旅立ちの準備5

「な、何をしているの? そんな魔族を背負って。どこに行ったのか、母さんずっと探していたんだから。避難所に行ってもいないし、学校に聞いても退学届けを出して去っていったっていうし、ほかにもいろんなところを探したんだから」

 あぁ、その声も今は聞きたくない。あんな姿を見る前なら、もう少し晴れた気持ちでこの声を聴けたのだろうか。けれど今はその声に嫌悪感しか覚えない。

「あ、母さんたちがいなくなったと思って自分でお金を稼ぐのね。けどその状態じゃ引き取ってもらえないわ。ほら母さんに貸して、魔石を取り除くから」

 女が僕に近づいてきて、僕の狩った獲物を捕ろうとしてくる。だから僕はその手を払った。

「ど、どうしたの? イザヤ」

「悪いけどこれは僕が狩ったものだ。それにこれはお金にするものじゃない。魔石ならほかのものをとった。これはほかに使う。あんたには関係ないだろ」

「あ、あんた? ・・・・母親に向かってなんて口の利き方をするの。そんなことじゃ父さんも悲しむわよ。あのねイザヤ、驚かずに聞いてほしいんだけど・・・・」

「死んだんだろ。知ってるさ。瓦礫の下敷きになっていたらしいな。それを見た僕の友人が教えてくれたよ。ざまぁみろとしか言えないな。僕のことを見捨てた報いだ」

 僕の言葉に女は驚き、みっともなく否定しだした。

「見捨てた? 違うのよ。確かにあの時は目の前のものに目が眩んだけど、あなたのことを見捨てたわけじゃないの。」

 女がぎゃあぎゃあと何かわめいて僕に弁明しているみたいだが、何も届かないし、響かないし、聞こえない。

 どれだけ御託を並べても僕の考えは変わらない。僕を見捨てた裏切り者。それだけだ。

「イザヤ聞いてるの? 父さんも母さんもあなたのことを思って、イザヤにいいものを食べさせてあげたかったのよ。ね、だから帰りましょう。すぐに許してくれなんて言わないわ、少しずつでいいから母さんたちの考えを分かってほしい」

 なんて自分勝手で、強欲で、傲慢な人間なのだろうか

 裏切った相手に対して、自分たちのことを理解して受け入れろだなんて、そんな都合のいい話があるわけがない。

 こいつらのせいで僕がどれだけ絶望したか。もとはと言えばこいつらのせいで鈴蘭が死ぬ羽目になったと言っても過言ではないのに。

 もちろんこれが僕の勝手な言い訳だなんて、僕自身分かっている。でも許す気にはなれなかった。

 女が僕の手を引こうと近づいてくる。だから僕は一度魔族を置いて近づいていく。

 母親もその行動が自分たちのことを理解してくれたのだと勘違いしたのか、笑みを浮かべていた。

 けれど僕のとる行動は一つだけ。もちろんこんな女についていくことじゃない。

「悪い母さん。僕はついていけない。もう他にすることが見つかったんだ。守ると、約束を果たすと誓った相手がいる。それを果たすには母さんの存在は邪魔なんだ。書類には親族はいないって書く予定だから、生きていられると邪魔なんだ」 

 僕は母さんの頬を両手で押さえる。そして、

「今まで育ててくれてありがとう。昨日までの母さんは大好きだった。そしてさようなら。僕の一番大嫌いな人間」

 思いきり首を捻った。バキバキと勢いよく首の骨が折れるのがわかる。音でも手の感触でも。

 三百六十度回転し、もう一度僕のことを見てくるその目はすでに動いておらず、ただの死体となり果てた。

 僕は魔族と今殺した人間を抱えて、今度こそリアンのいる家への帰路につく。

 リアンには魔獣を抱えているところを見られて、警察に通報されそうだったからやむなく殺したことにして食べてもらおう。吸血鬼は人間も食べるから問題ない。

 この人を探す人もいない。だって僕が本当なら探すべき人なのだから。

 

「イザヤ本当にいいの? この人って・・・・」

 イザヤが持ち帰ってきた獲物の中に人間が入っていた。魔族のほうがはるかに大きく存在感があるのに、私の目はどうしても人間のほうに向いてしまうのです。

 イザヤが言うには、魔族を抱えているところを見られて警察に通報されそうだったからやむなく殺したと。

 食べてしまえば証拠も残らないし、そもそも誰も見ていないところだったから僕とは関連づかないと、少々耳を疑うような犯罪者のような言動があったのですが、イザヤが本当に初見の人を殺めるとは思えなかったのです。

 だって吸血鬼になったとはいえ、感情も理性も残っているのに、そんな簡単に割り切って人間を殺すことができるのでしょうか?

