第9話 ずっと昔はずっと昔
アンが続ける。
「ええ。おっしゃるとおり、わたしは鍵のお恵みか何かでここに来ました。そして、ここで出会った最初の人がフローラさんで、そのフローラさんがわたしに助けてくださいと言うんです。関係ないとは思いませんけれど?」
言われたテューレ婆さんは、背を曲げたままじっとアンを見ている。
フローラは、まず食い入るようにアンを見、テューレ婆さんを見、またアンの顔に目を戻した。
「……あんたに何ができるわけでもない」
テューレ婆さんが言う。フローラが大きく息を吸って、勢いこんで婆さんに何か言おうとする。でもその前にアンが言った。
「なんにもできないってことはないと思いますけど? 少なくとも話を聴くぐらいのことはできるはずです」
「おばあちゃん!」
フローラも言った。
「街の人には何を言ってもしようがないけど、ねえちゃんには聴いてもらおうよ」
「聴いてもらってどうなる?」
フローラは答えないで、おばあちゃんのほうをじいっと見る。
ここで「聴けば何かお役に立てるかも知れません」などと言うと、「あんたに何ができるわけでもない」という返事でまたもとに戻ってしまう。そんな堂々めぐりの話はあのお嬢様の「叔父」とかいう人たちとのやりとりだけでたくさんだ。
せっかくウィンターローズ荘ともベリーズベリーの街とも違うところに来たのだから、そんな話をしていたくはない。
「少なくとも、わたしがフローラさんの話を聴けば、フローラさんがこれ以上聴いてもらおうよって言わずにすむことになると思いますけど?」
こういうことを言うと、お姉ちゃんなら
「へんな理屈」
と言ってぷいっと横を向いてしまう。
でも、テューレ婆さんは答えてくれる気になったらしい。ふうっと大きく息をつくと
「物を売ってくれぬ」
と短く言う。
「ほかの者に売る倍とか三倍とか、ときに十倍の値をつけて売りよる。ずっと昔、わしらがやつらに必要な物を売ってやらなかった報いだという」
「はあ?」
それはどういうことだろう? きいてみる。
「ずっと昔、っていつごろですか?」
「奇妙なことをきくものだな」
テューレ婆さんはそう答えた。
「ずっと昔はずっと昔さ。みんながたいていのことを忘れてしまうほどの昔のことだ」
「いや、それでも十年前と百年前と二百年前ではだいぶ違うと思うんですけど?」
あたりまえの質問だと思う。
「なんだそれは?」
ところがテューレ婆さんは吐き捨てるようにきいた。
「十とか百とか二百とかはわかるが、その、ねん、というのはなんだね?」
フローラの顔を見てみる。同じようにわけのわからない顔をしている。
「だから、十年とか、百年とか……」
「だから、それはなんなんだね?」
おばあさんが意地悪をしているわけではなさそうだ。
ここには「年」がない?
「あ、いや……」
「年」がわからないひとに、どう説明すればいいのだろう?
一月一日から次の一月一日まで、復活祭から復活祭まで、地球というものが太陽のまわりを一回転する時間……。
でも、どれもどこでも通用するわけではない。
いや、ここではどれも通じなさそうだ。
復活祭を祝わない人たちだっているだろう。インドやマレーの地元の人たちは復活祭を祝わないという。四つ辻からここまで来る短いあいだだけれど、街に教会もなければ、十字架も見かけなかった。だとすれば、ここでは復活祭は祝わないのかも知れない。
まして、いまこうして立っている大地がじつは球で、それが太陽のまわりを回っているなんて、アンにだってなかなか信じられない。
アイリスお嬢様の家庭教師のヴィクターおじいさんに連れられて、お嬢様とお姉ちゃんと四人で日が沈むところをずっと見ていたことを思い出す。それが、大地が丸くて、太陽のまわりを回っていることの証拠だと言われたのだけれど、アンにはまったくわけがわからなかった。
アイリスお嬢様やお姉ちゃんはわかっていたのだろうか?
「一月一日から次の一月一日まで」だって、自分たちはそういうカレンダーを持っているからそう言えるわけで、自分たちと同じカレンダーを持たない人たちにはわからないだろう。
インドでは「年」をどう説明するのだろう? あの意地悪な人たちにきいておけばよかった。
考えたすえ、
「ベリーズベリーでは時間を表すのにそういうのを使うんですけど」
と説明する。
テューレ婆さんは、ふん、と口をとがらせ、フローラはやっぱりよくわからないという顔をしている。
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