第61話 魔法使いの妹

 いまさら驚きもしない。

 お姉ちゃんに聞こえるように、わざと深くため息をつく。

 「だって、二人でお嬢様をお守りしないといけないでしょ? それに、お父さんとお母さんも、わたしが転がりこんだらたいへんじゃないの?」

 アメリカに行く、ということは、アメリカに渡ったお父さんとお母さんのところに行く、ということだ。

 「いや、つまりさ……」

 お姉ちゃんがきまり悪そうに言う。

 「わたしがあんたまで養えるくらいに稼げないんだよね。お嬢様がきっちり倹約けんやくしてくださるならいいけど、そうはいかないでしょ?」

 「そうは」に力をこめる。

 まあ、たしかに、そうだろうな、とは思う。

 お屋敷を追い出されることが決まって、身辺の整理をしなければいけないというのに、どこかから大きな革の表紙の稀覯本きこうぼんを買ったりしていらしたし。

 「いままでさ、アンをアメリカにやりたくなかったのは、アンがまだ子どもだと思ってたからだよ。アメリカに着いたらお父さんとお母さんがいるけど、着くまでが心配だったんだ」

 お姉ちゃんがそんなことを言うから、言い返す。

 「子どもだけど、いまでも」

 「子どもはそんなことは言わない」

 お姉ちゃんは、アンがどきっとするほどきまじめに言い返した。

 「世界を一つ救ったんでしょ? 考えて、決めて、自分の正しいと思うことをやって。それができるんだったら、行けるよ、アメリカぐらい」

 「うん……まあ、そうかも知れないけど」

 でも、そうでもないようにも思うのだ。

 「アンが行きたくなるようなこと、言ってあげようか?」

 お姉ちゃんがいたずらっぽく言う。

 でも、お姉ちゃんの考えるいたずらって単純で、すぐ見破られちゃうからなぁ。

 それでほかの使用人にばかにされて、ねたりする。

 けれど、その使用人たちは、解雇されたり、「叔父」についたりして、もうそうやって遊ぶことすらできない。

 幸せだったんだな、と思う。

 「弟がいるんだよ。まだちっちゃい」

 「はい?」

 そんなことはきいていない。

 「何それ?」

 「なんか、向こうに着いて一年もしないうちに生まれたらしいんだ。わたしたちと離れて、寂しかったか何かでさ。それを黙ってたんだよね、お父さんもお母さんも。言うとわたしたちに悪いって思ってたんじゃないの?」

 「はあ……」

 たぶん、いきなり連れて来て、驚かせてやろうとか思っていたら、いつまで経ってもイギリスに戻る機会がなかったとか、そんなのなんだろうな。

 お父さんもお母さんも、わりとそういう子どもみたいなところがあるからな。

 それに較べれば、クリフニーなんか、これから大人にならなくても、いまで十分に大人だと思うんだけど。

 そして、はっと気がつく。

 「でも、それでどうしてわたしが行きたくなるわけ?」

 「子ども抱いたりしてなかった? それで、嬉しかったでしょ?」

 「ああ」

 息をつく。

 「そうだけど」

 それから、少しうつむいて、お姉ちゃんのほうに上目づかいに目を向けた。

 「お姉ちゃんって、わたしのやってること、何でも見えるの?」

 「魔法が働いてるあいだだけね。それも、見える、っていうより、なんか感じるんだよ。魔力が強ければぜんぶ見えるのかも知れないけど、そこまでは行ってないからね」

 「ああ」

 鍵の乙女だったあいだ、アンには魔法がかかっていたんだ。

 ふと、気づく。

 右手を開いてみた。

 こちらに戻って来た以上、鍵は握っていないはずだった。

 けれども、手のひらの中に、さえない真鍮しんちゅうの鍵が朝の空の明かりを映していた。

 「お姉ちゃん、これ……?」

 魔法使いならば、これはどういうことか、わかるだろう。

 「ああ、これ」

 メアリーお姉ちゃんはとても軽く言った。

 「あ、そうか。覚えてないよね。あんたが子どものころにお使いのときに持たせてた使用人部屋の鍵だよ」

 「だって、それだったら……」

 なくなったら、使用人部屋に入れないはずじゃない?

 「だからさ。子どものころにつけ替えたんだよね、さすがにそんな単純な鍵じゃ不用心だからって。だから、それの合う鍵穴は、この世のなかにはないよ」

 「なあんだ」

 それで、この鍵を胸につるときに、少しも迷わずに鎖をつけられたんだ。

 その鎖のほうは、いまはもうない。

 「でもさ」

 お姉ちゃんが言う。

 「たぶん、ちがうんだよ」

 「何が?」

 「アンはさ、その鍵を持って、鍵の乙女としてこの世に来たんだ」

 「はい?」

 お姉ちゃんは何を言っているのだろう?

 でも、冗談ではなさそうだった。

 「鍵の乙女は地上まで降りてきたお星さま、だから、アンにはここでやること、できることがあるんじゃないかな? それが何かまでは、わたしにはわからないけれどさ」

 言って、アンを振り向いて笑う。

 その笑顔に、別れる前に見たあのクリフニーの顔が重なる。

 何かを伝えたいように、アンを見上げていた。

 「ああ」

 そういうことだったんだ。

 この世のなかでは、みんなが命をすごい勢いで使って、使いつくしてしまう。だから、あの、アンが行って来た世界にお星さまの光として届けられる命が足りなくなる。

 それは、けっしてこの世の人にとってもいいことじゃない。

 それを、少しでも変えること、変えるようにすることが、鍵の乙女として行き、鍵の乙女として戻って来たアンの務めなのだろう。

 アンは、その鍵を胸のところに抱いたまま、目を閉じた。

 もう光も風も変わらない。

 いや、光は変わっていた。

 空は赤やオレンジや黄色から、白に、そしてもう青い空へと移りつつある。

 お姉ちゃんの白い頬も、いまは赤くりんごのように輝いている。

 遠くでも、近くでも鳥が鳴いている。

 アンはもう目を閉じず、これから日が昇ってくるほうへ顔を上げ、朝の空気を胸一杯に吸いこんだ。


 (おわり)

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