第10話 やってみないとわからない

 忘れてしまうくらい前のことだとしたら、カレンダーのある国ならば百年は経っているのだろうな、と思うことにして、続きをきく。

 「それで、その必要なものを売ってあげなかったっていう、必要なものって何です?」

 「あんたはおかしなことばっかりきくね?」

 テューレ婆さんが無愛想に言う。

 いや、おかしいのはそっちでしょう、と、お姉ちゃんなら言い返す。

 それは、やめよう。引っぱりこまれたとは言え、こちらがこの人たちの家におじゃましている身だ。

 「いや、食べ物だとか、着るものだとか、いろいろあると思うんですけど」

 「わからん。さっきも言ったろう、ずっと昔のことでな。みんなたいていのことは忘れておる」

 「でもおばあちゃんはそれが何かを覚えていらっしゃる?」

 「いいや」

 アンはふっと頭のほうが熱くなった。

 「そんなあいまいなことで、ものを倍とか三倍とか十倍とかで売るんですか? この街の人たちは!」

 「そうさ。だからしかたないと言っている」

 「でもそれじゃ困るでしょ?」

 早口で言う。

 「困る?」

 テューレ婆さんはきき返した。

 「ああ、そりゃ、困ると言われれば困るよな。でもそれで生きられないわけでもなし、べつにいいんじゃないのか?」

 それだけ言うと、テューレ婆さんはさっさと台所から出て行ってしまった。

 ことばは通じるけれど、いろいろと通じないものがある。

 アンはそう思って、フローラを振り向いた。

 フローラは、少し口をとがらせたまま、テューレ婆さんが出ていったほうを見ている。

 さっき、アンに訴えていたときのような懸命けんめいな様子はない。

 力が抜けたようすで、泣き出しそうだ。

 アンは軽く息をついた。

 「それで、わたしにそういうのをなんとかしてほしいって言い出したわけね?」

 「……うん」

 フローラは力なく頷く。

 「でも、無理だろう? いまのでわかっただろう?」

 そう言って、

「無理なこと言って、ごめんよ」

と、笑って見せる。

 アンは、軽く目を閉じた。

 口もとに笑いが浮かぶのを感じる。

 「そんなの、やってみないとわからないじゃない?」

 それは、あの意地悪な人たちに冷たい仕打ちを受け、お嬢様がそれを黙って受け入れようとするたびに、いつもお姉ちゃんが言っていることばだ。

 そう言って、肩を怒らせて出て行くお姉ちゃんを、アンはいつも「怖い」と思って見送っていた。

 でも、いまは自分がそのお姉ちゃんと同じ気もちになっている。

 それがアンにはおかしかったのだ。

 「無理かも知れない。少なくとも、何もかも変えることはできないと思う。でも、変えようとしてみよう」

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