第39話 大釜と娘たち

 声が導いてくれるだろうと思って、その場に立っている。

 果たして声が届いた。

 「こっちだよ。あ、いや、まだ目が慣れないか」

 声が響く。

 まあ、そうかと思う。たぶんここは周りが石の壁なのだ。それは響くはずだ。

 でも、さっきまで、声は耳もとにじかに伝わるようにきこえていたはずだが。

 「もうすぐ目が慣れる。そうすると外と同じように明るく見えてくるよ。そうしたらこっちに来て。……あ、違う違う。あ、それ、ずーっと向こうに押して」

 後ろのほうはアンに言ったのではないらしい。

 そう思ってみると、この御殿の中には、何人もの人が動いている気配があった。

 「ああ、それじゃ急ぎすぎだって。そんなのするとまた後ろが煮立っちゃうから」

 「後ろを軽くかき混ぜてみたらどう?」

 別の声が聞こえる。

 「そうしたら煮立ってもねないと思うんだけど」

 「うーん。その距離ならだいじょうぶか。やってみる?」

 「はい。じゃ、スーザンと二人で」

 「あーっ、ジェーン、そこの泡を早くつぶして! あーっ違う! そっちじゃなくて、もっと近いほう。そうそう。それ。上に来るまでにぽしゃっとやって。うん。あ、さっきつぶしかけたやつも、あとで」

 「それはわたしがやる」

 「ありがと。悪いね」

 「何人か」ではない。たくさんの娘たちが建物のまん中で何かを囲んで、何かを手に持って、行ったり来たりしながらがやがやと何かをしていた。

 手に持っているのは、杖か、ボートを漕ぐときのオールのようなものらしい。

 娘たちがそのオールのような大きな杖を突っこんでいる場所がかすかに青白く輝いている。それがわかったとき、アンには急にまわりがはっきり見えるようになった。

 隅々すみずみまで明るい。ガス灯に照らされているよう、いや、もっとはっきりとじかに昼の空の明かりに照らされているようだ。

 ここは壁に囲まれた中だというのに。

 外を囲んでいるのはやはりあの大きな石の壁だった。全体の形は円い。そのまるい石の御殿のまんなかにまた石の柱で円く囲ったところがあって、そのまん中に娘たちが集まり、手に手に杖を持って何かやっているのだ。

 娘たちが何人いるかはわからない。少なくとも二十人はいそうだ。着ているものはばらばらで、古い肖像画しょうぞうがでしか見ないような服もあれば、アンが着ているのとあまり違わない服を着ている子もいる。歳は、小さい子は小学校に行っているくらいの子もいるし、アンやお姉ちゃんやアイリスお嬢様よりも歳上に見える女の人も何人もいた。

 みんな質素な服を着ている外の人たちよりも、ずっとアンに近く見えた。

 アンは足音をあまり立てないようにして近づいて行った。作業しているみんなの気が散るといけないから。でも、杖を持った、同じくらいの年ごろの一人が気がついて

「ああ。あんた、名まえは?」

と親しげにきく。

 いきなり名まえを聞かれたのが懐かしく思える。だからアンは答えようとした。でも、その前に

「いまだいじなところなんだからおしゃべりしない!」

と声が飛ぶ。アンに名まえを聞いた子は軽く照れ笑いして作業に戻る。

 その声の主が、さっきからアンに話しかけていた子らしい。

 その子は、ほかのみんなよりも背が低いらしい。それでも、石でできた台の上に立って杖を振っているので、目立つ。

 「この子はアン。アン・ファークラッド。アン、こっち来てしばらく見てて」

 そうか。この御殿では名まえも知られているんだな、と思う。

 だったら、何をしに来たかも知っているだろう。

 「あの……」

 「用件はあと。こっちに来て、しばらく見てて」

 アンは言われたとおりにその石の台の横まで行った。

 石の台のあたりにはほかの娘がいないので、部屋のまんなかに何があるかよく見える。

 円い形に並んでいる石の柱の内側、たぶんこの建物の中心に大きくくぼんだところがある。その底に青白いものが溜まっていた。それは、どろっとしているようでもあり、でも、色のついた気体のようにさらさら流れるようにも見える、ふしぎなものだった。

 それを、その周りに集まっている娘たちがせわしくかき混ぜている。

 そのかき混ぜかたを、石の台に乗った背の低い女の子が、娘たちが持っている杖よりも短い杖で指図しているらしい。

 ここは大釜おおがまの御殿といった。

 だとすれば、大釜というのはこれのことなのだろう。

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