第5話 日記その2

 7月25日


 それは夏休みに入る前だった。同じクラスの中田太郎に彼女ができたのだ。かたわらから見ていても、最近はなんだかソワソワしない様子であったから何事かと思っていたら、納得した。中田は同じクラスの内藤が好きだったのだ。断るごとに内藤に声をかけて、隙があれば熱い視線を送っている。なんて思っていたが、やはり、あの熱い視線は、本気の眼差しだったようだ。中田と言えば、小柄で少し肉付きがいい。愛想が良すぎる。誰にもでもいい顔をしているので、いじられる傾向もあったりする。それと、アニメ好きで有名だ。ただ、本人はオタクであることが否定する。なんでもアニメが好きなのではなく、声優が好きだと言うのだ。世間一般的な感覚からすると、同じな気がするのは気のせいだろうか。気のせいではないだろう。きっと世界は、それをオタクと言うのだ。間違いない。オタクとは、己の世界を構築する者なのだ。


 ともかく中田は、同じクラスの内藤に恋をした。中田のキャラクターはどうあれ、これが事実なのである。何者だろうと。覆すことは不可能なのだ。例え、神だろうと改竄することはできない。それが恋に違いない。


 さて、三週間くらい前の話になるが、僕は中田に誘われて、なぜか内藤の家にお邪魔させてもらった。内藤の家は、一般的な家ではなかった。玄関が広く、部屋の数も信じられないくらい多かった。大きなテレビを囲うように、ソファーが配置された部屋に案内された。客間だろう。そう、内藤はお嬢様だったのだ。僕はその事実を噛みしめながら、噛み切れないでいた。その日は、内藤が好きであったマイナーなアイドル(男)のライブ映像を見せられて、僕は沈黙していた。話が複雑になってくるのは、帰りに中田が打ち明けた一言だった。


「内藤をライブに誘うと思うんだ」


 急に何を言い出すんだろうか。僕はそう思いながらも、すぐに内藤の家で無言で観賞したアイドルを思い出した。


「いいじゃん。一緒に見にいけば」


 気楽に、考えなしに僕は答えた。


「お前も一緒に来てくれよ」


 後から知ったことだが、ライブのチケットを取るのは困難だったようで、かなりの時間と金額を使ったようだ。最初はアイドルが好きで、どうしてもライブに参戦したかったのだと思っていたが、どうやら違うようだった。



 7月27日


 以前の続きからになる。ライブ会場は、地元球団のホームであるあのドームであっ た。子供頃に近くを通ったことがあるくらいで、なんの接点もない田舎者であった僕には、都会の車の多さと人の多さ、建物の高さに驚いた。高い建物を眺めていると、中田に「田舎者」揶揄された。


 待ち合わせ場所には、少し太めの内藤と背が高く痩せた女性がいた。はて、この女性は誰だろうか。三人は見知った顔のようで、互いに笑顔で挨拶をする。そのままライブ会場に歩き出した。僕がたまらず中田に誰かと聞いた。すると、中田は驚いた顔をした。「向こうはお前を知ってるぞ」だって。僕は変な汗をかきながら、後ろ歩く彼女を見た。見に覚えがある顔ではある。そうだった。随分と時間が掛かったが、姫岡だ。間違いない。以前見かけた時と印象が違ったので、気付かなかった。それに彼女を見かけるのは、2ヶ月ぶりだった。


「駅でたまに見かけてた」

 

 僕の視線を認めると、姫岡は言った。


「駅で会うことがあったね。話すの初めてだけど」


「思い出してくれて、ありがとう」


 「思い出したなんて……」と僕は言葉が途切れた。随分と前に記憶から消し去ろうと努力したので、思い出したなんてことはない。完全に忘れていた。むしろ僕は、ある日を境に彼女を見なくなったので、退学したと思っていたのだ。


 ライブが終わると、中田は意を決して、内藤に告白した。その勇姿は、まさに英雄である。勝算はわからない。不確定要素の多い戦場だろうが、自ら前線に立ち指揮を振るう、その勇姿を僕は一生涯忘れることがないだろう。中田のように、男らしく生きたいと強く願った。



 8月2日


 夏休みになってますが、特にやることはありません。わざわざバイトをする気にはならないし、誰かと遊ぼうとも思いません。如何せん。なるべく何もしないをモットーに生きているので、なんのやる気もでない。真夏の日差しは狂気だ。家で時が過ぎるのを、じっと待っていても汗が噴き出るこの猛暑では、生きてるだけでも褒めて欲しいものだ。そんなことで僕を褒めてくれるような人はいないと思っていたら、案外いた。姫岡である。姫岡に誘われたのは、一昨日のことだ。学校では殆ど話したことがないのに、疑問符が浮かぶ。少しだけ半信半疑で最寄りの駅に向かうと、姫岡がいた。ライブで会った時よりも、薄着でラフな服装だった。


