第2話 

 荘周が技術を開発してから三月ほど経った時のことだった。

 久々に、藺且が荘周のもとを訪れたのだ。丁度同じころに、荘周の友人でもあり、魏の宰相でもあった恵子けいしも訪れていた。


「お久しぶりです。恵子様。先生はいらっしゃらないのですか?」


「久しぶりだな。俺も今来たところなんだが、誰もいやしない。また、どっかで土でも探してるんだろうな。」

 

 恵子も荘周が泥を捏ねるだけの生活をして周りからある程度のことは耳に入れていたのだろう。

 しばらく待つと、少しやつれた荘周がそこに現れた。荷車を引いていないところ見ると、別の用事で出かけていたと分かった。


「荘周お前、最近評判悪いぞ。隠遁生活みたいなことをしているみたいだな。お前さんと同じようなお堅い学者さんが言っていたぞ。『荘周はしたい放題の振る舞いで法度を守らない人物になり下がった奴だ。』とか、『人の行為が持つ積極的な意味を失っている。』とかな。なんだってそんな泥遊びをするようになったんだ。」


「そろそろ貴方たちにも話しておかねばならない時が来ましたね。立ち話もなんですから、中でお話しいたしましょう。」

 

 荘周は、二人を家の中に招き入れると、椅子に座らせた。彼は、二人の向かいに座り、数秒間黙っていた。少し動揺しているような素振りを見せたが、徐に、話し始めた。


 ***


 藺且と恵子が訪れるひと月ほど前のことだった。

 その日、荘周はいつものように泥を捏ねようと寝床から起き上がると、外で話声が聞こえたのである。外に出てみると誰もいない。気のせいかと思いつつも、やはり声が聞こえる。声の根源を探すと、井戸の端に置いてあった二つの泥団子から聞こえてることが分かった。

 泥団子は、荘周があちこちから持ってきた土を、村の子どもが勝手に遊んで捏ねて置いたものだった。他にも泥団子は置いてあったが、声がするのはその二つの泥団子だけだったのだそうだ。声がする泥団子の表面には、少量の鉱物が付着していたことから、この二つの団子の中に荘周の開発したビーズが偶然混ざっていたとすぐ理解した。

 

 荘周はこの二つの塊がどのような会話をしているのか気になったので、その二つの塊をしばらく観察してみることにした。

 どうやら、この二つの塊には名前がついており、それぞれ南郭子綦なんかくしき顔成子游がんせいしゆうというそうだ。微生物が口をきくはずはないため、一体どういう原理で話しているのか当初理解できなかった。

 

 だが、荘周が以前異国の書物で読んだ興味深い話からある仮説を出した。その話は、大気について述べられていたものだった。

 地表面に接する大気の下層を大気境界層と呼び、その層の最も下層、我々のような生物が生息する気層を接地境界層と呼ぶそうだが、この層では、生物の活動に大きな影響を与えるだけでなく、地表面の影響を強く受けるというのだそうだ。接地境界層で吹いている風は、地上の摩擦力や空気の浮力により複雑に吹くらしい。ならば、この二つの塊は、塊の隙間や表面の凹凸を空気が通ることによって、人語のような音を奏でているのではないか、そう推測したのである。

 

 では、この二個体にもう少し粘土を含ませ、荘周自身と同程度の大きさの人型にすると、人間二人が会話をしているようになりはしないかと考えた。さっそく、土と水、そして小石を、二つの塊に加えていき、徐々に人型にしていった。すると、ある程度二人が何を話しているのか聞けるようになっただけではなく、自分の体を動かす歩く・走るといった進歩も見せたのである。

 

 荘周は、そのまま観察を続けていくとさらなる異変が起きた。一方の人形(南郭子綦)が机にもたれ天空を仰ぎ、落胆したかのような態度を見せたのである。

 

 妙だなと荘周は思っていたが、その時、顔成子游が南郭子綦に向かって、「南郭子綦さん。あなたの姿はまるで枯れ木のようで、心はまるで死灰のようです。何だかいつものあなたではないように見えますね。」と言ったのだ。

 

 それに対し、南郭子綦は、「ほう、いいところに気づいたな。ところで、お前は、人籟じんらい地籟ちらい天籟てんらいというものは知っておるかな?」と応えた。

 

 顔成子游は南郭子綦の聞かれたことにすぐ答えなかった。荘周も顔成子游と同様に何を言っているのか理解出来なかった。

 

 数秒後、また南郭子綦郭は、話しかけた。「分からんかな?大地が吐く息、これを皆が知る風と呼ぶが、これは勝手に吹くわけではないぞ。大風がいきなり吹くと、地上のありとあらゆる空虚(うろ)や隙間は荒れ狂う音がする。例えば、お前は立ち騒ぐ風のざわめきを聞いたことがあるだろう。あれは、巨木の幹にある数多の穴が、鼻、口、耳、あるいは枡形、あるいは盃形、臼、深い井戸、水たまり、とにかくそれぞれに似たような形になり、それがけたたましい音、吠える音、舌打ちの音、息を吸う音、叫び声、泣く声、洞穴を吹き抜ける音、骨をかじる音、それらの音に聞こえるのだ。冷ややかな風になれば穏やかな音、つむじ風となれば、その音は大いなる調和を持った音となるのだ。

 風が止めば、全ての空虚や隙間はピタリと鳴りやむ。だが、お前は、まだ振動している木の葉や枝を見て、ああそよ風が吹き抜けていたのだなと判断することができるのだ。」


「南郭子綦さん。ということは、地籟とは、地上にある空虚が風を受けて鳴る響きと 言うことなのでしょうか。すると人籟は、人工的に空虚を作って響かせる、えーと、吹奏する楽器の音や口笛などのように体から出す音のことを指すということですかね。なら、では、天籟とは何ですか?」


「顔成子游よ。とにかく吹いてなるものは様々だが、どれもが自ら音を生ずる。では、そのように仕向けているものは誰なのだ?まあ、それもおのずと分かるだろう。」

 

 何とも妙な会話であると荘周は感じた。


 ***

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