第32話 遠い国と繋がりたいJUWAKI


 目覚まし時計が、ぢりぢりと、けたたましく鳴る。

 聞き慣れない音だった。枕元を探るが、手には何も当たらない。

 ただ鳴るだけの時計の置き場所がどこであるかという記憶は、夢の中へ落としてきてしまったのだろう。

 部屋が物音で騒がしくなる。人間が立てる音だ。恐ろしく素早い動作であることを察せられた。

 目覚ましはまだ鳴りやまない。この部屋に目覚めていない者がまだいるからだ。

 ようやく自分も起床せねばと決心し、眠たげな筋肉と骨を掌握する。

 身体を起こしたところで、何者かによってカーテンが引かれ、朝日が静かにやってきた。

 そのすぐあとに、この部屋の扉を開けて出ていく誰かの後ろ姿が見えた。着替えなども済ませたらしい。

 開いた扉はそのままだ。お互い、朝の時点では部屋の扉を開けっ放しにすると決めていた。

 小さい子供の時から、ずっとそうだ。

 姉というのは、誰が弟でもそんなものなのだろうか?

 当時の決まりを今でも守られるのは、心理的な抵抗がある。

 ここには他にも二人の住人がいて、どちらも女性だという事実が、俺を臆病にさせていた。

 考えすぎかもしれないが、その二人の女性と俺の姉は、俺自身のプライバシーをやや軽んじているように感じる。

 例えるなら、風船へ空気を注入する作業を割れるかどうか楽しみながら行うような……。いや、そんなことを特にするのはナカマチという人だけなのだが。

 今のところ、俺という風船は割れずにいる。ここでの日々を冷静に過ごしているという事実は、自分でも不思議だった。

 快適、なのかもしれない。

 ……そして俺は、ごく平凡に、極めてありふれた朝を過ごすための行動を順次済ませていった。

 食堂へ向かう。無人。

 棚からマグカップを取る。他の人たちと区別しやすいように赤いものを買ったのだった。

 蛇口からマグカップへ口一杯に水を注ぐ。飲む。平凡でありふれた行動だ。平和とも言う。

 朝食はどうするか。冷蔵庫に夕飯の残りが入っていた。

 プラ容器に保存されたそれが一人分なのか、二人分なのかがわからなかった。住人の誰かが食べるつもりなのかもしれない。

 こういった事の判断は、ここに住んで長い姉に尋ねたいのだが――。

「ナポリタンにしようぜ」

「タバコ臭っ! 誰ぇ!?」

「少年よ、驚く理由がひどくないか?」

 金髪の女性が、振り向いたすぐそばにいた。

 一体誰なんだ、この人は。

「でも――ナポリタンは昼で良くないですか!?」

「朝食うか昼食うかなんて本場のイタリア人でも考えんわ。第一”でも”ってなんだよ。何か言いかけたのを誤魔化しただろう。まぁ、別にタバコくらい本当のことだからいいけどさ。それよりもだな、どうしてここに男が――」

「いや、”デモ”って政治的な話題をその……」

「なにが政治だ。嘘つけ!」

 女性の目つきが鋭くなる。

「男子禁制のここにいる訳、聞かせてもらおうか」

「あのー政治って言っても、性転換に近い話なんですよね。急な手術は不安だなーって……」

「言い訳が強引! ああ! あいつの弟だって感じる! というか後で性転換するとしてもお前、今は男だろうが!」

 怒鳴る女性の背後に、姉がいた。

「カヤノ、お前なぁ――」

「いいじゃないですか」

「一つもよくねぇだろ!」

「彼、いや彼女を信じてあげて、今日はお帰りください」

「姉ぇ! 弟ぉ! 今日こそは騙されんぞ!」

 どうなるのだろう。

 不安だけが、俺の心に渦巻いていた。

 そんな俺の視界内へ、新たに二人の女性が現れた。

 不安げなサシドリさんと、何を考えているかわからないナカマチさんだった。

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