首吊り世界のプロトコル

 街には首つりロープばかりが見える。喧騒がうるさい街並みも今日に限ってやけに静かで、とぼとぼ歩く僕を追いかけるのは僕の影の自作自演。普段通りの街並みも、吊られているだけで違って見える。地面が汚れてハエがたかっている。きれいなところはほとんど残っていなくて、どれだけ人間がたくさん住んでいたのかがよく分かった。

 一晩もあれば、世界が変わるには十分だ。僕は常々それを思い知らされている。目まぐるしく変わるニューストピックは昨日と今日が別の一日であることを物語る。変わらないものを求めても、どうにも見知ったものとちがう異物感が頬をくすぐる。

 今日も、昨日の面影はどこにもなかった。みな希望を捨てて死んでしまったようだ。僕だけ死に時を見失ってしまった。首の吊り方もよくわからなかった。ただ途方に暮れて、明日のことを何も考えずに、今日をどうやって終わらせるかを考えていた。明日が今日と違う一日であるなら、きっと明日はよりよい一日になっていると信じている。

 歩いていると、一人の少女と出会った。歳はまだ二〇にも届かないくらいだろう。僕と同じだ。彼女も今日を持て余して歩いていたようで、僕を見つけるなり暇つぶしの相手を見つけたというような表情をした。

 僕らは並んで歩いた。時に離れて歩いた。変わってしまった街並みの中に、昨日までの面影を探して回った。お腹が空いたのでコンビニのレジにお金を置いておにぎりを持ち去った。おにぎりは味がしない。辛めのキムチ入りのものを選んだが、知っている刺激はなかった。すべて灰のようにパサついていて、炊飯器の裏にこびりついた米粒のように僕を拒んだ。拒んでいたのは僕の方だとすぐに思い直す。やけに温い水で流しこんで、無かったことにする。

 日が暮れるまで歩いた。僕ら以外に、今日を生きている人間を見つけることができなかった。通り雨をやり過ごすために知らない軒先に厄介になった。僕たちはもう、明日の話をしなくてはいけなかった。

「ひとつ、ルールを決めましょう」

 少女はぼそりとつぶやいた。ただそのつぶやきは芯のある輝きを伴って、拠り所たる安心を与えてくれるのだ。

 変わらない何かが欲しかった。今日が昨日になって、明日が今日になっても、続いていく何かが欲しかった。偽物めいた世界に囲まれて、今日の自分にも確信が持てなくなる中で、ひとつ世界が続いていることを裏付ける証拠がなければ、僕たちは僕たちが連続していることを信じられなくなるだろう。

 だから、一つ決めた。僕らの考えに相違はなかった。この世界には、僕と少女の二つしかない。だから、僕らの間に共通する取り決めをする必要があった。

 僕らはまた、いずれ会うことになるだろう。そんな確信をもって、今日が昨日になる。

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