第5話 沸騰分岐
桜井が運転する車を追跡している一台に、脂親父……ではなく玄田裕司(オダ・ユウジ)はハングレたちの車の後部座席でふんぞり返っていた。
その顔は赤黒く見え怒りの余り燃えるているようだった。鬼の形相とはこう言うのであろう。
「まだ、捕まらねぇのか!」
その目はコンビニの入り口に突っ込んだ車を睨み付けている。
どうやら怒り心頭のようだ。
彼からすれば世間知らずの小娘を、もう少しで取り込める所だったのだ。
そのまま言いくるめて売春組織に渡せば、高額の仲介手数料が手に入る算段であったのだ。
暴力団対策法でがんじがらめになっている現在、折角のシノギを邪魔されたのだから怒りもするだろう。
「アイツら何なんですか?」
「どうってことのない家出してきた娘だ」
娘とは門脇の事であろう。きっと、行為のついでに相手の家庭事情などを聞き出したに違いない。
相手の弱点を探り出して、巧妙に利用するのは彼らの得意とする手口だ。
「だがな、あの目付きが悪い二人は同業者に間違いない」
これは立花と桔梗の事だ。目付きが悪いというよりは鋭いと言った方が合っている。
「ええー、そうなんですか?」
「ああ、俺は美人局を仕掛けられたと考えている」
美人局とは男と女が肉体関係などを持ったタイミングで、恋人を自称する男が現れて『俺の女になにしやがる』と告げて金品をゆすり取る犯罪のことだ。近年では電車内で痴漢行為をでっち上げて金品をゆすり取ることもある。
元々、女を使っての悪知恵を働かせるのは玄田の得意とするところであった。そういった女の調達役としてハングレたちを利用しているのだ。
「それは、許せないッスね」
「ああ……もう一人のデブは運転役だろう」
桜井の運転役は当たっているようだ。
「三人で組んでたんですか?」
門脇を組事務所に連れ込んで型に嵌めようとしていた所に桔梗がやって来た。自分を小突いた後に女を逃がそうとしていたし、やって来た自分の部下たちを次々と叩きのめした。それは立花に女を渡して逃げ安いようにする為だと理解したのだ。
「そうじゃないと、あんなに都合良く逃げ出せる訳ないだろ」
実際は偶然に合わせたに過ぎないのだが、コンビネーション良く逃走しているのでそう見えるようであった。
「そうですよね……」
玄田のトンチンカンな推測に部下の男は感心したようだ。そこに部下の男の携帯が鳴った。
「エイジたちは取り逃がしてしまったようです」
暫く話を聞いた後で玄田に報告した。エイジとは桜井の車に続いてコンビニに乱入した者であろう。
「何やってんだっ!」
「すいません……」
玄田は舌打ちをして部下を睨みつける。
逃したのは他の奴で彼の責任ではないのだが部下を叱りつけることで威厳を示そうとしているらしい。
「フザケやがって……ぶっ殺してやりましょう」
「ぶちのめしてやりやしょう」
同乗していた他の部下たちが吠えた。もちろん、玄田もそのつもりだ。
「俺たちみたいなのは舐められたら終いなんだよ」
「はい」
「はい」
「はい」
部下たちが一斉に返事をした。
「そう言えば短髪のガタイの良い奴が居ただろ」
立花のことだろう。短髪なのは刑務所の中では短髪が具合良いからだ。洗髪した後や運動の後など、直ぐに頭髪が乾くので風をひきにくくなるからだ。
「はい」
「アレはきっとどっかの組の奴だ」
当たっている。もっとも所属していた組は霧散してしまったので元ヤクザが正しい。
「そう言えば長袖シャツを着てますね」
「こんな、くそ暑い日に腕を隠してるのは彫り物を入れている証拠だ」
初夏なのか日中は汗ばむほど暑い。普通の人ならシャツ一枚に着替えるところだ。
「自分たちは出しっ放しですが……」
たしかに彼らは腕やら首やらにタトゥーを入れている。中には顔自体に入れている猛者も居た。日常生活にかなりの不便を感じる筈なのだが、彼らはファッション感覚で入れてしまうらしい。
「お前たちとは考え方が違う世界なんだよ」
「はあ……」
全身に彫り物を入れるのは自分への決意だと言われている。これから任侠の世界に生き様を見出してやるとの証なのであろう。
多大な苦痛を伴う物なので、それを見た一般人は怯んでしまうのだ。
「まあ、粋がったからって強くなる訳じゃないがな」
「……」
玄田も背中に観音様を彫ろうとはした。最初の目玉を入れた時点でギブアップしてしまったらしい。それで仲間には『片目のゲン』と呼ばれている。
本人はそう呼ばれるのを結構嫌がっているのは内緒だ。根性無しがバレるからであった。
「もう一人の腕っぷしの強い奴は格闘家みたいだな」
「分かるんですか?」
「当たり前だろ」
確かに桔梗は強かった。彼は格闘技の経験が在るのかもしれない。
「必ず捕まえてカタ着けてやる……」
話が大事に成ってきているので、このままでは済ます事が出来ない。玄田にも意地があるのだ。ケジメを着けさせねば組織での立場が悪くなってしまう。
「それで奴らは何処にいるんだ?」
「はい、ここにいます」
一人がスマートフォンを指し示した。そこに赤い点が時間の経過とともに移動しているの表示されていた。
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