第3話 

「先生、もともと塊だったわけですよね?無数の微小な生物が生息しているので、塊内にいる全生物が意思を統一して会話をするのではないのですか?」荘周の話に疑問を感じた藺且が思わず聞いた。


「意思を統一しているのは間違いないが、人語を話すことは出来ない。ただ空気が通る隙間が出来る団粒構造を作るのは、生物たちだ。昆虫・ミミズ・土壌微生物からの分泌物、カビの菌糸、これらが粒子をつなぐ糊としての役割を備えている。すなわち間接的に関与、間接的に会話をしていると思いました。」


「待てよ。俺も聞きたいんだが、お前の話を聞いていると、人籟が人自身、地籟が自然自身が、音を出しているという訳なんだろう?で、もし天籟がその地籟・人籟を仕向けているものだとすると、何だかその二体の人形は、自分自身の上に創造主なるものがいることを知っているような口ぶりじゃないか。」今まで黙っていた恵子も前かがみになって話を聞いていた。


「恵子様、そうともとれますけど、天籟を起こしている者の正体については、結局何も言及しておりませんよ。先生、その天籟の正体は結局何なのですか?」


「藺且、恵子よ。惜しいことに天籟ついては、彼らは言及しなかったのですよ。ただ私が思うに、天籟の天とは万物全てのことを指しているのだと思います。」


「それだと人籟や地籟も、結局天籟に含まれてしまうじゃないか。すっきりしねぇぞ。」恵子が呆れた顔で荘周を見た。


「それの何がいかんのですか。彼らの会話、彼らのおかげで世の理について知るきっかけになったのですよ。むしろ我々は、彼らを見ならうべき存在ではないかと感じております。一切をあるがままに容認して、是非取捨を放棄すべきと。」


「本当に夢でも見たかのような話だな。変な夢でも見たからおかしくなったんじゃないか。」恵子が鼻で笑った。


「夢ではありません。いや、夢であったのかもしれません。」


「ほんとにはっきりしねぇなあ。で、それがお前の奇異な隙間の執着とどう関係しているんだ?」


 確かにそうである。ただ、さらに信じられないことを耳にするかもしれないという嫌な予感がした。だが、聞かずにはいられなかった。

 荘周は黙っていた。そして、「藺且、恵子よ」と思いついたようにまた語り始めた。


「この世は、入れ子式で出来ているのですよ。実は、私が人工的な微生物を作り、土壌に団粒構造を作ったように、外部の大いなる存在が人工的な生物を作り、団粒構造のような過ごしやすい環境を作ったのです。その団粒構造こそ私たちが今いる世界なのです。私は、知能の発達した二体の泥人形に案内され、外部の世界に行きました。」


「急に何を……」言い出すのか、藺且はそう言おうとしたが、荘周は構わず話続ける。


「私が、隙間に対する異様な執着を見せたのは、外部の世界へと案内するために隙間を用いた泥人形を作るように設計された人造人だったからです。外部の世界に連れていかれた時、そこで二人の太夫に会いました。そして、お二人から、この世の事実を聞いたのです。二人の太夫は、私の今までの功績や能力に鑑みて、外部の世界に住むことを勧めてきました。」


「俺たちも、お前の作った人工微生物と同じく、外部の大いなる存在によって生み出された人造だと言いたいのか?じゃあ何か?あんたは、その泥人形が言っていた天籟を起こす者の正体にお目にかかったと言うのか?戯言を言うのもいい加減にしろよ!」恵子の声が荒げている。


「私は、ふざけて言っているのではありません。それに、外部の大いなる存在だけが、天籟を起こす正体ではございません。なぜなら、その外部の存在もさらに大きな存在に観察されているのです。要は、入れ子の外側の部分にあたる世界に行きつくまで無限に世が存在しているようなので、つまるところ、天籟を起こしている者は万物全てのことを表していると言うことと同じです。私も人工的な微生物を作り、そこから人造人形を二体作りましたから私は人籟を起こすものでもあり、天籟を起こす者でもあります。それにしても、外部の世界に行く時のあの心地よさは、まるで蝶にでもなったかのような気分でした。いや、外部の大いなる存在にとって、私など微生物、蝶のような虫と同じくらいの大きさなので、本当に虫だったと言えるかもしれません。」