「本当にいたんだ」


「何それ。どう言う意味? 私って信用されてないの?」


「学校で話したことは一度もないから、驚きを一生懸命表現した結果」


「変な表現だね」と姫岡は微笑んだ。


会話もそこそこにして僕らは駅の近くのカフェに入った。姫岡はカプチーノを頼んだので、倣って同じものを注文する。


「急に誘ってごめんね。予定とか大丈夫だった?」


「ぜんぜん大丈夫だったよ。むしろ急だったから心配したくらい」


「そうだよね。接点なんて殆どないから、驚いたよね」


「やっぱり何かあったの?」


 姫岡の表情には陰りがあった。やはり大きな悩みごとがあるのだろうか。姫岡が抱える悩み事とはなんだろう。つい口にしてしまったが、僕なんか心配されても姫岡からしたら余計なお世話だ。


「ほら、ゆいちゃんと中田君が付き合うようになったから、私が暇になった」


「あの二人は順調そうなの?」


「まだ付き合い始めたばかりだからね。この間も惚気を聞かされた」


 姫岡は嘆息した。


「それは複雑な心境かもね。けど姫岡も彼氏くらいはいるだろ?」


「いない」と捨て台詞を吐くように言うと、姫岡は沈黙した。何か気に障るようなことを言っただろうか。この時の僕はとても不安になった。長い沈黙。互いに何だか余所余所しい雰囲気がある。事実、知り合ったばかりなので、そんなものかも知れない。僕なんか姫岡は退学したとばかり思っていたのだ。それはそれで失礼だ。


「ねぇ、私のことどう思ってる?」


 沈黙を破ったのは姫岡だった。唐突に問われるのは僕だ。僕はこの質問に失礼な問いは許されないことを直感で悟った。


「それはどう言う意味? 友達としてとかなら、仲良くなって日が浅いからなんとも言えない」


「私のこと何も聞いていないの?」


「聞いてない」と僕は即答した。


「私、学校行っていないんだよね」


「合点がいった。最近学校で見かけない」


 毎日のように駅で見かけていた美女を見なくなったのは一ヶ月前だろうか。それとも二週間くらい前だっただろうか。もう思い出せない。


「ちょっとしたトラブルにあってね。学校に行きづらくなったの」


 僕は記憶を辿っていた。いじめが原因で不登校になった生徒がいると喧伝があった。女子生徒が男子生徒と口喧嘩になり、女子生徒が手を上げたのだ。女子の暴力なんて高が知れているが、問題だったは股間に蹴りを入れたことだった。他の男子生徒が便乗して、セクハラまがいな発言をしてしまい、火種は急激に広まってしまったと。その渦中の人物が、僕の目の前にいる姫岡だったのか。散りばめられたピースが、嵌っていくこの感覚がこそばゆい。


「そんなにひどいことされたの?」


 この僕の問いに姫岡は答えてくれた。内容はここでは省かせてもらう。例え僕しか見ないであろう日記でも、記録でも残してはいけないものであると判断したからだ。それほどに、行き過ぎたセクハラである。捕まってもおかしくない。否、捕まって牢で反省するべきだ。


「ごめん。変なこと聞いて」


「そんなことないよ。誰かに話すだけでも楽になるから」


「なら、いいけど」


 カフェを出ると、気温はピークを過ぎていた。


「涼しくなるかな」と僕は言う。


「そうだね。涼しくなるし、ちょうどいいね」


 その時の姫岡は、悪戯を閃いた子供のようであった。僕は嫌な予感がして、姫岡から視線を逸らした。


「ねぇ、これから学校に行かない?」


 どうしてそうなるのか。僕は姫岡の心を忖度することができなかった。しかし、姫岡の境遇を思い出せば、そう言う選択もするのではないか。と僕は思うようにした。


 8月5日


 8月に入った。エアコンがない部屋に篭っていても、面白味がないので、自転車に跨って近くのマックに向かって、日記でも書こうと思う。僕の手元にはシャーペンと、コーヒーとポテトがある。以前の続きとなるが、その以前というのは、先月の話になるので、僕の記憶がどこまで正確に綴ることができるのか定かではない。したがって、、、、


 最寄りの駅とは言え徒歩で向かうのは、骨が折れる。姫岡は終始にわたって元気で、僕はその勢いに蹴落とされる気分だった。おおよそ1時間も歩くと学校に着いた。片田舎で雄弁とそびえ建つ学舎は、夕陽に照らされて、存在感を増している。


「なんか久しぶり」


 数ヶ月ぶりの学舎にノスタルジア的なものを感じているのだろうか。姫岡の境遇を鑑みると、僕は言葉を選んだ。


「行こうか」


「うん」


 姫岡と校門を潜ると、意外にも野球部が練習をしていた。夏休みだと言うのに、ご苦労なことだ。野球部の連中から隠れるように、僕らは裏道を選ぶ。舗装がされてない山道のような階段を歩くと、姫岡は振り返った。


