第29話 三重影身 中編
花の多い場所だった。園芸店かとも思ったが、公園なのかもしれない。
並べられた鉢植えが人工的でカラフルな草原を形成し、人間が通れるのはその隙間だけだった。やはり、公園かもしれない。
俺は随分と穏やかな時間を過ごしていた。戦闘が一日中続いているような街だが、こんな時間がまれにある。
銃から弾倉を取り外す。また銃へ戻す。こんな行為をする暇がある時間は、穏やかだとしか言いようがないだろう。
天井から降り注ぐ光――自然光ではなく人工灯だろうが、それは暖かい色合いをしていた。風や、鳥のさえずりなどは一切聞こえないが、重機関銃特有の重たい銃声が遠くから届けられた。すぐ後に弾けるような爆発音が続いた。これは手榴弾によるものだろう。
銃声がまた。爆発音がまた。それから静かになった。
通知欄を見ると、敵味方の双方で死人が出たようだった。その現場で、どちらが勝ったのかはわからない。
どうなったかわからないのは、俺自身の状況も同じだった。
先刻、妙なメッセージを送ってきた男――女かもしれないが、そのバルセロという奴と俺は一応の協力関係を結ぶに至った。
バルセロは作戦があるといった。それは作戦と呼ぶには曖昧な代物だが、俺に代わりの案があるわけでもない。
カトウは『やり返せる機会があるなら活かしたい』などと述べた。やる気があるのは良いことだが、俺はこの事態がチーターを倒せば解決するようなことではなく、余計にこじれる可能性もあると考えていた。
最適なのは、つきまとい行為があったことを理由に、このゲームの運営組織へ通報することだ。それが問題解決の近道だろう。バルセロやカトウは不満かもしれないが、それは結局本人のプライドの問題だ。プライドなんてものは捨てちまえと俺が言って、二人が聞き入れてくれたら事は早いが、そう上手くはいきそうにない。
だから、俺はバルセロの作戦に応じたのだ。穏健派が武闘派に下されたと言えば、格好がつくだろうか。
それよりも、重要な疑問が俺には一つあった。その疑問の答えによっては、俺はこのゲームを引退しなければならないかもしれない。
その疑問とは、あれほどあからさまな不正行為を働いているチーターが、なぜ野放しにされているのか、という疑問だ。
以前から、監視機能が発見した不正利用者に対処したという発表は何度か見たことがある。怪しいプレイヤーを見つけたと通報すれば調査もされ、相応の対応がなされるはずだ。
それでもあのチーターは無事でいる。要するに、奴が行っている不正は監視機能をすり抜けているということだろう。加えて、通報もされていない……?
あの日起きた重大な不正行為を目撃した二人――俺とバルセロ。
バルセロは運営に介入させる気はないと語っていた。
一方の俺は無気力だった。虚脱状態へ陥っていたと言ってもよい。
あの時の気分を説明するのに適した記憶が俺にはある。
子供の頃、いつも同級生ばかり集まっていた遊び場へ一番乗りしたと思ったら、先にいた上級生によって乱暴に追い出された記憶だ。あの切なさを上回るのは失恋と加齢くらいなものだ。
時代を今へ戻そう。結局のところ、俺はすぐさまやってくる日常の忙しさに埋もれるうちに、あんなあからさまなチーターなどすぐに処分されるだろうと考えるようになった。つまり、バルセロも俺もチーターのことを運営に通報していなかったということだ。
しかし、以前に俺とチーターが会った時、奴は数人のプレイヤーを倒していた。倒された彼らも通報しなかったのか?
プレイヤーから通報を受けた運営が調査したが、有罪にはならなかった……。そう見るべきなのか?
そうなのだとしたら、この遊び場には乱暴な上級生が永遠に成長もせずに居座り続けるということになる。しかも、その上級生は俺に目をつけているときた。
不快な経験を繰り返さない手段としては、俺自身がこのVRゲームから引退することも考慮しなければならない。
まぁ、他のVRゲームを体験する機会を得たと考えれば……いや、さすがにそれは情けないにも程がある考え方か?
考えこむ俺の視界の端に、カトウが立っていた。武装した姿からは物々しさばかりが伝わってくる。
「コウツさん、あちらと合流しませんか」
俺はもう少しの間、考えることにした。
カトウの提案にある『あちら』とはバルセロのことだ。
奴が立案した作戦とやらを了承はしたが、何でも有りなチーターとの戦いは元から圧倒的に不利だった。
バルセロは自分が狙撃すると言っていた。そして、狙撃はたしかに実行された。
しかし、通知欄にチーターの死亡届が現れていない以上、あの狙撃が失敗したのは明白だ。
ただ、まだバルセロも死んではいないようだ。チーター側がクールタイムを挟んだのだろうか。
状況は相変わらず濃霧で見えないが、だからといって何も決めないのも不可能だ。
「戦力を……全員一丸となって戦うのは、気が早いと思いますよ。あのチーターが複数人相手でも勝つところを見たことがあるので、バルセロの作戦が相手にバレたかどうかがはっきりしないうちは、まだ気が早い……かもしれませんね」
「それもそうですが、時間がかかりすぎるのも少し……」
カトウは言葉を濁した。そのくらい察して、とでも言いたげに。この事態を早く終わらせたいのは、俺だって同じさ。
俺とカトウが異なるのは、この場で卑怯なチーターに敗北してもよいかどうかという点だ。もちろん、俺は負けても構わないと決めている。
「……そうと決まったら、早速向かいますか。先頭は俺が行きますよ」
「はい、よろしくお願いします」
俺はカトウと共に移動を開始した。
先ほど固めた自身の決意を裏切る形となったのは、俺自身は底が抜けた風呂のような無気力人間であっても、やる気に満ちた人間と付き合うことに関しては、むしろ好きなくらいだったからだ。
そこで俺はふと、バルセロについている協力者の存在を思い出した。
「そういえば、あちらにはもう一人いましたね」
「ええ、私の知り合いで、こういうゲームに慣れている人です。今日は無理を言って来てもらいました」
「急な頼みだというのに、親切な人ですな」
「まぁ、お互い長い付き合いですからね。向こうに着いたら紹介しますよ。案外、コウツさんと気が合うかもしれません。そうしたら、チーターと戦うよりも面白いかもしれませんね」
大した内容ではないが、気さくなカトウの発言にやや戸惑う。向こうに着いたら、か。まるで現実世界で会うかのような言い方だ。友人も恋人も、そうしてこの世界で作るのだろうか。仮想空間と現実世界との区別は、若い世代ほど希薄だそうだが……。
世代間の差はさておき、俺は彼女が少し前向きになったように感じた。目の前の出来事を越えた先まで見通すようになるのは、良い傾向だろう。
それに俺も、お花に囲まれていつまでも過ごせるほど、まだ歳を食っちゃいない。
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