寄り添う人

 最近、黒い球体のような人をよく見かけるようになった。全身ではなく、体のどこか一部が、球体のようになっている。そしてその人たちは、みな誰かに寄り添うようにして立っている。何を言うでもない。ただ時にうつろな目で、虚空を見つめている。寄り添われている当人は何も気づいていない様子。一度たりとも寄り添う人に目を向けず、振舞いも自然に避けるようだった。

 先週事故に遭ってからだ。頭のどこかに支障が出たのだろうか。医者に打ち明けるのは怖くて、ただすぐに解決せねばならない問題であるように感じている。悶々とする日々を過ごした。決心した僕は、病院に赴いた。出入口は啓発の張り紙でおおわれている。いつも掲示板は忙しい。色を抜かれたような人々が、ふらふらと歩きまわっている。目を引くのは、医者たちが纏う嘘のようにまっさらな白衣だけだ。

 入院中にお世話になった看護師さんがいたので、呼び止めてこの症状について聞いてみる。看護師さんに寄り添う人が、一瞬こちらを見たように感じる。「気づかれた」かと焦るも、彼はまた興味ないようだ。看護師さんの顔は話を聞くほどに、引きつっていった。

「ごめんなさい。あなたはどこも悪くないわ。気にしなくていい。ただ、もうその話は誰にもしないで」

 そう、人が変わったように。看護師さんは、仕事があると言い捨て、足早に立ち去る。僕は、体の中身が半分以上抜かれたような軽さだ。それでも何故だか足取りは重い。「誰にも言うな」が反芻して、周りの誰もが浮ついた紙人形のように見えた。その誰にも寄り添う人がいて、世界が二倍になったようで窮屈だ。

 家に帰る道すがら、どこも寄り添う人でいっぱいだった。誰も気に留めていないのが、不愉快で仕方なかった。僕にだけ見えているのか、そう思うと、何もかもが気持ち悪い。思えば、僕が見ているものとほかの人が見ているものが一致しているのかなんて、誰にも証明できない。途中で帰る気力がなくなり、僕は近くの公園のベンチに臥した。横を見ると、左肩に黒い球体を抱えた、寄り添う人がいた。僕の、寄り添う人。若い男の風体。見たことのない顔。

 別のベンチに座る老人が、彼に寄り添う人と話していた。僕はお尻の下に爆弾が落ちたように立ち上がった。彼の寄り添う人はうつろな目をしたままだ。ただその老人は、確かに寄り添う人と話しているのだ。

「あなたの隣に、私の隣にいる人は誰なんですか?」

 老人は目を丸くしていた。僕と目が合うことはなかった。逡巡、迷い、驚き。いくつもの表情をまたいだ後、ポツリと。こう語った。

「私は、もう「死」を受け入れているのだ。君もきっと、感じつつあるのだろう。人はみな、いつかは受け入れなければいけない。ただ、今は目を背けて束の間の今に浸っていたいのだろう。どちらも、誰にも、責めることはできない」

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