第22話 合奏 中編
平日、週の半ばの出来事だった。
俺の迷彩は、灰色の市街地仕様。あちこちで味方が敵とやりあっている間に、単独で敵地を進む。
目標である墜落した無人偵察機の位置までは遠い。電子地図を目にかけた防弾グラスへ表示するまでもない。そこまでの地形は俺向けの、狙撃のチャンスのある地形だった。この防弾グラスは内蔵カメラによって装着者の視界をやや拡張するもので、電子地図を見ながらでも充分に行動可能だった。それでも電子地図を使わなかったのは、アドレナリン放出による自信過剰と笑われても仕方がないだろう。
露店が並ぶ通りを駆け抜ける。自由闊達に道が作られた区域を迷わず走るのは、俺の他に二人。
小型グレネードランチャー付の自動小銃と、接近戦で強力な散弾銃のコンビ。偶然だがバランスの良い組み合わせだ。俺も軽量な短機関銃とやらを装備しているが、狙撃銃を担いでいる分だけ予備弾倉の用意が少なく、手榴弾も破片式と発煙型を二対一の割合で所持しているに過ぎない。
俺たちのランニングは順調に進んだ。敵と遭遇することなく、欧米資本が入っていそうなビルのエントランスへ侵入する。例の墜落した無人偵察機はこのビルの中層にある。
中は外よりも危険だ。既に待ち伏せされているかもしれないし、後ろから撃たれるかもしれない。
非常階段への扉を開ける。散弾銃の――こいつは意外にも女だった。彼女を先頭に俺たちはビル内を上がっていく。
俺は最後尾。途中で秘蔵の対人地雷を一つ貼り付けておく。知能型で味方に作動することはない。
無人偵察機がある層に近づいたころ、散弾銃が火を噴いた。狭い非常階段での出来事だ。俺の頭へ空薬莢が降り注ぐ。黒く太い空薬莢の次は黄銅色の金属薬莢。
一瞬下がった散弾銃の女が手榴弾を投げ込む。見たのではない。そういう状況を想像させる音が聞こえたのだ。その時、俺は最も近い扉へ短機関銃の銃口を向けていた。眼球だけを動かして周囲も見ておかねばならなかった。
爆発音が一度。俺は敵から手榴弾を投げ込まれたら、階段の下と上のどちらへ逃げるかを考えた。
上の二人のどちらかが手榴弾を蹴り落とす合図をしてくれたなら、迷わず上へ逃げる。これまでまだ一言も会話をしていないので、こいつらがどんな声かも俺は知らないのがなんとなく不安だった。名前だけは防弾グラスの情報欄からわかるのだが。
手榴弾の爆発があってからは静かなものだった。敵は全滅したのか。見上げると、散弾銃の女が俺へと手招きをした。
知り合いに似ている気がしたが、それが誰かを思い出す前に俺たちは室内へ攻め込んだ。
死体だらけ。無言。俺たちも。
短機関銃の照準ごと、俺の視線が動き回る中、物体が視界に入り込んだ。
一人くらい乗れそうなほどに巨大でぼろぼろな無人偵察機だった。今は敵の死体と同じくらいどうでもいい。
ここにいた敵はこれですべてかもしれない。待ち伏せの準備を始める前に、俺たちが来てしまったのだろう。
「偵察機は俺がやる!」
自動小銃の――こいつは見るからに男だった。そいつはそう叫んだ。作業スペースが狭いので、俺が手伝えることはない。
散弾順の女がやや離れて、窓へ近づく。壁の代わりみたいな窓だった。
俺は叫んだ。
「窓に近づくな! 狙撃されるぞ!」
あるいは、お前は俺の知り合いと顔が似ている、と叫んだような気もした。
耳鳴りがした。閃光と黒い爆煙が視界を占めた。それから、粉々になったコンクリートだかモルタルだかの霧が俺を包んだ。
天井に大穴が空いて、崩れかけていた。
狙撃されたどころではない。俺たちは敵からロケットを撃ち込まれたのだ。あちらにしても、この無人偵察機は確保すべき目標だろうに。無茶しやがる。
自動小銃の男は無傷らしく、無人偵察機への開腹手術を続けていた。
俺の防弾グラスへ、ここにいる二人の死亡通知はまだない。見ると、床の近く、霧が薄い所に倒れた女がいた。
何事もなかったかのように女は立ち上がった。
その時だ。妙なことが起きたのは。
散弾銃の女がその場で走り始めたのだ。猛烈な勢いで全身を駆動させているにも関わらず、その体は一切進んでいない。
強力な攻撃から幸運にも助かったというのに、バグが生じるとはなんて不幸な。そう思った瞬間、散弾銃の女は俺の前から消失した。
敵チームを味方が殺害したという通知が届き始める。三人いや、五人。
ありえない。通知欄の名前を見て思わず声が出る。やったのがあの散弾銃の女だったからだ。
この現象を合理的に説明する言葉を俺は知っている。
「チーターが……!」
吐き捨てるように自動小銃の男がつぶやいた。
たとえ味方であったとしても、勝つためにこの世界の物理法則をぶち壊すような奴を容認する者はいない。俺だってそうだ。
