関するこんな研究結果、嬉しくない。私だって、プリン食べたいもん。


 メニョはじーっとプリンを見つめている。


「後で、ひとかけやるから。」

「ぬー」


しっぽが激しく揺れる。足りないらしい。そりゃ、身体がでかいからな。仕方がない。私は譲歩を決めた。


「ぐぅ…二匙。お前、ネコだろ。ネコがプリンなんて…」

「ぬー」


ごすごすとしっぽが私を打った。確かに、私は今まさにネコに味噌を溶かせようとしている。ネコが味噌溶きなんて、ネコにプリンよりもおかしいかもしれない。


 いや、そんなことは無い。世界中どこでも、ネコなら味噌やブイヨンくらい、溶かすだろ。しっかりしろ、私。


「分かったよ。三分の一。これ以上はやれないぞ。味噌くらい、私にだって溶けるんだからな。」

「にゃ」


メニョは軽く頷いて、冷蔵庫を閉めた。私が持っている味噌を受け取り、鍋に向かう。どうやら、交渉は成立したらしい。


 やれやれ。私はぬくぬくした部屋着に着替え、どてらを羽織り、食卓に着いた。熱々の豚汁の鍋と、ほかほかごはんと、プリンが食卓に並んでいる。


「プリンは私の食事の後だぞ。」

「にゃーい」

「そんなに楽しみか。」

「ぷるにゃー」


 どんぶりに出してやったネコ缶とカリカリを食べる間も、メニョはちらちらとプリンに目を向ける。おかげで、ぽろぽろと口からカリカリがこぼれる。まったくもう。可愛いなあ。しょうがないなあ。ちょっと多めの三分の一にしてやろう。

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