星の燃え残り
第35話 魔女に会いに
鍵の乙女は御殿に行くと戻って来ないという。
アンはそれをきいて怖くなったわけではなかった。
いや、怖くはあった。相手は魔女だという。
何をされるか、わかったものではない。
でも、もしかすると、と思う。
ここに帰って来ない、ということは、その御殿がもと来た場所への出口になっているのではないか、と。
もし、魔女と話をつけて、そこからあのウィンターローズ荘に帰れるならば、すべてがうまく収まる。
もちろんうまく行くとは限らない。魔女に捕えられ、殺されたり、みじめな動物に姿を変えられたりして、悲惨な目に遭わされたりするのかも知れない。
だが、その魔女と、あの「叔父」という人と、どっちが怖いだろう?
どちらがひどい人だろう?
お姉ちゃんは、その悪魔のような「叔父」たちといつも戦っている。
だったら、アンもこの魔女と対決してみてもいい。
そう思う。
パン屋のほうに行く道を上る。フローラが止めないところを見ると、それで正しい道なのだろう。
パン屋まで行くと、戸口の外にあのエルピス少年が立っているのが見えた。
「フローラ!」
女に先を越されては、と思ったのかどうか。エルピスのほうから声をかけてくる。
フローラが足を止めたので、アンもいっしょに立ち止まる。
「エルピス、どうしたの?」
フローラがお姉さんのようにきいた。
「父ちゃんがさ、あのあと、二人が無事に帰れたかどうか心配しててさ。でも、父ちゃん、震えちゃって、いま外に出られないんだ。だから、ぼくが」
へえ。あの親父もいいところがあるじゃない。
いや、あの人だっていい人なのだ。たぶん、いい人だったので、フローラの家への理不尽な仕打ちをやめる決心すらできなかったのだろう。
いままでやって来たことを変えるには勇気がいる。変えると、よく変わるかも知れないけれど、悪く変わるかも知れないからだ。
その勇気が出せなかったのだ。
「フローラたちはどこに行くの?」
エルピスがたずねた。
「姉ちゃんがさ」
フローラが答える。
「
エルピスは、くるっ、と首を傾げた。
かわいい。
「でも」
とアンをちらっと見てから、フローラにきく。
「御殿なんかに何しに行くの?」
「だからさ、さっきの青い光のことでさ。魔女と話をしてくれるって」
「ふうん」
エルピスの返事は無関心そうだ。なんだ、友だち
アンはフローラの知り合いだけれど、エルピスとは直接の知り合いではない。エルピスがアンについて行く義理はない。
ところがそうではなかった。
「ぼくもいっしょに行く。父ちゃんにそう言ってくる。ちょっと待ってて」
エルピスは身軽に扉を開けると、なかに滑りこむようにして姿を消した。
「いいの?」
アンが、フローラにきく。
いいかどうかはたぶんアンが決めることなのだ。でも、決めようにも、アンはエルピスのことを何も知らない。
「いいんじゃない?」
フローラが他人ごとのように言う。でも、その目の
頬が血色がいい。
エルピスがいっしょに来てくれるのがうれしいのだろう。
ほどなく、エルピスが同じ扉から出てきた。
「行こう」
短く言う。エルピスがフローラといっしょに歩き出す。アンがその少し後ろからついて行く。
海へ下りる道の手前で、おかみさん風の女と若い女が立ち話をしていた。そこにアンとフローラとエルピスが通りかかる。
「あら、エルピスじゃない?」
若い女の人が声をかけた。
「それに、テューレ婆さんところのフローラ? ずいぶん久しぶりね」
フローラはちょこっと頭を下げてあいさつする。歳上のおかみさんが眉をひそめた。エルピスにフローラとつき合うな、とでも言うつもりだろうか。
「でも、いま外に出ると危ないわよ。だってほら、いま青い光が降ったところじゃない」
それから、はじめて気がついたように、アンを見る。
「それで、そちらの人は?」
「アン」
アンが答える前にフローラが答えた。
「新しく来た鍵の乙女なんだ」
その言いかたってまるで新しく来た使用人を紹介するみたいだな、と思う。たとえば
「新しく来た台所係だよ」
とでも言うような、だ。
でも、鍵の乙女と使用人とがそう変わらないとしたら、アンはかえって気が楽だ。アンはもともとお屋敷の住み込み使用人の娘なのだから。
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