第35話 森塚凛 視点3

 何でこんな事になったんだろう……。


「あなた方はこれまで残酷な現実に向き合ってきた。決して減らない多額の借金、大人数によるいじめ、度重なるパワハラ……あなた方の苦しみは、みな自分の事のように感じてきます」


 柔道服のようなやつを着せられて、何かに憑りつかれたような人達の中に入って、さらには胡散臭いオッサンの話を聞く羽目に……。


「辛かったでしょう、死にたかったでしょう。分かります、分かります、あなた方はそれに耐えながら今日まで生きてきた。だからこそ救われるのです、報われるのです! あなた方は神の恵みを授かり、新たな道に歩む事が出来るのです!!」


「教祖様……!」


「ああ……教祖様……嬉しいです……!」


 この無駄に広い和室には、教祖とかいうオッサンと部下の男が数人、さらにあたしみたいな女の人がたくさんいる。


 オッサンがなんか意味不明な事を言って、それを聞いた女の人達が感激するという。

 傍から見たら異常だ。


 聞けば皆、辛い過去を持っているっていうけど、人間追い詰められると神とかどうとかにすがるんだろうなぁ……。


「……大丈夫、凛ちゃん?」


 うつむいていた私に声をかけたのは、同じように柔道服を着せられたお姉ちゃん。

 私はお姉ちゃんに心配かけないよう、首を縦に振った。


「うん、平気……きっとこんなのいつまでも続かないよ」


「……ごめんね、私がもっと早く気付けばこんな事に……」


「お姉ちゃん……」


 でも、お姉ちゃんが酷く辛そうな顔をしてしまう。


 無理もないよね……お姉ちゃんは騙されたようなものなんだ。

 教祖の隣にいる大久保おおくぼって奴に……。


 あれはそう、あたしが家に帰ろうと道を歩いていた時。


 急にスマホにお姉ちゃんの番号が来て、何だろうと思ったらお姉ちゃんがこう言ったのだ。


『凛ちゃん……ちょっと大事な話があって……今すぐにでも会えないかな?』


 その翌日が土曜日ならともかく、まだまだ学校があったのだ。

 今じゃないと駄目なのとか聞いたんだけど、お姉ちゃんは「どうしても来てほしい」と一点張りだった。


 あの時は気付いていなかった。

 今にして思えば、お姉ちゃんの声が震えていた。


 結局不審に思いながらも、あたしはお母さんに一応連絡入れて、それからお姉ちゃんのところに向かった。

 バスで行ける距離なので時間的に問題はないし、暗くなったらお母さんの車に乗せてもらおうとか軽く考えてた。


 それでお姉ちゃんの家に着いたら、いきなり男達に捕まって……。


『今日から君達は「恵みの会」の信者だ。ああ心配しないで、教祖の教えは素晴らしいから、すぐに不安は消えていくよ』


 お姉ちゃんの恋人だった大久保は、新興宗教……というかカルトの一員だったのだ。


 妹の存在を知ったアイツは、お姉ちゃんを脅してあたしが来るように仕向けていた。

 目的はあたし達に神の素晴らしさを知ってほしいんだとか。


 ……何が神よ。バッカじゃないの……。


 優しいお姉ちゃんを騙した大久保のクズに、そうハッキリ言いたかった。

 でもアイツやこの集団の異常さに押し潰されて、言い返す事も出来ず……。


 そうだよ、異常だよこれは。


 神の恵みを与えられたという人は、教祖に連れていかれたきり戻ってこない。

 あのオッサンは家に戻ったとか言っていたけど、そんな確証もない。


 それにあたしは聞いた。

 逃げ出そうとした女の人を奥の部屋に連れ込むオッサン達と、その中で聞いた身の毛もよだつ悲鳴。


『ゆ、許して下さい……!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ……あああああああああああああああああああああああああああ!!!』


 悲鳴の他に蟲とかどうとか言ってたっけ……。

 それに明らかに犯されているような声もしていた……。


 間違いなく警察沙汰だ。

 だというのに、他の人達は酷く無頓着で『教祖様を裏切った罰』『あの人はそうされて当然』とか……その時の目が虚ろで怖かった。


 幸いにも、巻き込まれたあたしやお姉ちゃんはまだ正常だ。

 だからこそお姉ちゃんは今でも、あたしを巻き込んだ事を後悔している。


 でもそれも時間の問題なのかもしれない。


 こんな逃げる事も意見する事も出来ない異常な場所。

 いつまでもいたら頭がおかしくなりそう。


 もう学校が欠席とかそんなどころじゃないし……あたし達、これからどうなるの……?