「頭がおかしくなりそうな話ですね。」藺且は、椅子の手すりに肘をつき、片手で顔を隠していた。


 また、外部では、団粒構造に生息する生物を取り出すだけでなく、それを外部の人型と同じくらいまで大きくさせる術まで持っているのだという。荘周が外部に存在した二人の太夫と会話できたのはそういうことらしい。

 どうにも嘘を言っているようには見えなかった。嘘だと感じなかったのは、泥人形、南郭子綦と外成子游のように、実は外部の大いなる存在がいることに薄々気づいているからであろうか。


「先生それが本当なら、貴方は、いずれはこの世界ではない外部へと行きなさるのですか?」


 師は何も答えず無表情に虚空を見つめた。これから起きることに対し、悲しんでいるようにも笑っているようにも見えた。

 藺且と恵子は分かってしまったのだ。ここに荘周自身がいるということは、外部に行くのを拒んだのだ。


「荘周、俺は魏の宰相であったから言うんだが、魏はなあ、お前の開発した技術、ビーズに目をつけているんだよ。魏の宰相として迎え入れたいと考えているが、実際は、用が済んだら何されるやら。断ればお前を無理やり攫って、拷問でもして作り方を吐き出させようとするかもしれん。魏だけじゃない。斉・楚もお前のこととお前の技術を狙っているんだよ。時期にここも危うくなる。」恵子は、急に取り乱した。

 

 しかし、荘周は、どこ吹く風といった様子だった。

「まあ、あのような技術があれば、そのような結果になることも明らかでしょうね。」


「恵子様そのようなことを述べてよろしいのですか?今度はあなたの身に……」


「藺且、心配してくれるのはありがたいが、俺はもう魏には仕えていない。今はこの宋に仕えている身だ。それに私一人が死んでも特に問題はないだろう。俺なんかよりも荘周の方が立派な人間なんだ。お前は、今いる世界を捨て去り、安全な外部の世界で生き述べるべきだ。」


 荘周は恵子の言葉に顔をしかめた。「いやいやそこは、立派と言うより『ただの人』だと言うべきだ。私は、今いるこの世界でただの人として、無為に過ごしていたいのです。むしろ、藺且と恵子は、まだまだ学ぶべきことがあります。お前たちの方が生き延びるべきです。そうすべきです。」


 結局、二人を外部の世界へと送り出すという結論に至った。隙間への執着を除いて世に無頓着であった荘周が、あまりにも必死になっていたため、二人は根負けてしまったのだ。


 二人は、荘周に案内され、その迎えが来る場所に向かい、しばらくそこで待つことにした。


「来ましたね。」荘周が空を見上げると、透明な細い筒状の長い物が、雲の間からゆっくりと伸びてきて地上に接するかと思いきや人がその真下に立てるくらいの位置で止まった。


「あれが外部に行くための通路なのですね?あの細長い筒を泥人形と共に昇って行っ

たのですか?」藺且は聞いた。


「はい。そうです。」


 登り階段のようなものがなかったが、荘周曰く、斜めに下がってきた筒の先端口の真下に行けば、蝶のように天に昇るらしい。

 

 二人は、筒の真下に立った。荘周は少し離れたところで見守っている。こんな時に何と声を掛けるべきか二人は分からなかった。悩んでいると、次第に体が宙に浮き、そのまま天へ昇って行った。二人が天の彼方にゆき見えなくなると、細い筒もするすると昇って行った。


「私は友人と呼べる人がいませんでした。貴方達のような議論できる相手がこの世に一人もいなくなると正直寂しくて仕方がありません。」

 別れとはこんなにもあっけないものかと思っている荘周自身の中に、妙なおかしさが込みあがってきた。本来なら、二人がこの地で死のうが構わなかったわけだが、外部の世界に連れ出すという強引な行動は、自身以外の生物に対する執着に他ならなかったからだ。

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