第一章
第1話
新聞で知った情報だ。小学校の同級生が川で溺れて、事故死した。その名前を聞いても、誰かはわからなかったのが正直な感想だったりする。同姓が3人以上いたこと、大人しいタイプで、僕が彼と遊んだり話したことが極端に少なかったとが起因すると思われた。すぐに思い出せなかった言い訳は、とりあえずは置いとく。あんまり関係はないし、そこから話が進展することもない。ただ、10年前に、少しだけ仲の良かった同級生の言葉を思い出したんだ。高校の同級生だった姫岡咲は、「時間は平等じゃない」と口癖のように言っていた。その意味が少しだけわかった気がしたんだ。
●
消え入りそうな吐息を吐き出しながら、汗を拭う。冬場の夜勤は手足の生き血を失ったような錯覚に襲われる。暖房器具の恩恵を受けないターミナルでの作業は、黙々としたもので、口を開ければ冷たい空気が水気を奪う。呼吸を乱すと、急激な乾きが喉を焼いた。単調な作業の繰り返しから解放される頃には、陽が昇り朝日を浴びながら、寮に向かって歩いていく。三時間の軽い睡眠をした後に、僕は実家に向かった。実家までは車で30分くらいだ。川沿いを走って、国道で山を越えていく。駐車場は4台駐車できるスペースがあったが、一台しか止まっていなかった。
「ただいま」
「あら、急にどうしたの?」と少しだけ肌艶を失った母がタバコを片手に言った。
「母さんが呼んだんでしょ」
「そうだったけ?」
「手紙が届いたって」
「そうだった」
母は抽斗から封筒を取り出した。手渡された僕は、礼を言ってから、自室に向かう。送り主は高校の同級生で変人で通っていた天音京子だった。どうして今更になって天音から手紙が届くのだろう。訝しむのは当然のことではないだろうか。天音とは、特別仲が良かったわけではなかった。そもそも仲がいい同級生なんていない。卒業してから連絡した回数は数えられる。
封筒を乱雑に開けて中身を確認した。その内容に驚愕しながらも、リアルタイムで彼女を思い出していたので、僕は引き付けられていた。
●
和風テイストのカフェでコーヒーを飲む。苦味を舌で転がして、目の前に座る天音京子を見た。久しぶりに会った同級生は、地毛である焦げ茶色の髪をそのままに。数年の間に化粧や服装、体つきも大人の女性らしい魅力が増している。だけど純朴そうな大きな切れ長の瞳は高校時代と変わらない。天音は僕を捉えた。
「さて、早速だが本題に入ろうか。私が君を呼び出したのはこれだ」と天音京子は一冊の本を鞄から取り出した。テーブルに置かれた本のタイトルは「ようするに君が好き」暗い背景に目が大きな女の子、それと本が描かれた抽象的な表紙で、一見すると漫画のようだ。いわゆるライト文芸系の作品なんだろう。
「これが、どうしたんだよ」
「本の内容をざっくり説明するとだ。とある男子高校生が三年間に渡り綴った日記の内容を我々読者が盗み見るみたいな内容だ。友情、努力、そして恋愛。だけではなく、学生らしい悩みなど、多感な時期だからこその心理描写秀逸でな」とここまで話すと天音は「違う」と首を振った。「私が話したいのは、こんなことじゃない。問題は登場人物が実在することだ。この小説で語られるエピソードは私達の高校時代の話ってことだ。フィクションではなくノンフィクションなんだよ。この平間学位と言う作家を調べたら、私達とタメなんだよ。こんな偶然があるか?」
天音はテーブルに乗り上げて、必要以上に顔を近づけてくる。
「あるわけがない。こんな偶然あるもんか。ジャンボ宝くじで5億当てるよりも難しいぞ。どこかの映画監督が「映画とは退屈な部分がカットされた人生」みたいなことを言っていたが、これほどまでに私達が共有した高校時代を酷似した小説があってたまるか。平間学位は100パーセント私達の同級生ってことだ」
「なるほど」と僕は相槌をする。
