第59話 明るい空

 鍵の乙女たちが急ぎ足で戸口へ急ぐ。クリフニーが、雑踏ざっとうまれる小さな女の子のようにその流れに乗って行く。

 その姿がおかしい。ここの主人のはずなのに、いまは年相応の女の子だ。

 アンは、最後に外に出た。

 「ああ」

 そこは、真昼だった。

 夏を迎えようというころの、昼前、昼ご飯のすこし前の時間に見上げた、あのまぶしい空といっしょだ。

 雲のない、快晴の空だ。

 そこに太陽が見えないのがふしぎではあったけれど。

 「昔どおりの空になった」

 「明るい昼間の空だ」

 「えーっ? こんなの初めて!」

 「そうだよね。もっと暗かったよね?」

 「いや、でももとはこんなんだったんだよ」

 「海が明るーいっ!」

 「それにしても、久しぶりだなぁ。それにこんなに晴れてるなんて」

 「気もちいいなぁ。こんな日は海辺に出かけたいなぁ」

 「行けば? すぐそこだよ」

 「ここの海のことじゃなくてさ」

 「行ってもいいけど、たどり着くまでに骨になるよ」

 「それどころか、骨もひからびて粉になって、何も残らないよ」

 それで、鍵の乙女たちはいっせいに笑った。笑ったあと、またおしゃべりをつづける。アンのところに寄って来ては、抱きついたり、手をつかんで力をこめて振ったりする。

 アンはやっと自分がお星さまを取ってくるのに成功したのだと感じた。

 城壁の外からも歓声が上がるのが届いた。

 鍵の乙女たちのおしゃべりに紛れて見ていると、前に集まっていた人たちが、街のほうへ戻っていくのが見えた。

 そのなかにフローラとエルピスの姿もある。フローラは、エルピスと何か楽しそうに話し、子どもらしく大仰な手振りを交えて、まわりの大人たちとも何か話している。まわりの大人たちも、いまはもうフローラを避けることもせず、いっしょに笑ったり話したりしている。

 よかった、と思う。

 そのことばを、フローラにひとこと伝えたいと思ったけれど。

 クリフニーが、向かい側に立って、アンの顔を見上げていた。

 クリフニーに先に言わせるのは気がひけた。だからアンから言う。

 「お別れ、だね」

 クリフニーは、口を結んだまま、うなずいた。

 目を短く閉じてから、言う。

 「いま、ウィンターローズ荘はちょうど夜明けだよ」

 「うん」

 アンも、うなずく。

 クリフニーが、少し上を向いて、声を張り上げた。

 「みんな! アンが帰るよ!」

 「えーっ?」

 鍵の乙女たちが、意外そうにアンのまわりに集まる。

 「もうちょっとゆっくりしていけばいいのに」

 「そうだよ。疲れたでしょ?」

 「みんなでさ、ぱーっとお祝いして、それから、っていうのじゃだめなの?」

 「だめ!」

 クリフニーが強く言う。アンに任せておけば、じゃあ、お祝いしてから、などと言い出すかも知れないと思ったのだろうか。

 アンは、たしかにそう思ったのだ。

 「アンは今日はだいじな引っ越しの日なの! そんな日にわざわざ来てくれたんだから、それだけでも感謝しなきゃ」

 べつにわざわざ来たつもりはない。でも、そんな日でなければ、夜になって鍵を捜しに出て、拾った鍵を胸に抱いてみるなんてこともしなかっただろう。

 「そうだったの?」

 「そうだったんだ」

 「たいへんな日だったんだ!

 「ありがとう、アン!」

 「いえ、わたしこそ、ありがとう!」

 アンはとっさに言う。何がありがたいのか、すぐには思いつかないけれど。

 「忘れない。みんなのことも、この街のことも、この街の人たちのことも」

 「うん」

 クリフニーが頷く。

 アンに向かって顔を上げて、言う。

 「だいじょうぶだよ。アンが取ってきてくれたお星さまのおかげで、ここはずっと長続きするから。アンの長生きよりも、ずっと長続きするから」

 「うん……」

 クリフニーはこの土地の妖精で、その妖精の長が長生きすると言ってくれたのだから、そのことばはたいせつに受け取っておこうと思う。

 アンはどんなことばを返していいかわからない。

 「わたしたちもさ、ずっと待ちすぎたよ」

 クリフニーが続けて言う。

 「滅びはかならず来る。それはまちがいないけど、そればっかり考えて、何もしないで待ってた。そして、アンが来てくれた」

 そして、一つ、大きく深呼吸した。

 「空が明るくなって、命の光が強くなったから、わたしもちょっと育って、大人になるよ。そして、考える。アンみたいな子に頼らなくても、ここをずっと長続きさせられる方法をさ」

 「うん」

 アンは答えた。

 名残りはつきない。だから、アンはあまりいろいろなことを考えずに、胸に隠した鍵を引っぱり出した。

 鍵は、最初と同じ、真鍮しんちゅうの重い鍵のままだ。

 「こんど来るときは、お星さまになるときだね」

 アンが言う。

 「死んだらまた来ます」ということだ。でも、そう言って、いやな感じは少しもしなかった。

 「うん」

 クリフニーは目を閉じて頷く。目を開いて、また言う。

 「でも、そうとも限らないよ。鍵はいつでも、どこにでもあるんだ。だから、来たいと思ったときはまた来て。こんどはこんなたいへんなことはせずにすむようにするからさ」

 アンはうなずいた。

 まわりの鍵の乙女たちが何か言う。声を上げる。クリフニーが、何か求めるような顔で、アンの手に自分の手を伸ばした。

 でも、その声を聞き取る前に、アンは胸の前で両手を閉じていた。

 またアンのまわりで光と風が変わっていく。

 違う風が吹き抜け、鳥が飛び去る羽音が響いた。

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