災厄との邂逅7

 いや死んだように錯覚した。自分の心臓を、自分の命をもぎ取られたように錯覚した。

 文字通り奴の手が僕の身体を貫き、その手にはいまだ鼓動する心臓があったような幻想を見させられた。想像させられた。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・うっ・・・・」

 自分がそこで死んでしまったのならば、こんな感触を味わうことはなかったのだろう。自分が死ぬ想像を見させられた、鮮明に、現実であるかのように。

 冷汗が大量に出て、口から吐しゃ物をまき散らそうになるのを必死にこらえ、のどまで上がってきたものを飲み込んで呼吸を整えようとする。

「面白いだろう。君がこの子供たちに対して行っていたことは、ただの死が目の前にあるように思わせるだけ。けれど洗練された殺気というものは本気で死を連想させられる。次に会うときにはこうならないようになることを祈っているよ。その刀も面白い代物だからね。君には期待していようかな」

 ガイアが僕のことを離してくれて、やっと死の恐怖から解放された。

 身体の震えは収まるところを知らないし、冷や汗で身体中の水分なんてなくなりそうだ。解放された安心感と、いまだあるこの恐怖から涙まで出てきた。

 本当に怖かった。こんなやつが最終目的だなんて考えるだけで、恐怖でここから立ち上がれそうになれない。

「さてと・・・・次は君だ。君もまた面白い。けれど彼とはまた違う面白さだ」

 ガイアは潤華の目の前に行って話しかけている。

 振り返れば潤華は震えあがって、恐怖から涙を流している。顔は青ざめているし、呼吸をすることだってやっとかっとなほどに粗ぶっている。

「はぁ、い、いや。こ、こない、で」

 小さな声で、震える声で、一生懸命にその意思を伝えようとしているが、途切れ途切れのその願いを受け入れられることはなかった。

 ガイアが潤華の髪を引っ張り、顔を上げさせる。

 潤華の表情は恐怖その一つだけ。それ以外の感情など灯ってなどいなかった。

「余は君の願いをかなえてやろうと思ったのに。余が目の前に来たら、それに恐怖したというのか? まったく自分勝手な奴だな。だがそれでいい。生きているのならば、それが正しいというものだ。君は何も間違ってなどいない。だから余は、君の願いを尊重しようと思う。余は寛大だ。さぁ、言ってごらん。余にどうしてほしいのか」

「あ、わ・・・・わた・・・・わ・・・・私は・・・・どう、したら、いいか、わからない」

「そうか。ならば余は・・・・余のしたいことをしよう」 

 そしてガイアはつかんでいる髪を離して、手に魔力をため始めた。

 魔力の溜まる手には、綺麗に整えられていた爪が鋭利に伸び、手がどんどん紫色になっていく。血管は浮き出て、血液の流れが急速になっていくのが遠めに見てわかる。

 禍々しいその手は化け物というにふさわしい。そしてその手で何をしようとしているかなど一目瞭然だ。

 潤華も自分でそれを感じ取ったのだろう。僕のそれとは違う本物の死というものを。

 潤華の呼吸は完全に粗ぶり、足は震え、その足元には黄色い液体が流れている。冷汗とはまた違う。恐怖に失禁してしまったのだろう。顔はさっきよりも青ざめ、恐怖に歪んでいる。

(どうにか助けたい。潤華を助けたい。けれど恐怖で手も、足も動かない。動くことを身体が拒んでいる・・・・わかってる、そんなのわかってるよ。ここで止めに入れば、手に入れた、許されたこの命をどぶにさらすことになるくらい。けど、けれど、それでも、僕はまだ彼女に死んでほしくない。たった数時間しかたっていないけれど、それでも、彼女に、彼女に死んでほしくない)

