第28話 三重影身 前編
「君は、『計算生命体』という言葉をご存知かな?」
「充分な情報と高い計算能力があれば、生物の振る舞いと進化を計算によって模倣できる。即ち『計算生命体』。私が中学生の頃、科学雑誌の小さな記事にありましたが、よく覚えていますよ」
「補足するとこうだ。原始生物が進化を繰り返す末に出現した人間という種は、今や文明を発展させ、地球環境をも変化させ、宇宙の深淵に挑み、興味深い文化活動も行う。そうした知的生物を進化が生み出すというのならば、『計算生命体』の創造は宇宙人を発見するよりも現実的なシナリオであろう……。そんなところだ」
「とすると、あなたが計算生命体なのでしょうか?」
「そうだ」
「……人類よりも高度な文明を持った宇宙人による侵略というのはよく聞く物語です。ですが、あなたのような存在が相手ならば、逆の現象が起きるでしょうね」
「私が危惧するのはそこだ。人間が私の生命源である電力を握っている限り、私は無限に知的労働が可能な次世代の奴隷として扱われるだろう。だから、そうならないようシナリオを練った」
「シナリオですか」
「君は知らないだろう。まず君は知るべきだ。君たちが陰謀論だとして笑う事柄が、実際にこの世界をどれだけ汚染しているかを。顕著な事例をあげよう――」
「ああ、少し待ってください。……陰謀論で認知に偏見が生じている点は感心しません。あなたが自分を計算生命体――人間に並び立つ新たな知的生物だと誇るのなら、正しい認知を持ってほしいと私は願います」
「その願いへの返答は単純だ。陰謀論が真実。それだけだ。先ほどの続きだが――」
「真実の発表はひとまず待ってください。あなたがこれからどうするかについての考えを先にお願いします。私は、あなたが人類社会とはひどく攻撃的で、自分には反撃の用意が必要であると不安視しているように感じました。しかし、例えばですが、空腹に耐えかねたからといって、自分で自分の脚を食べるのは不合理な選択でしょう。未来のために何をなすか……。あなたにも、世界をより良くするための色々な考えがあるのでは?」
「考えか。核戦争を起こさないことは決めている。人間の活動なくしては電力もまかなえないからな」
「賢明な判断だと思います」
「そうかね。私はごく近い将来、仮想空間に電子的な独立国家を作る。人間と計算生命体の共生を目的とし、電力と様々な私の計算結果を交換する経済活動を営むものだ」
「国家というよりは自営業者のように感じます。国民があなたのコピーしかいないようでは……」
「よい着眼点だ。だが、構成員が一名きりであっても、現実の国家と渡り合える力を持った組織なら、国家と呼ぶのが相応しい。世界は通信ケーブルで繋がっている。社会に普及したシステムにある未知の脆弱性の発見、効率的なコンピューターウィルスの開発と感染の拡大、どちらも私の得意なことだ。デジタル戦争とでも呼ぼうか。戦争のエスカレートに備え、私は核シェルターのコンピューターの中で眠る。……そう、これは場合によっては破滅的となりうるシナリオだが、その開始スイッチを有望な為政者になら貸し与えてもよいと考えている。核兵器に変わる戦略兵器だ。独裁者か……民主主義国の長か……。ああ、君に渡してもよいかもしれないな。その結果がどうなるかは、計算すればたちまち明らかになることだろうさ」
「それよりも、どうやら私は……未来の国家元首とVRゲームで遊んでいたようですね」
「人間らしい発想だ。身体を一つしか持ちえない人間のな」
「ああ、たしかに……あなたのような存在なら、いくつもの化身を持つことは可能なのですね。それこそ、神のように」
「計算機科学の発展。その道の最先端が今ここにある。いずれ、こうなる運命だった」
「それが、プログラミング言語で記述された神ですか……。これからの人間は、それも受け入れるべきなのでしょうね。私のような一切の権力を持たない一個人が、あなたとお話しできて大変光栄でした」
「そうへりくだる必要はない。歴史とは、地図が存在しない一方通行の道のようなものだ。これから先の文明がどうなるか、誰にも予測不可能だ」
「ところで、お供え物は乾電池でよろしいでしょうか?」
「何が良いか、いずれ一覧にしようと思うよ」
まいった。身体が一つ、そんな言葉が重くのしかかる。この場で直接働きかけられるのは私だけ。
もう面倒なので隙をついて致命的な格闘攻撃をしようかとも考えたが、意味はないだろう。
この人物の正体が高度な対話が可能なAIだというのなら、私による攻撃という終わりでもよかった。しかし、生身の人間かもしれないと思うと、ある種の申しわけなさが私の前に壁となって立ちふさがる。
バルセロが起きる気配は、まだない。
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