非常階段から爆発音がした。通知欄を見ると、敵の一人を俺が殺したことになっていた。
仕掛けた対人地雷が作動したのだ。これからここへ敵がなだれ込んでくるのは明白だった。
「これを使ってくれ。俺の端末だ」
自動小銃の男からタブレット端末を渡された。
見ると、この街の地図と白い光点が一つ表示されていた。その光点が輝きの異なる複数の点に挟まれている。
これは、奴の位置の……。過去・現在・未来……か。
俺は地図と光点の動きを観察してから、狙撃姿勢をとった。壁のような窓のそばで腹ばいになり、二脚を立てて銃を安定させる。狙撃されないよう窓とは少しだけ距離をとる。
俺が置いたタブレットを、自動小銃の男が手に取る。
「ちょっと待ってくれ! 味方にチーターがいたんだ! 俺たちにやらせてくれ!」
すぐそばまで来ているらしい敵へ向かって男が叫ぶ。そんなことを言っても信じてもらえないだろうに。
返答はない。しかし、突入もない。
俺はと言えば、奴がまた貸してくれたタブレット端末をちらりともう一度見た。
この位置であっている。敵の車両が止まる。わらわらと兵隊が降りる。
そこに奴が現れた。黒い散弾銃を持って意外なほど普通に銃撃戦を始めた。
散弾銃の女は射撃する際は普通でも、移動が滅茶苦茶だった。通常の二倍速で動き、弾丸を避けている印象すらあった。
殺害通知が敵の名前で埋め尽くされる。まだこちらへの突入はない。異常を向こうも知ったのだろう。だからと言ってこっちの言をまるっきり信じたわけでもないだろうが。
「早く撃て!視界にいるはずだろ!?」
分かってるよ。三〇口径弾、チーターという存在への恨みを晴らすには、少々役者不足かもしれない。
俺は引き金を引いた。俺が覗くスコープは奴をずっと捉えていた。奴は棒立ちで、けだるそうに俺を見つめていた。周りの敵を倒してからはずっとそうだった。
殺害通知が届く。こうして見事に俺は味方殺しになったってわけ。
俺は狙撃される心配も忘れ、立ち上がって自動小銃の男へ問いかけた。
「さっきのタブレット、あの画面もチートだろ?」
「データに基づく予測さ。ハッキングはしてない。良ければ配布サイト、教えるよ」
子供っぽい口調になった男。俺はポーチから取り出した手榴弾のピンを外した。
「俺が何も知らない上に、お前と同じくらいあいつへキレているとでも?」
「リスクは被っている。あんたは味方殺しで、俺は――ああ、なんというかあれだよ……」
「理由があれば何をしてもいい訳じゃねぇってことを覚えて今日は寝てくれ、急に俺も、お前みたいに理屈より自分の感情を優先したくなったんでな」
手の握りを緩めると、手榴弾の安全レバーが外れて床で澄んだ音を立てた。
「だからこうする」
「くそっ!」
俺は手榴弾を奴のやや左手側へ投げた。奴は予想通り反対側へ走った。おかげで俺は余裕を持って短機関銃の全弾を奴へ叩きこむことができた。
床を転がる手榴弾が炸裂する。当然、俺は死ぬ。閃光と爆煙が見えた。伏せれば助かったかもしれないが、あまり意味のない生だ。なにしろ、外には敵がうじゃうじゃいるんだからな。
そして俺は生き返った。後方の拠点で弾薬箱へ近づくと俺用の弾と手榴弾が現れる。
ため息を一度つく。事情を知らない人間からすれば俺は味方を二人も殺した奴だ。いや、詳細な事情が分からなければまれにある悲惨な事故の加害者程度にしか認識されないかもしれない。しかし、被害者二人がセッションを離脱したなら、話は別だ。
俺は走り出した。何事もなく、いつも通りに銃を撃ち、死んだ。戦闘スコアがわずかに積もる。微妙な成績だ。そんな事を繰り返し、セッションは時間切れを迎えた。
夕暮れ時。乗り込んだ離脱用ヘリの中で思う。結局、誰も俺へ興味を持っていないのだろうか。
俺の身に起きたことなど、ありふれた出来事だったのだろうか。それとも、戦闘し勝利するという目的の前では霞んでしまったのだろうか。
空が赤い。北アフリカの夕暮れも、日本とあまり変わらないらしい。
次のセッションは夜になりそうだ。暗視ゴーグルの視界には今でも慣れない。まぁ、夜戦になるかは確率の問題だ。必ずではない。
誰もがタブレット端末を覗き込んでいる。戦闘スコアやらを見て、それぞれの思いに耽っているのだろう。
頭上のローターとエンジンの奏でる轟音の中、俺は先へ進まず、ここで止まることを選んだ。
VRヘッドセットを箱に入れる。封印ではなく単なる習慣だ。
冷蔵庫にフルーツサンドとイチゴミルクがまだ残っていた。全部消費することにした。
味覚を再現したVRゲ―ムはまだ実験室止まりと聞く。
