黄金塔より君に告ぐ②(終)
かつてもそうだった。一泊の恩を受け目覚めた朝、たまたま、村の老人の最後に立ち会うことになった。泊めていただいた家が朝から出るというので、僕もそれに付いていった。老人は、老衰ゆえの自然死だ。ただ、村では、自然死することは許されていなかった。
大きな鉈を手に巫女が現れ、皆からの期待を一身に、その小さな背中に受けていた。そのころ、まだ二十歳にも届かぬ少女だったはずだ。それでも村の風習は、彼女に責任を押し付けることをいとわない。
下されぬ死は、死後の災いをもたらすと、ある婦人に聞いた。それゆえに、神の使いたる巫女の手で、「とどめ」を差されなければならない。人が殺されるのを見るのは初めてだった。気分が悪くなった僕は、便所で嘔吐した。皆が当然のように受け入れている異常が僕の胸の奥をざわめかせる。
僕は村を出る直前に、隙を見て巫女と話す機会を得た。彼女の表情に脅えが現れているように見えたためだ。一緒に逃げるのならば、手を貸そうと提案した。学生の僕が語るには、ずいぶん大それた話だったと思う。ただ、身一つであるがために、無謀なこともできた。ただ。彼女はそれを断った。今は、もう少しやりようがあったとも思う。
僕の頭の片隅にはこのことがずっとひっかかっていた。そして、人類最後の日。多くの「下されぬ死」が降りかかる中で、僕はどうしても、彼女のことが気がかりだった。この村の最後が気になって仕方なかった。
来てみれば、案の定。村の人々は、我先にと、巫女に殺されることを懇願している。血みどろの衣服の数。いくつ死んでいるのかもわからない。彼女がこれまで、そして今日だけで、何人殺したのかもわからない。村の人々は僕に気づいていない。目前に迫った最後に、ただ怯えている。
久方ぶりにみる彼女は、少しやつれて見えた。僕は声をかけようか迷った。この地獄から救い出せるのは僕だけだと信じていたし、彼女がそれを望んでいるか確かめたかった。彼女がそれを望んでいるならば、僕は次こそは、彼女を連れ出そうと決めていた。
ふと、彼女がこちらを見た。目が合った。黒々と濁った眼に、果たして僕の姿が映っただろうか。血の気の引いたような顔。見られたくないものを見られた子供のような表情で。
次の瞬間には、彼女は汚れた鉈を自分の首に突き立てていた。かすかに残った巫女服の白い部分が、瞬く間に赤く染まっていく。僕は見ていることしかできなかった。真っ黒な目が閉じて、僕にはもう目を合わせることもできなくなった。
村人たちは、突然の事態に驚嘆した。事態を飲み込んで絶叫した。「正しい死」がもたらされぬ事実を知って、行き場をなくしたように、ふらふらとさ迷い歩く。先の見えない不安に、皆の表情が路傍に溶けていった。
僕にはどうでもよかった。ただ、彼女の真意が知りたかった。バイクのライトがふっと消えた。巫女服は頽れる。もはや、手の届く距離にはないのだ。
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