第15話 挑戦者乱入


「では、私から――」

 私はスマートフォンを取り出し、ゲームの管理アプリを起動した。画面の中の無機質な背景に『メヅ』が表示される。テーブルへ男が見やすいように置く。

 男。男性的とは言い難い声質、やけに艶のある黒髪、透き通るように青白い肌。正直なところ、未成年の少年として扱ったほうが相応しい印象があった。もっと言えば、病気がちで繊細で女性と言えば母親とメイドというような……。

 この容貌を成人まで保つのはある種の呪いですらある。肩から首回りなどを比べると、私のほうが骨太なのではないだろうか。なんというか、私でも勝てそうな気がしてくる。

 勝手な心配だが、これで実家が裕福なら悪女の餌食になりかねない。逆に女たちの保護欲か支配欲を利用する手段を覚えたなら、衣食住には一生困らないかもしれない。

 ……男の視線の先を見る。画面をタップして別の情報を見るでもなく、まだメヅを見ていた。もう充分だろうに。

「あなたのアバターは?」

 「ああ、すみません」そう言って男もスマートフォンを手に取った。指先が少し落ち着かない様子だった。男にはいささか不似合いの安価なローエンド端末。低性能ゆえに動作は緩慢だが、かえってモバイルゲーム断ちに良いとも聞く。この男もそうなのだろうか。

 「どうぞ」そう言って男がスマートフォンを私の前に置いた。

 画面にいたのは、意外な――いや、ある意味では私が抱いた男のイメージに近いかもしれない。発色豊かな液晶画面の中にいたのは、見覚えのある小柄な少女だった。

 艶のある黒い髪は短く刈り揃えられている。体系は若木のように理想的な少女然としていて、上下を統一した衣装は緑と赤で染められた細いシルエットで若々しい印象を強めている。

 緑と赤か。今の自分と近いカラーリングであることに苦笑いが浮かびそうになる。もちろん、実態として私とは相当にかけ離れているのだが。各国にまたがるユーザーたちを魅了するべくデザイナーが考え抜いた衣装と、私がなんとなくで選んだ衣装に共通点を見出すのは、大根と大福を比較研究するようなものだ。私の今の下がインディゴブルーのデニムパンツという点でも離れている。

 デジタルデータの少女と不意に目が合う。顔肌はやや色素が濃い。瞳そのものは大きいが、黒目が極端に小さい四白眼。鼻梁の下にあった桜色のささやかな盛り上がりは、柔らかに閉じた唇だった。時折瞬きをしつつ、無表情で春頃らしき和風の庭園を朱色の橋の上から見下ろしている。これらを揃えるには、少なくない金と手間がかかったことだろう。

 一方でメヅは、わずかに白のグラデーションがかかった暗い背景にいる。腕組をしてたたずむ姿はどう見ても順番待ちの人だ。顔と体はそれなりに精悍だったが、濃紺色の簡素な衣装が町人A氏と武者B氏の中間の雰囲気を醸し出していた。そういえば、最近は衣装などの装飾に手間をかけた記憶がない。手練れの山賊や放蕩貴族の恰好をしていた時期もあったような記憶はあるが。

「これが私のアバターです。……ああ、人違いでないのなら良いのです。私は今日まであなたのことを存じていませんでしたが、あなたのアバターとは今日の午後、アクミチ山脈の人数制限付きのエリアで一緒になりました。……だったと思うんですけどね……」

 少女のアバターを見た時に自分でも確証は得たはずなのだが、なんだか話しているうちに自信がなくなってきた。

「……ええ、その通りです。昔は男のアバターだったんですが、友人にせっかくのVRゲームなんだから性別を変えてみろよと言われてこの姿に。せっかくだから色々と服とか飾りとかを手に入れて……。けど、ゲーム中は自分で見れないからあまり意味が……ないんですよね……」

「でしょうね。私は同じことに気が付いてからは、アバターの格好にあまり気を使わなくなりました」

 小さな吐息。些細だが、男が笑ったのだろうか。

 暗いオレンジ色の照明の下、私はその場の空気が入れ替わるような感覚を覚えた。

 カトウさんの思惑は想像がつく。それに沿うのは構わない。とはいえ、夜中に初対面のゲーマー二人だけで置き去りにされるのは、いかなる報酬をもらっても割に合わないことだ。

