行進

 山道をずんずんと突き進む男がいた。彼の顔はやけに自信に満ちていて、自分の進む道になんら疑いを持たず、地図も持たず、コンパスも持たない。装備はネットでろくに調べてもいない軽装備で、水も食料も十分量なかった。彼がこの山を登り切ったとして、下りはどうあるかわからない。行きだけで帰りのことを考えていないことは傍目に見ても明らかだった。ただ、それでも彼の顔に疑いの様子はなかった。不安などみじんも現れていなかった。彼が見据えているのはこの山の頂上だけだ。そこにたどり着くことだけを考えて、道程を消費していく。瞬く間にほかの登山客を抜かして、彼は一人突き進んでいく。

 そんな彼の様子を木陰から見守る目があった。森の動物たちだ。山にぐいぐいと踏み込んでくる不届き者の姿を一目見ようと、彼らは木陰にて匿名者になる。登山客は特に珍しいものでもない。彼が特異だったのは、あまりにも自信に満ち溢れたその振る舞いだった。見物客の数は徐々に増えていった。口コミが口コミを、噂が噂を読んで、突き進む彼の姿を見守る動物たちの数は、木々のキャパシティを優に越している。みしみしと木がしなる。それでも彼は、行進を止めない。動物たちはさらに関心を深めて、やがて彼の姿を追うようになる。

 最初にその背中についていくことを決めたのはイノシシだった。彼はまだ幼く、森の外の世界もろくに知らない。そんなイノシシが、親の静止を振りきって、突き進む男の後に付き従った。男は何ら気に掛ける様子はなかった。さもそれすらも当然であるかのように、振り返ることもせず、ただ己の道を貫いている。イノシシの友人が、親が、近しい動物から始まり、やがては森の皆が、突き進む男の後を追うようになった。

 行軍は百鬼夜行の様相を呈し、下ってきたほかの登山客も避けて歩いた。あまりの出来事に、マスメディアが面白がってヘリを飛ばす。世間の変化も、周りの評価も、男は気にすることなかった。ただ彼は自分を異様に過信して、ただ突き進んでいく。

 その先には崖があった。先達の残した地図もろくにみないままに突き進んでおり、そこに崖があることも、落ちる直前までは気づいていなかった。彼の自身に満ちた目は揺るぐことはない。彼が濁流にのまれて消えたのは一瞬の出来事だった。

 動物たちも歩みを止めることはなかった。順に、前から順々に、崖から滑り落ちていく。落ちる途中で、我に返ったものはいただろうか。濁流にのまれるその瞬間まで、状況に酔ったままでいたかもしれない。

 ヘリコプターも墜落し、森は炎上する。登山客にも飛び火して、延焼していく。それでもなお、第二第三のヘリが、彼の亡霊の後を追おうと飛んでいく。

 男の行方は知れない。ただ後を追う者たちの目には、いまだに彼の姿が映っている。

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