天の隙間

枝林 志忠(えだばやし しただ)

第1話 

 その男は、日がな一日泥遊びをしているようであった。ぼさぼさの白髪で、無精ひげを生やし、着ている深(しん)衣(い)も手入れしていないのか、所々黒く汚れ糸が出ており、袖や襟の部分がだぶついている。

 

 男は、宋に属する蒙と言うところに住んでいたが、宋の都(商丘しょうきゅう)から少し離れたところに家を設けており、半ば隠遁生活をしているようにも見えた。たまに、外に出て荷車を動かしたかと思えば、何日か住家を無人にする。戻ってきたと思えば、どこからとってきたのか、荷車に山盛りの土や礫、そして雑草を乗せて帰ってくる。土は、砂・シルト・粘土、それらが含まれる割合によって粒系の異なる種類をいくつか乗せていた。そして、自分の掘った井戸から水を汲み、土に水を加え手で捏ねて球にする。時には千切った雑草、礫を掌と指を使って押し込める。

 

 この男、名前は荘周と言い、後世では荘子と呼ばれる人物であった。

 

 ある者は、「皆、明日生きるか死ぬか必死だというのに何を考えているのか。」「弟子にも高説を垂れる時があるが、あんな堕落男はろくでもないことを話しているに違いない。」と馬鹿にしていた。反対に、「まあ、あれはあれで俺たちにとって意味のある奴だから放っておけ。」「あの人のおかげで、俺たちの生活が豊かになったのだ。馬鹿にするなんて失礼だろう。」と彼の奇異な行為を認める者もいた。

 

 宋に住む人々は、荘周に対し学者であることの崇拝と常人には理解できない不気味さを感じていたわけだが、直接本人に咎める者はいなかった。そんな一個人への心配よりも、斉・楚・魏に囲まれているこの国が、いつ侵略されてしまうのだろうかということの方が心配であったのだ。

 

 今となっては賛否両論あれども、少し前までは、学者として高く評価されていたのである。それは、彼の開発した技術が宋の繁栄を促し、宋の君主剔成君てきせいくんにも褒めたたえられたことによるものだった。荘周は、農作物を育てるには不適切であった大地を肥沃な大地に変えるよう必要な養分を自ら作り出し、稲・麦・茶といった作物の収量を向上させる微生物を生み出すという技術を開発したのだ。

 

 人工の微生物を濃縮した直径約0.5mmのビーズ状の球を土内に鋤込むと、ビーズの方に土の粒子が寄せ集められ、ビーズの表面を覆う。すると、ビーズが微生物の過ごしやすい最適な団粒構造を設計し、複製する。その後、数多の団粒を複製し、それらの団粒内に微生物が放出される。これで、微生物が養分を出す準備が整うわけだ。

 加えて、彼は、この微生物に土壌内で正負(+-)に帯電している原子を用いて金属物質を生成するという驚くべき機能も備えさせたのである。作物に使用される元素のうち、多量に使用される原子(元素)、窒素(N)、リン(P)、カリウム(K)、カルシウム(Ca)、マグネシウム(Mg)、硫黄(S)を従来の量よりも過剰に生成し、それらの電子数を変えることによって、微量に使用される元素、鉄(Fe)、マンガン(Mn)、亜鉛(Zn)、銅(Cu)、ホウ素(B)、ニッケル(Ni)、を生成するのである。電子数を変えても元の原子(元素)に戻ってしまうような不安定な形で生成しないように生み出してくれる。微生物のおかげで生成された鉱物は、土中内から地表面に現れるわけだが、その鉄や銅は民の生活物資、それ以外の鉱物は珍しがられたため貿易の財貨となった。

 

 もっとも当人は、蒙・宋の繁栄のためというよりも、土壌及び生きとし生けるものがもつ隙間に対して興味を抱いていたのであって、開発した技術は好奇心の延長線上に生じた産物に過ぎなかった。荘周が自身の開発した技術の仕組みについて弟子の藺且りんしょに説明するときでさえ、土壌の隙間、生物内に存在する隙間について熱心に語っていた。


「良い土壌というのは、土壌に団粒構造が出来ることが大事なわけです。①適度な隙間があるという物理的な要素、②土壌の酸性度合いや土壌中で起きる化学反応といった化学的な要素、③隙間に生息する微小な生物が多様にいるという生物的な要素、これら3つが重要なのです。隙間があり、そこに多様な生物が住み、そこで起きる化学反応を生物が促すということですね。ただ土壌だけではなく、微生物は、生きとし生けるものの中には必ず存在し、我々に必要な力を供給します。厳密には、それ以外の要素もありますが……。」


「とにかく、どんなものであれ隙間はあるとおっしゃるのですね。」藺且は応えた。

 

 隙間への執着、そのようにたらしめているのは何なのか。藺且には、皆目見当がつかなかった。

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