「そして、私が憤りを感じているのはヒロインの死因だよ。この文庫版では姫岡は事故死として扱われているが、Web版では殺されるんだ」
ここで天音は辛辣な表情を浮かべた。その威圧に僕は萎縮する。こう言うのは苦手だ。
「文庫版はより事実に近いってことですね。そうなってくると」
「そうだ。この作者は何を思ってWeb版ではヒロインが殺されるなんて、最悪な結末にしたのか。正直、最初は怒りで頭はおかしくなったよ。倫理観を疑った。人の命をなんだと思っているんだ。だが、冷静になってくるとだ。私には何か意味があるのではと思ってな。平間学位の経歴はもちろんだが、Web作品から書籍化された作品は全て読破した。内容から察するに作者は純粋無垢で決して悪いことはできない奴だと思うんだ」
「そんなことがわかるの?」
「私がこれまでに培った経験則だ」
つまり勘ってことかな。
「まあ、とにかく私は10年前の姫岡の真実を知りたいと思ったんだ」
姫岡の真実。姫岡咲は高校三年生の秋頃に車に轢かれて亡くなった。事故死として扱われたはずだ。葬式は後日に行われたようだが、特別に連絡を取っている友人がいなかった僕は、登校した日に周知の事実のようにクラスメイトに話をされて知った。唐突な虚無感に晒されたのは覚えている。
「つまりなんだ。姫岡が殺されたと思うのか?」
「私は、姫岡は事故死ではなく、自殺。もしくは殺害された可能性もあるんじゃないか」と天音は神妙に呟いた。
「そう思うのか? どうしてだよ。根拠は?」
適当なことを言うものではない。何分デリケートな話だ。嫌悪を抱く人間や、忘れたい過去として取り扱っている同級生もいるはずだ。僕に関して言えば、忘れたい過去であることは否定できない。
「君は知らないかも知れないが、当時彼女の周りには色々と嫌な噂が多かったんだ。私はかなり気になっていた。卒業まで時間がなかったし、私も私で問題を抱えていたので、いつの間にか忘れてしまった。友人の一人が亡くなったって言う虚無感だけを残してだ。だが、一年ほど前に、私のSNSにメッセージ送られたんだ」
「まさか、そのWeb小説ですか?」と僕は大袈裟に言ってみた。少し演技臭かったかも知れない。
「その通りだ。最初は無視していたんだが、私は今フリーの探偵をやっているんだが、最近はどうにも暇でな」
「フリーの探偵?」
「そうそう、フリーの探偵。趣味みたいなものだ」
そんなことは聞いてないんだけど。無職ってことかな?って思ったんだよ。
「謎に渇望していた私は、興味本位でその小説を読んでみたんだよ。そしたらどうだ。姫岡がヒロインの話だったわけだ。誰が送ったかはわからないが、私はこれを作者からの挑戦状として受け取ったんだ。姫岡の事実を知る作者が、私に真実の追求をして欲しいと言う願望ではないかと疑っている」
「所詮は小説なんだから、ただの作り話じゃないか? それかイタズラ。かつてのクラスメイトが小説家になったから、自慢ではないけど、読んで欲しかったのかもよ。ともかく僕は考えすぎだと思う。小説を書く上で読者が面白いと思う内容を書くのは必然的だろ? この作者はきっと死因を他殺にした方が面白いと思ったんだろ」
「では、なぜ私に小説のURLを送ったんだ?」
「クラスメイトに読んで欲しいだけだ。それに送ったのが作者本人とは限らないんじゃないか」
「そうだな。確かに捨てアカウントだった。しかし、君は妙に小説家の肩を持つんだな。まさか心当たりでもあるのか?」
「いいや。第三者的な意見を述べただけだよ」
これは本心だ。何もクラスメイトが書いたとは限らない。話を聞いた人物が想像を膨らませて書いた可能性もあるし、経歴も虚言かも知れない。その場合を経歴を詐称するメリットはまるでわからないが。
