ディストピアのトカゲ

 かつて四条と呼ばれていた街を、僕は訪れた。空を覆う灰色の雲はいつにも増して濃い。マスク越しでも、灰がフィルターを通り抜けて僕の鼻腔を貫くのではないかとおびえる。それでも、この街に来なくてはならない理由がある。仕事で得たなけなしの通貨の使い道は、今の僕にはもうこれしかない。

 その店は、旧河原町駅近くの川沿いにある。辺りには闇市場が栄えていて、治安が悪い。人死にが起きることもざらだ。懐に忍ばせた拳銃を使う機会が訪れないことを祈る。背筋を曲げていては、侮られるだけだ。目は合わせず、ただし自分の主張は曲げない。それがこの世界の正しい生き方だと信じている。

 人間以外の生物のほとんどが死滅して、もう一〇年は経つ。人間は打たれ強い生き物で、環境への順応の速さたるや。はじめは違和感のあったマスク生活もすぐに慣れ、常識になる。人工肉も、旨く感じるようになった。ただ一つ、どうしても受け入れられないことがある。

 店の門構えは、以前訪れた時から何ら変わらない。頽れた商店街の一角に、今にもつぶれそうな店が一つ。ただほかの店の有り体から見れば、まだ元気な方にも見える。きしむドアの開くのを見ながら、僕は持参した財布の中身を手探った。いらぬ期待を負わせたくない。いらぬ恥をかきたくない。財布の中に必要十分な数の通貨があることを確かめ、僕はその扉枠をくぐる。

 店主は僕の顔を覚えていたようだ。このようなご時世で、こだわりを持つ人間のほうが珍しいのかもしれない。彼が売っているのはトカゲだ。生きたトカゲではない。人工のトカゲ。しかし彼のトカゲは工場生産のものとは一味違う。職人の御業がそこには見て取れた。本物のトカゲは、この世にはもういないらしい。だからこそ、このような職業が必要とされるわけだ。僕は三度目の来店だった。この世界に雲が落ちる前から、僕はトカゲが好きだった。この世界に雲が落ちた後も、どんなに生きることが困難になろうとも、僕は僕のルーツに触れざるを得ない。

 店主とのやりとりはごくわずかだ。いくらかの言葉を交わし、金銭を渡し、契約を交わす。僕は小さな籠に入れられた人工トカゲを携え、また元来た道を戻る。

 店主の彼には親近感がある。この世界が荒れてなお、自分のルーツに正直でいる。きっと本能的なものなのだろう。僕はそれにひどく安心する。自分と同じ人間がいることで、間違っていない確証を深める。世界がどんなに変わろうとも、僕は変わらない。ただその確信を持ちたいのだ。

 新しく得たトカゲにやる餌のことを考えていた。次はいつになるだろう。安給料の僕には贅沢だ。ただ生活をなげうっても、自分の「好き」は曲げたくないのだ。

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