画廊にて

 仕事の帰りだった。電車のつり広告に、美術展開催の情報が載っていた。それはいつも通勤のたびに目にしていたものだったが、その日の僕は、広告に妙に惹かれた。疲れているのはいつものことだ。ならば要因はきっと、今日という長い一日の中の、些細な一言にあるのだろう。

 目玉として推されている一枚の絵画が大きくピックアップされていて、その背景にはうっすらと、他の絵画の姿も見えた。それは全体で一つの作品を成していて、多くの著名な絵画たちは、宣伝効果のために、単なる構成要素とみなされていた。しかしどれも輝きを失うことなく、一か所に目を向ければ、確かな個性を返してくれるのだった。

 どの絵画も、いつかどこかで見た覚えのあるものばかりだ。「日本初上陸」だとか、「世紀の巨匠」だとか、そんな派手な言葉が踊り狂って、絵画たちはしかめ面を浮かべているようだ。一番大きな絵は、女性の上半身のみが書かれたもので、長い前髪に隠された奥に、静かな、自らが安売りされ、貶められたことに対する静かな激情が、見え隠れして見えた。会社携帯で明日の有給を申請して、僕は美術展に行くことにした。

 平日なので、人は多くなかった。老若男女問わず、チケット片手に厳かな雰囲気作りに身をやつしている。怪訝な目で見られることもなく、ふらりと人の合間を縫って、絵画を見て回る。見られて穴が開いた絵画ばかりだ。僕が見るべきところなんてほとんど残っていなくて、皆が食い荒らした残飯を寄せ集めて食べている。どこかで感じたことのあるような味ばかりで、おいしいけれど舌は満足しない。どこか物足りなさを残して喉を通り過ぎていく。

 あっという間に美術展は終わる。帰路、消えた有給一日分を天秤にかける。画廊があることに気づいて、またふらりと立ち寄った。

 美術展と違い、人はほとんどいなかった。一人か二人、裕福そうな夫婦が連れ添うのみだ。画商は彼らにかかりきりのようだ。ちらと僕を見たが、冷やかしと考えたのか興味なさげだった。実際、僕に絵の価値なんてわからない。ただ絵を見ている自分に酔っているだけだ。誰に対してアピールするでもないのに、中途半端な体裁を保って満足している。誰の姿をトレースしたものかもわからない。ただ変わるための努力をしようとはしなかった。

 小さな画廊なので、見るべき絵も多くはない。作者も知らない。何もわからない。見ていることが恥ずかしくなって、見られている感覚に襲われる。

 画廊の隅に、穴の開いていない絵が飾ってあるのを見かけた。僕と目が合った。題名のわからない絵だった。自分はこの絵を見るために生まれてきたのだと錯覚する。また、人の触れないものに酔っていたいだけだ。ただその痛々しさ、美しさがこの絵に現れているように思えて、妙に落ち着くのだ。

 買うことはしなかった。そんな余裕はない。ただ同じような存在の姿を見られただけで、僕は費やした日々に見合うだけの一日を過ごせたように感じていた。

 足取りは依然として重い。僕が何かに変われたわけではない。何者になれたわけでもない。ただ見るべき価値のない一枚の絵が自分自身のようで。

 帰りにコーヒーゼリーを買おうと思った。

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