第18話 天然弾丸


 腹ばいになってスコープを覗く。合わせた倍率は12.5倍。眼球を丘から草原を越えて林の手前までワープさせる。

 林に丈の長い下草などはほとんどなく、枯れ葉と葉がすっかり落ちた広葉樹たちだけがあった。地形もなだらかだ。視界を遮れるものは少ない。

 上空から見れば、草原には巨人の足跡のように林がいくつも存在するだろう。海に浮かぶ諸島といったところか。

 身体を横へずらし、そばに設置した巨大な水筒ほどのフィールドスコープを覗く。太陽光の反射が抑えられたクリアで広い視界。スキャン開始だ。

 幸運にも、スキャンはすぐに成功した。敵影あり。迷彩服によって完全に環境へ溶け込んでいたようだが、木から一本の枝が急に生えたりはしない。

 擬装を施したとはいえ、銃を構えたのが失敗だった。大方、銃に取り付けた熱感知式スコープで周囲を警戒しようとしたのだろう。既に自分が監視されていたのが運の尽きだ。

 続けて入念に調べると、更に二人の敵を見つけた。最初の一人よりも先行するその二人は、迷彩と擬装が高度だった。あるいは、二人と一人なのかもしれない。

 なにはともあれ、三人ともがこちらに気づいている様子はなかった。

 ライフルスコープに目を戻す。各種調節は、既に専用の小型端末が算出した距離と風の機嫌に合わせてある。変更はない。

 レンズ上のドットへ敵の一人を重ねる。狙うのは先行する二人組のうちの一人。使用するのは直径一センチを超える五〇口径弾。木に隠れようが、どんなボディアーマーを着ていようが、身体のどこに当たっても一発で致命傷を与えられる。

 後方についた一人のミスが全体の危機を招いた形だが、これに懲りずにまた――。

 ……前言撤回。標的はもう動かない。どうやら、本当に二人と一人だったようだ。

 ライフルを慎重に動かし、後方からの襲撃者に応戦する二人組の片割れをスコープに収める。激しい戦闘の場面にもかかわらず、銃声は聞こえなかった。消音器のおかげだろう。

 手榴弾を投げる。弾倉を交換する。五〇口径弾に貫かれる……。

 爆発音がやや穏やかなのは距離が離れているせいだ。そろそろ、一発の派手な銃声が向こうにも聞こえた頃だろう。

 ソロプレイヤーの肩を持つのは、少し陰気な判断かもしれない。まあ、日本人はいつの時代も判官びいきというわけだ。

 移動を始めるべく、小型端末とフィールドスコープをバックパックへしまう。

 この銃を使うのもこれが最後だ。市場価値があるうちに売り払ってしまいたい。

 背後で気配があった。茂みをかき分ける音。重たいライフルを構える猶予はない。

 腰のホルスターへ手をやる。身体を捻って転がるように振り向く。

 拳銃の銃口を、目の前に現れた敵へ。

 軍用ボディアーマーを着た相手に拳銃で勝てるチャンスはどれだけあるか?

 そんなこと知るかよ。こっちが死ぬ前に弾を撃ち尽くせる幸運に期待だ。

 多くの場合、頭部と顔面は防弾バイザー付きのメットで守られている。だが、腕はがら空きだ。防弾繊維の束で関節の可動域を狭めるわけにはいかないからだ。ゆえに、武器を持った腕を破壊できれば勝算はわずかだが確かにある。