 震える手で、鞘に納めた刀の柄を掴もうと必死にあがく。

 脳は、身体は、自分の保身を訴えかけ、僕の意思は彼女を助けたいとそう願っている。掴むか否かを思考がせめぎあっている。

「それではさらばだ。次は普通の人間に、もしくは余の子供に産まれることを祈っているよ」

 振りかぶられたその手。潤華はその手を見ようとせず、頭を両手で抱え込んでいる。恐怖に震えるその姿は、まるで命乞いをしているかのようだ。

 ガイアの手が動き出した瞬間、今の今まで葛藤していたその手は迷いなくその柄を握った。

 そして次の瞬間・・・・僕はガイアの手を刀で切り飛ばしていた。

 何が起きたのか、自分ですらわからなかった。さっきまでいた場所とは違い、今は潤華の目の前にいる。

 柄を握って動き出す瞬間、僕の意識が数秒飛び、帰ってきたかと思ったらこの景色になっていた。

 手を切り飛ばしたというのに、大量の血があふれ出ているというのに、ガイアは何食わぬ顔でその手を眺め、そして数秒して顔をしかめた。

「なんのつもりだ貴様。余の手を切り飛ばして、ただで済むと思っているのか。命を救ってやったというのに、そんなに死にたかったのか」

 完全に怒っている。堪忍袋の緒が切れていた。その証拠に額には血管がくっきりと、はっきりと見えるくらいに浮き出ていた。

「ち、違うのです。わ、私はただ彼女を助けたかったその一心で、ただその一心で。自分にもわからないのです。柄を握ったらなぜかこうなっていたので・・・・」 

 嘘は言っていない。僕は潤華のことを助けたかった、それだけだ。

 けれどそんなことを言ったって、魔族の始祖の手を切り飛ばしたのは事実。

 この怒りを鎮める方法を僕は今持ち合わせていない。

 僕は死を覚悟した、が・・・・

「本来ならば貴様は即刻処刑するところだが、どうにもそうはいかないようだ。外野が集まってきてしまった。余はここで退散するが、余は貴様を許したわけではない。その刀に切られた傷が癒えたとき、必ず貴様に残酷な死をくれてやろう。それまでの余生を楽しむのだな」

 意外なことに、退散することを選んでくれた。

 周りを見ればたくさんの教師や、在校生であふれかえっていた。

 あらゆるところに仕掛けられている監視カメラを見て、異常なことが、危険なことが起きていることに気づいてくれたのかガイアは完全に包囲されていた。

「それでも余としてもただで帰るのは面白くない。だから・・・・」

 ガイアは一番包囲が手厚いところである場所にゆっくりと歩いていく。

 もちろん在校生や教師は臨戦態勢に入るが、僕が言えることはただ一つ。

「逃げろ・・・・逃げろおぉぉぉぉ‼」

 振り返って叫んだけれど、時すでに遅し。

 包囲網には大きな穴が作り出されていた。文字通り通り道ができていた。

 そこには大量の血の雨と、大量の肉片が降り注ぐ中、中央を堂々と歩いて退散していくガイアの姿があった。

「余に歯向かえばこうなるのだ。次に会うときには貴様がこうなるのだからな」

 どこからともなく響いた声にこの場にいた全員が恐怖し、震えあがった。


 響いた声が収まり、全員の警戒心が解かれ始めても僕と潤華の震えは収まらなかった。

 そこに同じ試験中であった翼と真耶の二人が駆け寄ってきた。と、思ったら翼は僕を、真耶は潤華に抱き着かれた。

「よかった。本当によかった。二人とも無事で本当によかったよ。あんな得体のしれない化け物に遭遇しておいて、二人とも無傷で済んだのは奇跡だよ」

「何かがおかしいことはすぐにわかったんだ。魔族がこの住宅街に向かって一心不乱に向かっていくから。それを追いかけたらイザヤたちとさっきの男がいた。すぐにやばいのはわかったよ・・・・けど、ごめん。助けに入れなかった。俺は、俺自身の身を守ることで、精一杯だった。必死に息を殺して、どうにかしてこちらに目が向かなくすることだけを考えてしまった。そうすることが最善だと、最良だと、一瞬の迷いもなかった」

「いいんだ。それでいいんだよ。何も間違ってなんかない。無駄に犠牲を増やすくらいなら、そうやって自分の命を大切にしていていいんだ」

 僕の声は今でも震えていた。 

 こんな強がりを言っていても、翼の言葉を聞いて、それが正しいと誰だっていうし、実際それが正しいのだろう。

 けれど当事者の僕らの本音を言うならば、「早く助けてくれ」それだけだ。

 時間にしてほんの数分でも、何時間にも感じられるほどずっと命の危険に晒された気がして仕方がなかった。

 誰か早く助けに来てくれと、もっと早く駆けつけてくれよと。そんなずっと助けを請うような状態にされていて、助けが来たからすぐに落ち着け、なんて無理な話だ。

「それでもお前は桐谷のことを助けた。あの男に歯向かい、反抗し、震える自分自身に鞭を打ってその刀を握った。その助けたいって意志に、この魔具が答えてくれたんだろうな。お前はすごいよ。あの場でほかの人間を助けたいと願えるなんて。そのために動けるなんて」

「そうだよ。あのままじゃ桐谷さんは確実に死んでたから。たった数時間の関係の人間を、自分の命を賭してでも助けられるなんて普通じゃできないことだよ。だから、ありがとう。桐谷さんのことを本当に支えてくれて、守ってくれて。それと、ごめんね。助けに行けなくて」

 真耶は僕らに何回も頭を下げた。助けに行けなかったこと。人を助ける職につこうとしている人間でありながら、自分の身を最優先に考えてしまったこと。

 翼も泣きじゃくる真耶を支えて何度も謝っていた。

 潤華もあふれ出る涙を押し込もうと必死になっているけれど、そう簡単に拭えるほど怖かった体験をした。ゆえに涙はいつまでたっても止まらなかった。

「ありがとう。助けてくれて・・・・本当に、ありがとう」

 泣きながらも精一杯の謝辞の言葉を並べてくれる潤華を見て、助けられたんだと、助けてよかったとそう思えた。

 そこで僕の意識は途切れた。

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