第2話
夏の朝。東側の窓から殺人光線が差し込んできている。殺されてしまう、消されてしまう。私は冷や汗をかいて跳び起きた。いや、冷や汗ではなかった。ただの、暑い時の発汗だ。
だが、おかしい。遮光カーテンを引いて寝たはずなのに。私は寝ぼけ眼をそこらに向けた。身の丈4尺の大きなネコが部屋中のカーテンというカーテンを開けて回っているのが目に入った。我が家の飼いネコ、メニョである。いつもは四足歩行だが、必要とあらば立ち上がり、前足を手の代わりに使うことができる。そう、今、カーテンの端に爪を引っ掛けて、引っ張って開けているように。ああやって爪でもってカーテンを開け閉めするので、カーテンの端っこの部分が大分ぐずぐずになっている。
まあ、部屋に誰を呼ぶわけでもなし、光を遮るに不足はないので、カーテンの見栄えが多少悪くても問題はない。
「メニョ、おはやう。」
「うにゃーあう」
「しかし、暑いよ。まぶしいよ。寝ていられやしない。」
「うぬー」
確かに、そろそろ起きねば遅刻する。私は汗で湿った寝床を離れ、トイレで小用を足し、ぬるい水道水で顔を洗った。
居間に戻ると、食卓に朝の準備が整っている。トースト、ぬるくチンされた牛乳、茹でミニトマト、常温に戻されたヨーグルト、オレンジ丸ごと。それに、ぐちゃりと潰れた目玉焼き。最早目玉ではないので、目玉だった焼きと呼ぶ方が良いかもしれない。多分、殻の破片も入っている。
「メニョ、卵割るのうまくなったなあ。」
「ういー」
足元でメニョが髭をひくつかせる。おっと、そうだった、メニョも朝飯だ。
私はメニョ用の小どんぶりにカリカリを気前よく流し込んだ。メニョは私の飯を用意する。私はメニョの飯を出す。ウィンウィンの関係というのか。ギブアンドテイクというのか。何でもいいが、メニョは自分で自分の飯を出さない。人に出してもらうのが良いらしい。
カリカリついでに、飲み水も並べておく。夏場は水道水が良い感じにぬるいので温めずに済むのが楽である。冬はちょっとぬる燗にしてやらないと、ジト目で睨まれるのだ。
足元でカリ、カリとメニョが食べるのを眺め、私も食卓に着いた。食パンはちゃんとトーストされている。マーガリンもまだらに塗られている。毛のトッピング付きなのはご愛敬。私は毛を摘まんで捨ててパンをかじり、卵を口に運んだ。うん、殻の歯ごたえ。まあ、カステラのザラメみたいなものだろう。カルシウム補給になるし。肉球と爪からなる前足で卵を割るのはひどく難しいらしく、当初はもっと惨憺たるものであった。それを思えば、今朝の目玉だった焼きは上等だ。
ああ、牛乳がぬるい。こればっかりは、好きになれない。だが、メニョは冷たい牛乳は腹を下すと信じている(実際、メニョは腹を下す)ので、必ず絶妙なぬる加減で供される。しょうがないので、ごくごく一気に飲んでしまう。
「あー、メニョ、やばいよ。株価の下落が止まらねえ。」
私は新聞を読みながら文句を言った。なけなしの資産の価値が落下していくと、私の士気も暴落するというものだ。カリカリを食べ終わったメニョはヒョイと立ち上がり、私の読んでいる新聞を横から覗く。
「ぬー」
「えー、まだ下がるの?」
「にゃ」
てしてし、と爪で指し示す記事を見れば、アメリカの何やらの利率がどうこうと書いてある。難しくて、朝一番からがっぷり取っ組むべき内容ではない。私は世のからくりを理解するのは、ひとまず棚上げとした。
メニョは新聞の上に寝そべって日向ぼっこをしながら記事を読むのが日課であるので、世のよしなしごとには大変詳しい。解説をしてほしいのだが、生憎と日本語の発音が不明瞭であるので、難しいところだ。
私は株価を見て見ぬふりすることにして、オレンジに指を掛けた。メニョは柑橘のにおいが好きではないので、切ってくれないのだ。辺りに爽やかな香気が立ち上るころには、顔をしかめてとんずらこいている。もぐもぐとオレンジを食べ終わり、時計を見れば、おっと結構厳しい時刻。
「メニョ、ごち。片付けシクヨロ~。」
「にゃ」
私は大慌てで歯を磨き、身支度を整えた。シャツのボタンを留め、ベルトを締め。
「ういうい」
「ハンカチ、鼻紙、定期に財布はオッケーです。」
「うぬー」
「おっと、弁当弁当。愛猫弁当。」
メニョが準備してくれていた弁当と温かいお茶を鞄に詰めて、準備完了。私はばたばたと我が家を飛び出した。今日のメニョ弁当は、何かな。午前中は昼飯を楽しみにして、午後は晩飯を楽しみにする。ネコがいる生活は、まことに楽しい。
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