「そうだ。上の方に行こうよ」


 姫岡は上の方を指差すが、どこを指しているのかわからない。


「どこのこと?」


「いいからついてきて」と姫岡は駆け出した。ちょっとした山の上に建設されているだけあって、非常階段からの景色は悪くなかった。姫岡は飽き足らず、歩みを進めていく。


「なあ、どこまで行くんだよ」


「ずっと先だよ」


 階段を登り切り、体育館を横切ると、使われてない校舎に向かう。山を登るような古い渡り廊下を登り切ると、姫岡は手摺に指をかけて、沈み行く夕陽を見た。光を失う校舎、教室はポツポツと四角形を灯す、野球部の練習風景はよく見えるグランド、校舎を囲うように森から鳥が飛ぶ、街は少しずつ陰る。


「結構、いい眺めじゃない? 前から気になってたんだよね」


「そうだな。案外いい風景だ」


「ふふふ。そんな顔もできるんだね」


「どう言う意味?」


 姫岡は僕の顔をじっと見つめて、微笑んだ。何だか照れ臭い。


「いい笑顔だなぁって思っただけ。駅で見かける時は、不貞腐れるされるような嫌な顔をしてるから、いつも機嫌が悪いのかと思ってた」


 嫌な顔。その言葉は少なからず僕の心を貫いた。もちろん悪い意味でだ。僕はそんなに機嫌が悪そうな顔をしてるのだろうか。もう少し笑顔を大切にする、この時の僕はそう思った。


「けど、話して見ると結構優しいよね。今日も私なんかに付き合ってくれて、ありがろう」


「優しくはないよ。主体性がないから適当に合わしてるだけ」と言いながら僕は頬を緩ましていたと思う。姫岡は夕陽を見続けているので助かった。こんな顔は見せられない。


「そんなことを言って、友達いなくなるよ」と姫岡は振り返る。僕は反射的に、背筋を伸ばした。


「もう少ないよ」


「なら一緒だね。意外な共通点」


「そんな悲しい共通点はいらないよ」


「ひどいな。せっかくいい友達になれると思ったのに」


 急に当たりが暗くなったような錯覚を覚えた。姫岡の顔が急によく見えないのだ。目が慣れるまで、姫岡の表情が伺えない。けど、なんとなく悲しい顔をしていると思った。


「もう友達みたいなもんだろ」


曖昧な言い方が、僕の精一杯だった。


「やっぱり優しいじゃん」


 薄暮に目が慣れてくると、姫岡の表情がよく見えた。駅で初めて姫岡を見かけた時の感情が蘇る。


 このあと僕らは歩いて帰った。帰り道はクラスメイトの話をした。姫岡が学校に来なくなってからの出来事を僕は話した。あんまり上手くは話せなかった。けど姫岡は楽しそうに話を聞いてくれたので、僕も楽しくなった。もう何を話したか思い出せない。けど、楽しかったことだけは覚えている。姫岡は夏休み明けから、学校にまた通うと言っていた。僕らはまた学校で話そう、と約束をして別れた。


 夏休みだろうと何かを率先してする気にならない。つまらない人間である僕が、自ら動こうとしている。この事実がすごいことであると、誰かに伝えたいが、恥ずかしいので、この場を借りる。まあ、これを誰かに見せるつもりはないので、誰かの許可を得ようとするのは、滑稽だ。ただの雰囲気作りだ。前置きはやめて、僕は夏休みが開けることを楽しみにしている。いいや、夏休み中に誘ってみるのもありかも知れない。そう言えば姫岡に彼氏とかいるのだろうか。いないとは言っていたが、気になる人がいるかもしれない。そこから調査をするべきだろう。今日はここまでにする。また何かあれば、これからも姫岡のことを日記に、書くのも悪くないかも知れない。まあ、ネタがあればの話だが。

 

 9月15日

 

 新学期が始まって何日か経った。僕の周りは特に代わり映えしない。毎日、7時20分には目を覚まして、菓子パンを食べる。歯を磨いて、トイレに行ってから、歩いて駅に向かう。7時45分の電車に乗ることができれば、遅刻は免れる。駅には8時15分には着く。そこからスクールバスに乗り込む。クラスでの過ごし方も変化はない。青春とはこんなにも退屈なものなのだろうか。


 9月20日


 今日は久しぶりに駅で彼女を見かけた。彼女とは姫岡のことだ。夏休みにあった頃よりも、堂々としている印象だった。髪を切って、少しだけ化粧をしていたと思う。僕は話しかけることを拒んだ。女友達と一緒に仲良く話し込んでいたからだ。自然な笑顔で、楽しそうな姫岡を見ていると、こっちまで嬉しくなる。僕は陰ながら彼女を応援しようと思った。


 

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