「最初にも言ったが、彼の書籍化された作品は全てを読んだ。彼は間違いなく誠実で実直。真面目な人柄だ。コミュニケーション能力もそこそこ。だからこそ作品と言う形でしか訴えることができない。と私は判断したんだ」
天音は学生の頃から自分が決めたことは曲げないところがあった。どんなに周囲が反対しても、論破されようが、成し遂げる強い精神から、クラスメイトからも信頼があったと記憶している。しかし、作風から作者の人柄を紐解くのは、さすがに不可能ではないだろうか。
「もちろん。私自身が姫岡の真実を知りたいと言う側面もある」
「それが全てだろ」
「ほほう。10年近く経つと、言えるようになるんだな」
天音は心底驚いたように、目を大きくして、口を尖らした。
「お前の性格はよくわかってるつもりだよ。だけど姫岡は事故死だ。これは覆せない事実だ」
「なぜ言い切れる?」
「車に轢かれたんだから、事故死だろ」
姫岡は10年前の秋頃に学校の帰りで、車に轢かれて亡くなった。当時の僕が聞き入れた情報に、間違いがないのなら、これは覆せない事実だ。
「君の言う通り、姫岡が車に轢かれたのは覆せない事実だ。しかしだ。自分の意思で飛び出したとしたらどうだ? もしくは第三者によって背中を押された。可能性があるとは思わないか? 前者なら自殺、後者なら他殺だ」
「当時そんな情報は出なかったんじゃないか。変な憶測は無意味だろ」と、僕は答えたが、内心は可能性を探っていた。確かに詳しい情報は、誰も知らない。当時は、姫岡が轢かれた事実だけが、全員に行き渡り思考に壁を作った。誰もがそうだったとは思わないが、少なからず僕は、姫岡の死によって、思考に壁を作り、身動きが取れなくなった。
「いいように大人に騙されたのかも知れない。大人が汚いのは君だって知っているだろ」
「そんな達観として生きてないので」
「そうか……おお!!」
注文していたプリンパフェが運ばれると、天音は目を輝かせた。今までの真面目な会話はなんだったのか。目の前のパフェに、天音は釘付けになった。確かに魅力的なパフェである。卵型のガラス製の容器にバナナ、キウイ、ブドウ、栗、生クリームがこれでもかと敷き詰められてる。天辺にはこんがりと焼かれたプリン、底にはコーヒーゼリー。最初から最後まで楽しみが、階層ごとに違う。正直に言うと食べたくてしょうがない。おそらくこのカフェを待ち合わせに選んだのも、焼きプリンとミックスフルーツパフェが目当てだったんだろう。僕は唾を飲みながら、その光景を達観として眺めた。
「美味、美味だ。こんな美味しい食べ物が、この世にあったなんて。どれだけ食べても、新しい出会い。飽きがないとはこのことだ。深いなんてものではない。海底のように底が知れず人類は未だに到達してない!まさに至高の一品だ」と天音はパフェを初めて食べたのだろうか?よくわからない感想を延々と続けた。食べ終わった天音は、コーヒーを飲み干すと、先刻のギラついた瞳に戻った。その様変わりに感心する。優秀な人材とは、気持ちの切り替えが異常なのではないかと思った。集中力みたいなことが言いたい。
「さて、本題に戻ろうか。私は当時の新聞やネット記事で事故の詳細について調べたんだよ」
天音は携帯端末を取り出して操作をすると、当時のWeb新聞の記事を見せた。天音はスクロールをしていくので、斜め読み。
『「18歳の女子校生がはねられて死亡。〇〇県△△市の直線道路」
○日の午後6時半に18歳の女子校生が、28歳の会社員が運転する乗用車に轢かれた。意識不明の重体で、搬送先の病院で死亡が確認された。警察署によると事故現場は、見晴らしのいい直線道路で、横断歩道も信号もない。男性は「人が当然、車道に飛び込んできて轢いてしまった。ブレーキを踏んだが遅かった」と自ら通報したと言う。』