 片手で撃つ。連射した拳銃の残弾はおそらく半分の手前。

 まだ撃たれてはいない。自分で気づいていないだけかもしれない。

 止まらず、地面を蹴って敵の正面から外れる。こんなことが出来るからには、まだ死んでいないようだ。

 両手で撃つ。敵の装備が、林で最初に見つけた敵と同じであることに気がついた。

 残弾ゼロ。予備の弾倉はあるが、ナイフで切りかかる選択肢がよぎる。

 横へ逃れつつ、片手でポーチに収納してある予備弾倉を取り出しながら拳銃から空の弾倉を落とす。こんな行動をとる理由は、コンコルド効果で説明ができる。

 まだ撃たれない。互いに銃口はぴたりと向けているが、火を噴くのは拳銃のほうだけだ。

 心臓の鼓動がひどい。いっそ楽にしてくれとすら思う。

 敵の姿が消える。不思議と驚きはなかった。

 拳銃を右へ向けて撃つ。そこにいるような気がした。

 唐突に視界が落ちて、地面とぶつかった。

 周囲の音が遠のく。『エリーゼのために』のオルゴールが、どこかで鳴っている気がした。

 死への階段とは、こうして降りていくものなのだろうか。



 紙のバッグを玄関から台所へ運ぶ。

 運び手は可愛らしいメイドなどではなく、この家の主人だ。

 フルーツサンドとイチゴミルクを並べる。宅配サービスは便利だ。

 包丁でフルーツサンドを三分の一にして皿へ乗せる。イチゴミルクもマグカップに三分の一。残りは冷蔵庫へ。

 独身の男が暴飲暴食をするのは時代遅れのイメージだ。年齢のせいもあるが……。

 ダイニングテーブルに皿とマグカップを置く。独り身には大きなもので、この家で最大の家具かもしれないが、気に入っている。

 スマートフォンに触れて、鳴りっぱなしだったオルゴールの呼び出し音を止める。このオルゴールの音色も気に入っている。メッセージの着信通知があったが、後回しにする。

 甘味にありつく。妙な趣味と人に言われるが、これが好きなんだから仕方ない。

 イチゴミルクを一口分ほど残し、メッセージの差出人を確かめる。

 ――ナカマチ・キョウコ

 親と詐欺師の次に会話したくない相手だった。

 大人なので我慢してメッセージを開いた。

 『お風呂が壊れたので修理業者の方をお願いします。お湯は出ます』

 要するにそういう話だった。無難な内容に胸を撫でおろす。

 無難な返信文を記しながら、ふと思いをはせる。

 VRゲームを始めたのはナカマチから聞いた話がきっかけだった。

 聞かされた当初はまるで時間が一カ月ほど飛んだかのような感覚的歪みを受け、強力な頭痛薬を慌てて買いに走ったものだったが……。

 結局、数日後にVR機器のセットを購入してしまった。

 実を言えば、知人からもらったVR機器もあったのだが、ゴミの山に埋もれて行方知れずのうちに時代遅れの旧型機になってしまっていた。

 その頃は仕事でも私生活でもストレスが重なり、ひどい有様だった。

 VRゲームで身体を動かす楽しみを思い出すと、徐々に部屋は片付いていった。その後は抱えていたストレスも大分軽くなり、部屋も海外ドラマのセットのようになった。

 我ながら単純な人間だと思うが、こうなったのもナカマチのおかげだ。彼女には感謝している。

 出来上がった無難な返信文を送信する。……ナカマチには感謝しているが、出来ればVRゲームをしていることは知られたくない。仲間だと知られたら二ヶ月くらい時間を飛ばされるかもしれないからだ。

 イチゴミルクを飲み干す。

 それにしても、さっきのセッションの敵はいわゆるチーターだったのだろうか。バグなどの可能性はあるが、報告を上げたほうが良いか。それを済ませたら、今日は寝るとしよう。

 ナカマチのことを少し思い出す。あの人間性はどういう育ち方をしたら獲得できるのだろうか。同居人たちとは仲が悪くなさそうだったが……相手が男だとあの態度なのか?

 好みは分かれるが、容姿は良いだろう。問題は中身、か。

 ……馬鹿な。姪以上娘未満ほどに歳が離れた相手の何を心配しているのだろうか。いや、案外それが自然か?

 まあいい。俺はチーター疑惑の報告を上げてから就寝した。

 しばらくして、暗い天井を見上げながら考える。

 もし、チーターとナカマチのどちらかと会わねばならないとなったら、俺はどちらを選ぶだろうか。

 うん。チーターのほうだな。

 寝る。


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