第8話

 夏と冬の境目、あるいは、冬と夏の境目。それは、換毛期である。1年に2度訪れるので、これを二毛作と呼ぶ。


 ようやく秋らしい肌寒さがやって来ようという今、我が家に今年2度目の換毛期が訪れている。右を向いても左を向いても、タンブルウィードのような毛の塊がふわふわと転がっている。私の頭の毛ではない。我が家の飼いネコ、メニョの毛である。私の頭の毛もしっかり生え変わってみっちり育ってくれれば、洗髪の度にやたらと抜け落ちたところで心は痛まないのだが、生憎と年相応に減築の一途をたどっている。大事な頭部を守るはずの毛が失われるようにできているなんて、ヒトの身体は生物としてはまったくの不良品だ。


 さて、私の頭髪の件は横に置いておこう。まだ禿げてはいないし、そもそも、ヒトの頭にはそんなに敷地面積がない。


 それより、問題はメニョだ。


 メニョは身の丈が四尺もある。体が大きいということは、体表面積が大きいということであり、生えている毛の量が多いということだ。生えている毛が多ければ当然、抜け落ちる毛も多い。真夏や真冬でも部屋の吹き溜まりには常にふわふわネコ毛ボールがこごっているのだから、換毛期たるや家の中を歩くたびに毛がぶわっと舞う勢いである。


「メニョ、掃除してよ。製造物責任法だぞ。」


 私はメニョに要請した。メニョは日向に置いた新聞の上でネコまんじゅうになっている。背中と頭の黒い模様のところで光合成しているのだと思う。たぶん、ネコの毛の黒いところには、葉緑素みたいな色素があるのだ。光合成を始めると、メニョはなかなか動かない。日に当たって模様の部分が熱くなりすぎるとようやく動く。もしかしたら、ネコは変温動物なのかもしれない。


 仕方がないので、私は階段の下の物入れから掃除機を取り出した。古式ゆかしい、コード有りの紙パック式のやつだ。サイクロンやコードレスが気にはなるのだが、この古き良き昭和スタイル(平成生まれだが)はなかなか丈夫にできており、かれこれ10年使っても一向に衰えず、買い替えるきっかけがないままである。


 私はプラグをコンセントに挿し、スイッチをオンにした。ぶいーん、とこれまたレトロな音調が響き渡る。これに比べると、サイクロンは何だかアメコミみたいなケバくて賑やかな音であるように感じる。音だけなら、こっちが好きだ。


 が、耳の良いネコにはいずれにせよ騒音らしい。


 私が掃除機をかけ始めると、メニョはピンピンと耳をはじくように動かして、のそりと新聞から立ち上がった。してぽてと歩いて掃除機から遠ざかっていく。やれやれ、と私は一旦掃除機を切り、シワになった新聞を拾って畳み、再度スイッチをオン。


 あれ。オン。あれ。壊れたか。ちっともぶいーんって言わない。やっと我が家もサイクロンに世代交代か。カチカチとスイッチのオンオフを切り替えていた私は、掃除機の本体に目を向けた。お尻から伸びたコードの先をメニョが引っ張って、コンセントから抜いていた。


「ぬうー」

「うるさいってか。だって、家中、お前の毛まみれじゃないか。」

「にゃーう」


メニョはいつの間にやらフロアワイパーを持ってきていた。ちゃんと、使い捨てのシートも取り付けてある。メニョはぬっと二本足で立ち、フロアワイバーを両前足で挟んだ。


「何だ、掃除してくれるのか。じゃ、任せたー。」

「にゃ」


 私は世の大多数を占めるきれい好きである。つまり、片付いていてきれいな状態が好きだが掃除はめんどくさい、というアンビバレントな性情だ。怠惰とも言う。いずれにせよ、メニョが掃除を買って出てくれたので、私は喜んで掃除機を片付けた。


 メニョの元に戻ると、メニョは四角い部屋に丸くフロアワイパーを掛けているところであった。うまいことフロアワイパーを操縦できなくて、コーナーにあてがえないようだ。まあ、隅くらい、ほっといてもいいんじゃないかな。重箱の隅って言うくらいだし。


 私は安心して、ごろり昼寝でもしようと、掃除の済んだところに座布団をぼふんと投げ置いた。その途端、メニョ毛がふわっと沸き立つ。あれ、ここ、さっきメニョがワイパーをかけたばかりではなかったか。


 私はメニョに目を向けた。メニョはまじめな奴なので、ちゃんと熱心にワイパーを掛けている。が、換毛期で痒いのか、時折モップを置いて四つ足になり、後ろ足でバリバリ後頭部などを掻く。すると、素敵なことに、キレイに毛がぬぐわれた床に、ふりかけよろしくネコ毛デコレーションが施される。


「メニョ、メニョ。晩秋の街路樹のようだよ。」

「にゃ?」

「掃いても掃いても、上から落ち葉が降ってくる。箒を掛け終わって振り返ると、掃除したはずの道路が全然きれいになってない。」

「…」


メニョは胡乱な目つきで私を見つめながら、またぞろぽりぽりやらかした。窓から差し込む秋の陽射しを浴びて、きらきらとメニョ毛が舞い散るのが見える。私の視線の先の美しくも悲しい輝きに気付いたのか、メニョは中途半端に上げた右後ろ脚を降ろすのも忘れてぼんやりと中空を眺めた。


「…ぬー」

「諸行無常という奴だな。」

「ぷるるー」

「服でも着るか?」

「うぬー」


 メニョはとことこ歩いて私にフロアワイパーを手渡した。そして、先ほど私が日向に敷いた座布団の上で、丸くなってしまう。


「おーい、掃除は?」

「ぺろ、ぺろ、ねろ、ねろ」


ぽかぽか日に当たりながら、やたらと毛づくろいをしている。どうやら、発生源に近いところから拭き掃除をすることにしたらしい。うむ、賢いネコだ。で、このフロアワイパーをどうしろと?


 私は手渡されたワイパーと、ネコ毛が降り積もった床を見比べた。このまま掃除せずに過ごしたら、どんどんネコ毛が降り積もって層を為して、いつか家中の床が毛皮の敷物みたいになって良いんでないか?との思いがよぎるが、何とか自制する。


 やれやれ、仕方ない。私はメニョから引き継いだとおり、四角い部屋を丸く掃除したのであった。

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