「ここに事故の詳細は書かれてはいないが、加害者は「突然、人が車道に飛び込んできた」と答えているんだ。横断歩道もなければ信号もない直線道路にだ。変ではないか?」
否定し切れない自分がいた。事故現場が横断歩道も信号もない直線道路なら、外的要因でもなければ飛び出すことは、ないのかも知れない。あくまで可能性が広がっただけであり、現時点ではただの妄想だ。それにこんなネット記事の信憑性が高いと思ってはいけない。
「私はあらゆる方法を使って、この加害者の男性に接触することに成功した」
「嘘だろ!」
驚愕のあまりに声を荒らげた。自分の感情の高まりには、更に驚く。
「加害者の男性は、当時のことを嫌悪感全開で話してくれたよ。家族を失い、職を失い。もう思い出したくはないそうだ」
「おいおい。無理やりかよ」
天音はジャスチャーでお金を意味する形を作った。
「ウィンウィンの関係だよ。勘違いするな。あの男のことを調べたら事故が原因で、ギャンブルにハマり借金があったんだ。私は救いの手を差し伸べただけだ」
むしろ人助けだ、と天音は胸を張った。僕としては恐怖が増幅するだけである。
「お前、仕事は何をしてるんだっけ?」
「薮から棒になんだ?」
「お前の情報収集能力と行動力に驚いてるんだよ。なんでそこまでするんだ。フリーの探偵とか言ってたが、どうにも腑に落ちない」
「私は、フリーの探偵であり、フリーのライターでもあるんだ。記事のネタになるかも知れない気持ちも半分だ。これでどうだ。少しは信用してくれるか?」
「わからない。それで僕に何を求めているんだ」
天音がWeb小説を発端にして、姫岡の真実を本気で調べようとしているのはよくわかった。その熱意と僕がどう関係あるんだ。僕に何を求めている。
「言っとくが、僕は姫岡のことは何も知らない。当時のことは僕から話せることは何一つとしてないぞ」
姫岡は少し間を置いて哄笑した。まるで僕を侮辱するような笑いであった。
「それは、もちろんわかっているよ。君は何も知らない。私が知る限り、君には友達なんていないからな」
「馬鹿にしてるだろ」
「いいや。褒めてる。当時の君はクラスメイトと一線を超えることを極端に拒んでいた。必要以上に人との接触を拒み、目立つことを極端に嫌がった。自分からクラスメイトに話しかけたことなんて私が知る限りでは一度もない。だからこそ君は信用できるんだ」
確かに僕はクラスメイトと仲良くすることを避けていた。連絡先を知っているのは少数だし、いつもまっすぐ帰宅していた。それを天音が知っていることに、驚く。もしかしたら天音は、僕が思うよりも観察眼に優れているのかも知れない。ただ、クラスでの僕の様子を天音に語られるのは面白くない。天音と僕は別のクラスだ。そもそも、どうして、覚えてるんだ。
「私はこれから姫岡と仲が良かった人物。特に平間学位が執筆した「ようするに君が好き」に実名で登場するクラスメイトに意見を聞いて回るつもりだ。その際には君に同行してもらおうと思っている」
「なんで?」
「学生の頃の君は、達観としてクラスを見渡していたからだ。君はいつでも人と距離を置き観察していた。私を含めて、とても不快だったが、味方にすれば、心強い。それに君の意見も聞いてみたい。姫岡と同じクラスだった君にしか頼めないことだ」
適任なのかも知れない。第三者的に見れば僕ほど達観として、クラスを眺めていた人物はいないかも知れない。それに頼りにされるのは気分がいい。しかし、「お断りだ。僕はこう見えて忙しい」
「期間工をしてるんだろ? 土日は休みで、二交代制の週交代。君の都合にも配慮はする」
怖い。僕のことも調べてるのかよ。その日は不毛なやりとりをしばらく続けて、僕らは解散した。僕が首を縦に振ることはなかった。
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