健康に悪そうだもんなぁ……。ダイエットに使えるかすらわからん。
そんなことをつぶやくまでもなく、俺は無言で最後のフルーツサンドとイチゴミルクを味わった。
俺があのチーターと似ていると思った知り合い。
カヤノだったかもしれない……。
これが俺の体験した平日の、週の半ばの出来事だった。
晴天、砲声が響く。
そう感じたのは、地下でのことだった。
ただ晴れているだけで、ただ砲声が響くだけだ。
陽だまりのような土塊の階段を見る。幾度駆け下り、駆け上がったか知れない。
塹壕の地下のようであり、民家の貯蔵室のようでもあった。
脇のテーブルに銃が二丁。三〇口径の対人狙撃銃と、全長を大きく詰めた自動小銃。この小銃は重量で言えば通常の半分程度だろう。
俺はカトウを待っていた。味気ない軍服を着たアジア系の女が武器ロッカーの前でがちゃがちゃとやっている。
彼女は知識が充分にあるらしく、一応は先達である俺の説明はごく簡単なもので済んだ。
「お待たせしました」
カトウが俺へと振り向く。学生の運動部員みたいな短い黒髪。
細身の身体のようだったが、弾倉入れ等各種ポーチとアーマープレートを仕込んだリグを羽織った結果、そのシルエットは複雑で分厚いものとなっている。
顔は自動生成されたもので、現実の彼女とは異なるが、目つきや顔の輪郭に共通点が見出せた。
運が良い。俺など全体的にゴリラが混じっている。
「ランチャー付きですか」
「ええ。コウツさんが狙撃銃だったので、少し攻撃的なものを」
カトウが選んだのは標準的な自動小銃に小型グレネードランチャーを取りつけたものだった。その筒から何を撃ち出すかと言えば小型の砲弾――即ち小銃てき弾だ。非装甲の車両に当たれば乗員は全滅する。車両そのものの撃破は難しいが、自由となった車両に乗り込もうとする不用心な連中を撃破するのは簡単だ。
もちろん、通常の自動小銃としても使える。ただし、ランチャーとその弾薬の分だけ重量が増えるために、その他の装備品の持ち込みが圧迫されるのは大きな欠点だ。あれもこれもと欲張ると重量制限を超えてしまい色々な制約を課される。ある意味ではパラ・スポーツと同じ発想だ。
もう一つの欠点は、このランチャーが他の武器がそうであるように、決定的な威力を持つ武器ではないという点だ。
強力なのは事実だが、通常の銃弾よりも持ち運べる弾数がはるかに少ないのだ。狙撃銃的な使い方が求められると言ってもよいかもしれない。
要するに動きというか、仕事というかが俺と多少被っているのだが……まぁ、大したことではないだろう。
結局は『多少』でしかない。中距離から遠距離にかけての攻撃力が二倍になったともとれる。
しかし、カトウは俺の役割を補うために選んだ武器だと言った。その前には『このゲームは多少知っている』と言っていた。
知識の量は判断の正確さを保証しない。人間の場合は、だ。
俺とカトウの間に生じている認識の差は、『多少』だろうか?
「なにか、まずかったでしょうか?」
「いえ、なにも。武器も装備品も、セッション中であっても変更できます。俺もその時の状況や気分で変えてますよ」
「そうでしたか……。わかっていたはずなんですが、実際にやってみると緊張するものですね……」
そう言って、カトウは苦笑した。
緊張しているのは、俺も同じだったかもしれない。考え方がいくらか神経質になっていた。落ち着かねばならない。
カトウは元の表情に戻っていた。兵士らしい表情。
今の彼女が本当にこの表情なのかはわからない。VR機器のセンサーが読み取ったデータを元に作られたもっともらしい表情なのだ。カトウが使う機器によっては、声の調子だけで表情が作られる場合もある。
こんな技術に囲まれていると時々、自分がどんな表情をしているのか考えそうになる。
どんな表情を、どっちの自分が。
危険な思索は、神経症の元でしかない。ただちにやめるべきだ。
俺は、少しヤバいのかもしれない。
腕時計を見て思考を打ち切る。
残り準備時間は二〇〇秒。
「カトウさんがその装備で決まりなら、行きましょうか。この準備時間は、ここに長居し過ぎないようにという制限でしかないので」
「ええ。よろしくお願いします。コウツさん」
俺は「こちらこそお願いします」と言って、土塊の階段へと向かった。
普段は走って向かうのだが、なんとなく歩いてしまう。無意識のうちに、年若い女に精神的な余裕な姿を見せたいと願っていたのかも知れない。
カトウは黙って俺の後をついてくる。
こうして、俺とカトウのセッションは始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます