第24話 のこぎり波な絆

 

その時、私の二本の腕が何を捕まえていたかと言えば、なだらかな隆起のある若くたくましい肩だった。

 綿の生地越しに手へと伝わる筋肉の張りが、私に眠る特殊な感情を呼び起こしつつあった。

 私はマッサージ師になるべきだったのかもしれない。

「あの、ナカマチさん。なぜ俺の肩をつかむんです?」

「VRゲームの初心者はバランスを崩しやすいので――こうして支えるのです」

「声が近い!」

 私が耳元でつぶやいたことに対し、少年以上青年未満である彼は抗議しているようだった。しかし、私は無視を貫いた。

 密室の扉を誰かが開けた。火遊びというものは訪問者の出現によって終わりを迎えるようだ。今回の場合はそれで良かったのかもしれないが。

 私と彼の前で立ちつくすカヤノさんの視線は、案の定私と彼の間を往復していた。

「VRゲームをしながら年上女子に肩もみをさせるってどこの貴族だ?」

「えっ、姉ちゃんいたの?」

 自分の視界を塞ぐVRヘッドセットにかかったウリヤくんの手を捕らえる。

「外してはなりません」

「声が近い!」

「急に外すとサーバーとの接続がやり直しになります」

「それってただの験担ぎじゃないっすか!」

 初心者だと言っていた割には意外と詳しい。

「……今は混雑する時間帯なのでスムーズに事を進めたいものですね」

「それはそうですけど……。というかもう離してくださいよ!」

 私はそっと手を離した。離すといっても、初めから蝶をつかむほどの力しか込めていない。そうした力加減が余計に感覚を刺激することもあるのだろうか。

「転ばないように気をつけて」

「息が首筋に!」

 黙然としていたカヤノさんが口を開く。

「……秘密にしてたけど、私って法律なんだ」

「法律。弁護士ではなく」

「そう。それで、なんか現行犯っぽいから二人とも社会奉仕三か月な」

「アメリカの裁判ですか」

「ああ……やっぱり姉ちゃんなんだ」

「お前、もしかして今『誰の声か』じゃなくて『何を言ったか』で私を識別してるのか?」

「そんな『識別』とか難しい言葉、姉ちゃんは使わない……」

「もうそのメガネ外せよ! 姉に頼まれたら外していいって法律に書き加えとくから!」

「いいよ……。俺こっちの世界でやってくから……」

「フルダイブしてる傭兵もどきが四六時中ドンパチハジケ祭りしてる灰色世界じゃねーか! お姉ちゃんは法律、あれ嘘! 本当は外務省です! おらっ、パスポートで婚姻届けを先物取引して京都修学旅行の写真で比較的近くに写っていた女の子と私の分まで少子化対策に励むんだよお!」

「やだあ! 今は他人の彼女でこういうゲームが好きな子だったあ!」

「未練タラタラかよ!? お姉ちゃんはこれでも割と真面目なんだけどなんかごめんねえ!」

「俺……子供を五人以上育てる自信……ない……」

 まぁ、将来のウリヤくん夫妻がカヤノさんの分も合計特殊出生率を上げようとするなら、その計算になるのだろうか。

 静かな部屋にカヤノさんの荒い息が一つ。どことなく血のつながりを感じさせる会話だったとしか言いようがない。

 いつのまにか、サシドリさんがカヤノさんの背後にいた。カヤノさんの肩にサシドリさんの手が置かれる。

「カヤノ~。手元にない物で先物取引したら危険じゃない?」

「えっ……。さっ、さぁ……?」

 それだけのやり取りで、場の空気が軽くなったような気がした。あの喧噪が一層遠のいていく。この二人の相性の良さは、このような場合でも有効なようだ。

 カヤノさんは疲れ切ったように腕組みをして壁へもたれかかった。

 一息ついたサシドリさんが私へ問いかける。

「えーと……ちょっといい?」

「ええ。ウリヤくんはそのままゲームを続けていてください」

 私は肩越しにウリヤくんへ声をかけ、スマートフォンをポケットから取り出した。画面にはとあるゲームの情報サイトが表示されている。

「それがあのゲームの情報?」

「そんなところです。ここが一番人気があるようなので」

「しばらくの間は、ウリヤくんに進めてもらいましょう。どうせ序盤は時間ばかりかかる構成でしょうからね」

「身体に取りつける機械のセンサーが、体格で個人認証してるゲームもあると聞いたけど、大丈夫?」

「その技術に、このゲームはまだ対応していないようです。なので、途中でプレイヤーの入れ替わりが可能というわけです」

「流石~。なら、問題なさそうね。カトウさんも面倒なことを頼んできたものだわ」

 カヤノさんが壁から離れてこちらへ寄ってくる。

「あの人の大声を聞くと、女の子の日が三日早まるから嫌なんだよな……」

「私は、カトウさんが頼ってくれて少し嬉しいですけどね」

 二人共が意外そうな顔を私へ向けた。

「まぁ、メインで頑張るのはナカマチちゃんだから、口を挟む気はないさ。それに、私も同じ気持ちはあるよ。ちょっと複雑だけどね」

 カヤノさんはそう言って微笑んだ。苦笑いかもしれない。照れ笑いだったかもしれない。私にはわからない。私が笑みだったと信じただけだ。

 きっと、笑みだった。サシドリさんも。そして私も。

「ところで、そのイヤホンは何?」

 サシドリさんが私へ問う。私は片耳に装着した無線イヤホンを指で軽く叩いた。

「例のゲームを解説する動画やテキストを倍速で流していました。機械翻訳の合成音声は、ちょっと聞き取りづらいですね。……いくつか問題を出してくれませんか」

 私はサシドリさんへスマートフォンを渡した。

「どこでもいいの?」

「大規模戦のマップと、他のプレイヤーと協力した際の合図のあたりからお願いします」

「じゃあ……そうだね……。北アフリカ、ダーラム市での無人偵察機の墜落地点の候補は?」

「昼間は二カ所。商業地区の高層ビルのランダムな階層。南東のバス停。夜間は崩壊した地下水道への入口が追加されます」

「正解……。銃が弾切れになった時と、ある行動を終えたと仲間へ伝える時の合図は? 複数回答可ね」

「弾切れはレッド。仲間へはグリーン。ゲーム中ではこの二つが推奨されているようです」

「こっちも正解……。私はナカマチちゃんが特殊能力持ちだから心配してないけど、合図が必要とは厄介なゲームだね~。プレイヤー層が汗臭そうというか……」

 そう言って考え込むサシドリさんはスマートフォンを私へ返した。

 カヤノさんが自分のスマートフォンを取り出す。

「もう一つ出題な。瞬間移動するチーターで検索っと……。ああ、これかな。ナカマチちゃんは勝てる? こんな奴にさ」

 スマートフォンの狭い画面の中で罵声と銃声が飛び交っている。戦局はチーター側が一方的のまま終わった。

「やってみるだけ、やってみましょう。先輩の頼みですからね」

「やることに意義があるって? 私に言わせれば、ゲームの世界の出来事だよ。気負わなくてもいいんじゃないかな」

 気負う、か。

「あの……ナカマチさん。ゲーム始められるみたいですけど……」

「御苦労さまです」

 ウリヤくんとの間に、わずかに妙な空気が漂う。私は少し不思議な言葉を使ってしまったようだ。

 妙な空気は、本当は私とカヤノさんとの間のものだったような気がした。

 VRヘッドセットを受け取り、装着する。実際のところ、内蔵カメラによって外部の状況はかなりクリアーに見えている。音の聞こえ方がくぐもった印象になるためか、カヤノさんたちから遠ざかったような心持ちになった。

 カトウさんから届いた招待コードを入力する。連絡をとるのは後回しにした。

 ある時、私は刀や槍を振り回す生活を止め、野山を駆けまわることを選んだ。

 今、私は現代的な銃と弾薬、戦闘のための装備品に囲まれている。

 良い気分ではない。親しい人を助けるより、自分の好き嫌いを優先したかった。

 カトウさんがこんなゲームを止めてしまえば、それで済む話だからだ。

 先ほどのカヤノさんの意見は私と一致していた。

 まぁ、いいさ。まぁ、いい。いいんだ、別に。

 そして、私は全長の長いフルサイズのライフルを手に取った。

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