 いや、妙な計算はやめよう。

 男の名前は――

「……ツチガミさん。カトウさんとはどのくらいの頻度で会うのですか」

 私の問いかけに、曲げた人差し指を顎に当てて考え込む。

「おおよそ週に一度ですが、あまり一定していません。今日みたいなこともありますし……」

「今日、ですか。急に呼び出されたのですか」

「あの……カトウさんとあなたはどういった――」

「ナカマチです。カトウさんの後輩です」

「後輩……」

 どういう関係かを一言で言えばこうなる。事実ではあるが、言い足りない。

 まあ、隠したいような過去でもないではないか。

「私は高校生の頃にグループセラピーでカトウさんと知り合いました。ゲーム依存や不登校の子供をまとめて参加させる大雑把な集まりでした。カトウさんは私の先輩のまた先輩という人です。あれから何年も経ちましたが、今日のように会うこともあります」

 もっと詳細に話すべきだろうか。いや、私とカトウさんとの関係の話題は本題ではない。強引でも、ツチガミさんに話を振ったほうが良いだろう。

「単刀直入に尋ねますが、あなたの依存症はなんですか」

「えっ、ああ、ゲームです。……やはり、わかりますか?」

「カトウさんは行動に遠慮のない人ですから。かといって、お見合いを勧めてくるような人でもない。今日、私はカトウさんに昔の体験を話したんです。VRゲームの初心者で右往左往していた頃のことを。それで、私がツチガミさんと同じゲームのプレイヤーという共通点があることを知り、こうして引き合わせた……そんなところでしょう」

 少し早口過ぎたかもしれない。目前から潮が引いていく感覚。

「そうかもしれませんね……。その……前からカトウさんには人間関係を広げてみろと言われていて、急に通話が着たと思ったら、気が付くと……このスケジュールに……」

 詰まりながらもツチガミさんは自分の事情を語った。

「私は別に夜中でも夜更けでも構いませんが、ツチガミさんはいかがですか」

「あー……俺は大丈夫です」

 一人称は『俺』ですか。少年は何歳になったら『僕』から『俺』へ変わり、そして時に『僕』へ戻るのかは興味深い疑問と言えよう。

「それに、今日はここに友人と待ち合わせていたので。ああ、そいつは遅くなるそうなので、気にせずに」

 スケジュールの被り。バッティングである。残念とは思わない。

「そのこと、カトウさんには伝えましたか。お友達のこと」

「いえ、まだ……。けど、会えたら会おうかという程度の緩い約束だったので。まぁ、連絡が来るまではこのままで……」

「その方が来るまでは、このままですか」

「そうなりますね……」

 会話が途切れそうだ。卓球のピンポン玉があればラリー中に爆発している。

 少し暴力的な手段をとるか。

「ツチガミさん。これは真面目な話ではありませんが、私のことをどう見ていますか」

「えっ? どうと聞かれても……同じ趣味の人というか……」

 私はテーブルに身を乗り出すようにして、ツチガミさんを問い詰めた。

「その前に、女です。あなたは?」

「あの……男です。一応は……」

 本当に押しに弱いのか、この人は。やはり心配になる。それとも、そういうテクニックか?

「では、なぜ私のことを一番に優先してくださらないのですか。あなたのお友達が一分後に現れたらそれで終わりなのですか。あなたが私をどれだけ楽しませてくれたとしても、その方が三時間後に現れたら私たちは終わりなのですか。なるほど、会えたら会おうなんて緩い約束ができるお友達は出会ったばかりであなたのことを何も知らないし自分のことも教えていない私よりもはるかに魅力的でしょうねっ」

 次々に言葉がすいと出てくる。自分でも驚くほどだった。声量は抑えたし、離れてもいるが他の客に聞かれたらと思うと恐ろしく恥ずかしかった。

 しかし、なぜだか止まらぬ。

「ええ、もちろん、私は真面目ではありせんよ」

 ツチガミさんは困惑を強めている。少し楽しい。

 初対面でなくとも失礼な態度だが、別にいいや。

「どうなんですか。ツチガミさん」

「ナカマチさんにはなんというかその……あっ、すいません、通話が……」

 ツチガミさんは私のそばから自分のスマートフォンを取った。テキストメッセージのようだった。

 まずい。冗談でしたと打ち明けるタイミングを逸したかもしれない。

 いや、まだ間に合う。時間を置いて冷静になったと誤解されるよりは今が良い。

「ツチガミさん、今のは冗談で――」

「なんだ、もう来てたのか……!」

「まぁ、ここかなって……うん……」

 私を通り越して会話が起きている。

 嫌な予感がした。この声には聞き覚えがあるからだ。

 振り向く。予感は正しかった。

「……ウリヤ君」

「すいません、お邪魔したっス」

 私は同居人でもあるウリヤ少年の肩を立ち去られる寸前でつかんだ。

 瞬間的に両腕が二メートルほど伸びた気がした。

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