第33話 生ける鋼鉄骨格様へ


 俺は目を開けた。

 机に手をつけ、得体のしれない電子頭脳と直結した端末から身を離す。

 椅子が俺を乗せたまま、一秒だけ床を滑る。

 時間というものの速度は、こんなにも早かったろうか。

 VRゲーム内で出会った三人。バルセロという考えなしの者。メヅという不明な者。

 そしてカトウ……彼女とは現実で出会っているが、その現実というものが、今の俺にはあやふやとなっていた。

 俺がメヅと争い、死んだあとにバルセロからメッセージが届いた。謝罪とも礼ともつかないテキスト。

 通話をバルセロに繋ぐ。あっさりと奴は応じた。

 いわゆる電話といっても、相手の声が合成音声ではないとも限らない。そんなことは考えるだけ無駄だ。なにせ、そういう時代だからだ。

 俺はバルセロへ問いかけた。何を問うか思いつかない。自分は単に誰かと会話したいだけかもしれないと気づくと、言葉が出た。

「なぜ俺を誘った?」

「あんたが、奴に一度勝ったからさ。俺は運というのを信じるタイプなんでな。相性と言い換えても良いかな」

「待ってくれ。俺がいつ勝った?」

 バルセロの予想外の言葉に戸惑った。だが、俺にはその答えが既に――。

「忘れたのか? 無人機があったビルから狙撃しただろう」

「あの時……タブレットで妙なアプリを使っていたが、ハックしたのか?」

「単なる予測だ。一昔前の天気予報みたいなものさ」

「あんな規格外の状況にも対応できるなら、予測なんて生易しい代物ではないだろう」

「予測というのは計算だ。入力する数値を状況に応じて変えたまで……。なんにしても、知的財産侵害の恐れはクリーンだ」

「随分と危険な行為だな」

「危険だって?」

 バルセロの声に笑いが混じる。嘲りかもしれないが、俺はその感情の変化に人間味を感じ、ある種の安心を――。

「あんたのほうが危険だ。ブチ切れて、自爆して、俺を撃ち殺した」

「悪いとは思っている。今でもな」

 俺は笑ってそう言った。それが本心であるがゆえに。

「まぁ、いいけどよ。あのムカつく奴はぶん殴れたことだしな。……それで、どうして奴に勝ったのを忘れていたんだ?」

「理由なんかいいだろう。別に」

「なに、押しつけがましい俺からの助言だよ。忘れた理由まで忘れちまうのは、危険な兆候なんだぜ」

「妙なことを……。ああ、俺が廃人になりかけているということか?」

「ゲームは心の鏡とも言うぞ」

「そうか。まぁ、気をつけておくよ」

「ああ。俺も医者ってわけじゃないが、結構正しい説だと思うんだよ。『ゲームは心の鏡』ってさ……」

「……知り合いに似ていたんだ」

 短い沈黙。それは必要な沈黙だった。バルセロにとっても、俺にとっても。

「……知り合いってのは、あいつがか?」

「ああ。最初にあった時の顔が、俺の知り合いに似ていた。仲が良いとか悪いとかなんて関係でもないが……顔面を撃って、そのことを覚えていたい相手ではなかった」

「……気にするもんじゃないさ。あのゲームでの顔なんて、勝手に生成されるものだ」

「そうだろうな」

「それに、今思えば、こっちにも見覚えのある顔だった。古い知り合いで、憎たらしい奴で……撃つの、私が変われば良かったかな……」

「本性が出てるぞ」

「えっ? ああ、まぁ、気にするな!」

「そうするよ」

 会話が終わる時が来たと感じた。それから、俺とバルセロはわずかに言葉を交わし、別れた。もうこのサイコロのように多面的な人物と会うことはあるまい。

 今は、あのバルセロとの会話が、昔のことのように思えた。

 振り返り、淡々と恐るべき予測を俺へと見せ続ける端末を眺めた。予測を見たところ、この偉大な電子計算機は、俺の死後数百年は弊社へ儲けをもたらし続けてくれるようだった。

 俺はストレッチを始めた。首、肩。更に目の緊張をほぐすために遠くを見てみる。ビル、窓、ビル、窓。加えて、都市文明を成り立たせる装置たちを……空と壁を……数多の人影を……。

 ついに終えると、なぜだが、そうしたくなり、俺は白いメモ帳へと寄っていった。

 ボールペンを走らせる。赤いインクが順調に字を成した。

 そこにはごく近い未来があった。

 『連絡→ナカマチ』と。

 

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