 人間の時から殺人を楽しんでいるような狂人ならばいざ知らず。イザヤはただの一般人だったのだから、そんな簡単な話ではないと思うのです。

 殺した人の顔を最初に見たとき思いました。顔の造詣がイザヤとそっくりな人だなぁって。

 試しに傷をつけて、そこから流れ出た血を数滴吸って確信しました。この人はイザヤの親族、母親なのだと。

 彼の血の味と似すぎている。血縁関係でしかここまで似せることはできない。

「イザヤ、この人はイザヤの母親なんじゃ・・・・」

「違うって言っているだろ。本当に初めて見た人だ。ここで警察に捕まるわけにはいかないかったから。警察に捕まれば星鳳学園への編入試験を受けることができなくなる。それはリアンとの約束が果たせなくなるから、それだけは避けなければいけなかったから、僕だって初見の人を殺めるのは心が痛んだんだ」

「けれど・・・・イザヤと血の味が・・・・」

「しつこい‼ 違うって言っているだろ‼」

 イザヤが大きな声を上げて私に怒鳴ってきました。その際、髪も目もそして八重歯が生えているのがくっきりと見えました。鋭い八重歯が。イザヤが本気で私に怒っている証拠。

 しばらく怒りで息を荒げていたイザヤは、落ち着きを取り戻したのか、

「悪い、つい感情的になってしまった。僕は少し一人で横になっているから、食事が終わったら呼んでくれ」

 そう言ってイザヤはソファに寝転がり、

「リアン、君は優しいから僕とこの人と向き合うべきだと思っているんだろ。殺してしまったこの人に対して反省するべきだと。けれどこの人はただ報いを受けただけだ。それに対しても優しさを向けるのは余計なお世話ってやつだぞ」

 それだけ言って、すーすーと寝息を立て始めました。誰でもわかるような噓寝を決めて。それはこのことを誤魔化したいのだと、自ら言っているようなものです。

 それに・・・・違う。

 私がここまでしつこく言うのは、私が優しいからでも、イザヤがこの人の死と向き合ってほしいからでもない。私はそんなお人好しな優しい存在なんかじゃない。もしそんな風に思っているのならば勘違いにもほどがある。

 ただ、ただイザヤが・・・・この人に謝りたそうな顔をしていたから。殺してごめんって、言葉を聞いてあげられなかったこと、この人の言うことを信じてあげられなかったこと、挙句の果てには自分の感情だけで命を刈り取ってしまったこと。この人に対して謝りたいことがたくさんあったんじゃないかって。

 ここで何も言わずに私が終わらせてしまうのは簡単だが、どうしてもイザヤに後悔が残りそうだったから。

 今はただ怒りが先行してしまったのかもしれないけれど、いずれこの時の自分を後悔するときが来たとして、その時に私が食べました。なんてそれで終われるのか。そう思ってしまう。

 けれどイザヤはクッション耳をふさいで、私の声を聴こうとしてくれない。

 イザヤが後悔しないというのならしょうがない。イザヤの言う通り私が食べずこれが警察に見つかれば、私たちの約束は果たせない。だったら・・・・。

 私は食事を済ませて、イザヤのことを起こします。

「終わったよ。次、イザヤの番。こっち来て」

 イザヤは目を擦りながらとことことこちらに歩いてきて、椅子に座りました。嘘寝だと誰でもわかるのに、そんな分かりやすい演技をして。

 私と目線を、背の高さを合わせてくれる。この優しい人間が後悔しないわけがない。

 私は昨日したように、イザヤの口の中に私の血液を数滴流し込みました。

 口を離して、数秒。イザヤは飲み込んだ血液の味を感じとったのか、立ち上がり、私の頭にポンと手をのせて、

「まずい」

 その一言だけ残して、さっき横になっていた場所でまた寝息を立て始めました。

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