第37話 大釜の御殿の門

 御殿と言うから、前に広場でもあるのかと思ったが、そんなものはなかった。

 道は、山の崖に行きあたって、そこで行き止まりになっている。

 その横が、空堀からぼりのようなくぼみをへだてて、あの高い城壁のような壁だ。

 「ああ」

 見ると、それは、アンの背丈の十倍もあるような大きな石を隙間すきまなく並べて造られていた。

 その空堀に橋を渡すように通路が造ってあって、その先に小さな入り口がある。

 これなら、ウィンターローズ荘の花園の、使用人専用の入り口のほうがまだ大きくて立派だ。

 「あれが、入り口?」

 「うん」

 フローラがうなずく。

 「ほかに門とか、ないの?」

 「うん」

 そっけない。

 「用のある人は、あの入り口まで行って、三回、同じことを言うんだ。一度でも言い間違えたらだめなんだよ」

 エルピスが説明してくれる。うん、とアンは頷いた。

 「じゃ、行ってくる」

 フローラに言う。

 「うん」

 声をのどに詰まらせるように、フローラが答える。

 もし、ここに入った鍵の乙女がここに戻って来られないとしたら、アンがウィンターローズ荘に帰るにしても帰らないにしても、これがフローラとの別れなのだ。

 「気をつけて」

 エルピスも言う。後ろに立った人たちも

「気をつけて」

「気をつけるんだよ」

と口々に言ってくれた。

 アンは、膝をついて、フローラをきゅっと胸のところに抱いた。

 エルピスも軽く抱く。

 「フローラをよろしくね」

 小声でエルピスに言うと、エルピスは、うん、とうなずいた。

 もういちど、フローラを抱く。

 骨っぽい印象がアンの体に残る。温かい。

 鍵の乙女がこうやってフローラを抱いているところを見せておけば、街の人たちもフローラを軽蔑しなくなるだろうか?

 それとも、そうやって目立ったことがかえってねたみを招くだろうか?

 アンにはどちらにも決めようがない。

 「わたし、だいじょうぶだから」

 フローラが言う。アンは笑顔でうなずいた。

 「行ってくる」

 フローラだけにもういちど言って、アンは入り口のほうに向いた。

 この入り口を通る者は、すべて希望を捨てなければならないのだろうか?

 どうなるかわからない、というのならば、そのとおりだと思う。

 でも、それは、アンがここに来たときから、そうなのだ。

 入り口の前に立って、言うことばを考える。

 言い間違えてなかに入れてもらえなかったとしたら、笑いものになるだけではすまない。まさかついてきた人たちに恨まれて殺されることもないだろうけれど、このたくさんの人たちを失望させてしまう。

 それも深く、だ。

 だから、言い間違えないような文を考えないといけない。

 お嬢様の家庭教師のヴィクターさんに作文を習っておいてよかった。

 例文を読んで、それを覚えて、その文をまねして作文を書いて、それをまた覚えて原稿なしで話せるようにする。アイリスお嬢様がそういうのをいやがるので、最初はお姉ちゃんがいっしょに勉強したのだが、お姉ちゃんはお嬢様以上にいやがって逃げてしまった。それでアンに順番が回ってきたのだが。

 でも、いざ作文しなければならないとなると、すぐには文が作れない。

 だが、その手間は省けた。

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