「では奉仕に戻って下さい。いつまでも神はあなた方を見守っております」


 教祖のオッサンの一言で、皆がぞろぞろ和室を出ていった。

 私達も同じようにすると、後ろから教祖が声をかけてくる。


「そこの若いお嬢さん」


「……はい?」


「確か……森塚凛さんと言いましたか。信者の中でも特に若く美しい……あなたがこの『恵みの会』に入られた事は、さぞ幸福だったでしょう」


「……ッ……」


 あんたらが無理やりここに連れてきたんだろうが……。


 やっぱりこのオッサンおかしいよ。

 なのに何で警察が来ないの……何で助けてくれないの……。


「あ、あの教祖様……私の妹に何か……」


 恐る恐る尋ねたお姉ちゃんに対し、教祖は笑顔を浮かべた。

 まるで、仮面のように張り付いた無機質な笑顔を。


「決めたのです。本日、森塚凛さんに神への恵みを与えようかと。そして森塚さんは生まれ変わるのです」


「……嘘でしょ?」


「嘘ではありません。さぁ、今すぐにでも参りましょうか」


 オッサンがあたしの方に来る。


 恵みって何? 何をするの? そもそもそうしてきた人達はどうなったの?


 疑問が湧く中、オッサンがあたしの手を握ってくる。

 怖い……その手を振り払ったけど、すぐに後悔してしまった。


「……今、私の手を払ったな……?」


 笑顔を浮かべていたオッサンの顔が、怒りで酷く歪んだ。


「この恥知らずが!!」


「キャッ!?」


 あたしの左頬に強い衝撃が走った。


 殴られたのだと気づいた時には、あたしの身体が畳の上に転がっていた。

 さらに大久保を含めた男達が取り囲んでくる。


「教祖の手を振り払った」


「なんて無礼な」


「この悪霊憑きめ」


「恥を知れ」


「クズが」


 振り払っただけなのに、何でこう言われなければならないの……。


「大久保」


「ハッ」


「あなたが連れてきたんですよね。一体これはどういう事でしょうか?」


「申し訳ありません。入信すればいずれ理解してくれると思ったのですが……これは俺の責任です。ケジメ取らせてもらえないでしょうか?」


「……うむ、いいでしょう。神の謁見えっけんはその後にします」


「御意。では……」


 大久保が顎をクイっと動かした時、数人の男達があたしを押さえ付けた。

 声ですら出せない……必死に抵抗を試みても、うんともすんともしない。


「大久保さん!! 一体何を……グッ!!?」


 お姉ちゃんが詰め寄ろうとしたものの、大久保が容赦なく頭を殴りつけた。

 倒れたお姉ちゃんは気絶しちゃったのか、そのまま動かなくなってしまう。


「お姉ちゃん……!!」


「心配いりませんよ。お姉さんにも対等に罰を与える。私に噛み付く犬には仕置きをしませんと」


 教祖のオッサンがニヤリと笑う。

 それから大久保が近くにあった黒い箱を持ってきて、あたしに見せ付けてくる。


「その箱には様々な蟲が入っているのですよ。『恵みの会』への異端者にはよく効果がある」


「…………」


「ほんと残念です。あなたなら神の素晴らしさを知ってくれると思ったのですが……やっぱりガキはひいひい泣かせる方がいい」


 私の身体が、これ以上にないくらいに震えてくる……。


 ……怖い……怖い……怖い怖い怖い怖い怖い……。


「では大久保、頼みます」


「ハッ。さぁ動くなよ……たんと楽しもうじゃないか」


 大久保が近寄ってきて、蟲が入っているという箱を開けようとしてくる。

 

 誰か……誰か……




 誰か助けて……!!







 ――グオオオオオオン!!


「……何だ?」


 急に辺りが騒がしくなって、あたし達は思わず見回していた。

 その中に女の人の悲鳴も混じっているような気が……。


 そう思っていた瞬間、いきなり和室の障子が豪快に破壊された。


「なっ!? うおおお!?」


 障子からでかいものが出てきて、大久保を吹っ飛ばした。

 大久保は壁に叩き付けられて、完全にのびてしまう。


「……コウモリトカゲ?」


 あたしを助けた……というか大久保を吹っ飛ばしたのは、何と赤く光るトカゲのような怪物だった。

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