絶望する者4

 空腹で足に力が入らない。足が痛くてもう動かしたくない。脳は危険だと判断している理性を、けれど死にたいという欲が上回り勝手に足は動いた。

 魔族の歩く速度よりも僕が必死で走る速度では、少しだけ僕のほうが勝っていた。だから聞こえてくる足音も少しずつ大きくなってくる。それが嬉しくて僕は走る速度を上げた。 

 引きずらられている何かが、道の角を曲がり路地裏に入っていく姿が視界に映り、僕も急いでその角を曲がる。そして驚いた。

 誰かの足音。それは間違いなく魔族なのだろう。後ろ姿でもわかる。

 背中からは漆黒の翼を生やし、引っ張る手の爪は人間のものではない。あの爪に切り裂かれれば人間の腹は裂かれて、はらわたが飛び散ることになる。足には何も履いておらず、裏に血がついているのだろう。真っ赤な足跡をつけている。

 僕が驚いたのはひきずられているものの姿だ。引きずられているのは人間ではない。そこらの動物でもない・・・・・・魔族だ。

 魔族を引きずる魔族。その異常な光景。

 基本的に魔族は魔族同士で殺しあわないと聞いている。

 人間の様に感情を持たないために、無駄な同士討ちをしないのだ。

 魔族同士の殺し合いをするのは、縄張り争いをする時くらいだろうか。食料の奪い合いをすることもない。それくらい人間は無尽蔵に存在するのだから。他を当たればいくらでもいる。

 そして当然ながら、魔族の中でも強者と弱者の区別がはっきりしている。同種の中でも弱肉強食が色濃く存在する。

 故に弱者は強者に無駄な攻撃をすることがほとんどない。縄張り争いが起きる前に弱者はその場を去る。だから魔族同士の戦いが見れるのはすごく稀なのだ。

 だからこそ、この光景は異常なのだ。魔族が魔族を引きずっている。ただでさえ見ることの少ない魔族同士の争いがおこっただろうに、強者となった魔族がその死体を引きずっている。要らないその死体を。

 魔族にとって魔族の死体は必要ない。それをどうすることもできないから。

 魔族は魔族を食べないし、放っておけば腐敗して異臭を放つ。人間の様に弔ってやるという知識も感情もないから、同種の死体も必要ない。つまり魔族にとって自分以外の魔族は不必要で、邪魔なだけだ。

 僕は一度路地裏から引き、角で様子を伺う。すると魔族は歩くのを止めて辺りをきょろきょろと見まわし、誰もいないことを確認すると引きずっていた魔族を置き、そして・・・・食べ始めた。

 今僕の目の前にいる魔族。それが、何の魔族なのか僕は知らない。

 けれど今の僕には、それを知る必要がない。魔族を食す魔族なんて、気性の荒い種族に遭遇した僕はここから生きて帰ることはできないだろう。僕の望んだ結末だ。

 だから僕は路地裏の角からその姿を現す。食事中の彼女の前に現れ、そして言い放つ。

「そこの魔族さん。お腹が減っているのかい。だったら僕のことも殺してくれないか。僕のことを食べてくれないか。若々しい高校生はきっとおいしいぞ」

 僕の言葉に食事する手を止めてこちらを振り向いた魔族の姿をした少女は、僕にとびかかり、嚙みついた。

 首筋に、その鋭い八重歯が突き刺さり、噛みつかれた痛みに僕は気を失った。


 目が覚める感覚がある。意識が急速に覚醒していく。

 自分の心臓の鼓動を感じる。肌に何かが振れている感覚がある。

 目を開けると視線の先には少女の顔があった。月明かりだけで映し出される少女は誰もが二度も、三度でも振り返るであろう程綺麗な顔立ちをしている。真っ白と言ってもいいくらい色白の透き通るような肌が、暗い中でも映えた。

 腰まで長く伸びた艶やかな銀色の髪も、触らなくてもその髪が触り心地がいいことはわかる。

 月明かりという少量の光の中でも、はっきりと光沢を放つ赤眼が日本人とはかけ離れていて、見慣れない目を美しいと思った。

 その綺麗な顔を見たいという男の理性のおかげで、意識が鮮明になっていく。

 ぼやけるようにして見えていなかった視界が開けて来て、どういう状況なのかも理解できるようになってくる。

 頭部に少女の肌が振れている感覚がある。さらには彼女の顔を見上げるようになっている。これは・・・・膝枕だ。

 頭部や首に当たる彼女の肌はみずみずしく、男の僕とはまるで違う女性特有の肌触りだ。

「起きた? おはよう」

 僕が起きたことを見て、僕の頭を支えて起き上がらせる。僕もそれに支えられながらも身体を起こした。

 周りを見渡せば、僕が最後にいた路地裏ではなく、どこかの建物の中であり、見知らぬであった。

 それがなぜか建物の中で少女に膝枕してもらっていた。

 僕の意識が蘇ることはなかったはずなのに。つまり・・・・。僕は隣に座る少女にとびかかり、押し倒した。

「・・・・お前だろ、僕を助けたのは。僕を助けて悦にでも浸っているのか。どこのだれか知らないが、僕は死にたがっていたんだ。お前の助けなんて必要なんてないんだ。お前の勝手な判断で助けた気になっているのかもしれないが、余計なお世話だ」

 助けてもらった恩人にこんな言葉をかけるのも、少女を押し倒すことも非常識であることは承知だが、思考が少女への憎しみでいっぱいだった。

 この少女が魔族に噛みつかれている僕を助けた。あたかも襲われている人を助けるヒーローになった気分なのだろうか。

 本当に僕があそこで襲われているのならば、感謝しかできない。少女に罵詈雑言をかけなどしない。

 けれど状況が違う。僕は襲われていたのではない。わざわざ魔族の前に現れて殺されに行ったのだ。この少女の人助けは僕にとっては、ただの自己満足でしかない。

「なんで僕を助けた。人助けのつもりか? いつ、だれが、どこで僕のことを助けてくれと願った? 僕はあそこで死にたかったんだ」

 僕は怒っている。死ぬはずだった。死ねたはずだった。それを邪魔されたことを。

 僕は泣いている。涙が流れる。死ねなかった。僕の苦しみが続く。僕の痛みが続く。鈴蘭を思う暗い思考が止まらない。

 僕は情けない。助けてくれたこの善人な少女に、罵詈雑言を投げかける自分が情けない。彼女だって、命がけで助けだしてくれただろうに。 

 怒りながらも、涙が出てくる。

 僕の顔から流れ出る涙が、少女の頬に落ちる。少女は僕が怒っている理由がわからないのか、キョトンとした顔をしている。

「何か勘違いをしていませんか。私のことを人間だと思っているようですが、残念ながら違いますよ?」

 何を言っているのだろうか。どこからどう見ても綺麗な少女の人間。

 が、少女が自分の手を動かして、自分の手の甲を見せつける。少女はにっこり笑って自分の歯を見せつける。

 僕の目に映ったのは人ならざる鋭利な爪。人の肌なんて簡単に切り裂けそうだ。

 鋭くとがった八重歯。人に嚙みつけば人の肌など簡単に貫いてしまいそうだ。

「私は、あなたを助けた正義感のある人間の少女なんかではありませんよ。私はあなたが自分を殺せと命じてきた魔族。〘吸血鬼〙です」

「・・・・・・・・は?」

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