第14話 A.A.B
「改めて……カトウさん、ご用件は?」
浮足立った自分を静めようとしたせいか、棘のある語調になったかもしれない。
「そんなに堅苦しい言い方しなくてもいいだろ。お前からVRゲームのことを聞いて思いついたんだよ。こちらの彼と話が合うんじゃないかなってな」
「そうですか。私はてっきり、あなたにプロポーズされるのかと焦りましたよ」
カトウさんが口へ運びかけたコーヒーの紙カップが空中で止まる。
逆再生のようにゆっくりと、茶色の重厚な紙カップがテーブルへ戻っていく。
「お前の……その、なんというか……あれやこれやを私は別にいいと思う……だが私からお前に対しては……その、あれだ――」
「冗談です」
私はなるべく無表情で、冷たく言った。
カトウさんが座る椅子がぎしりと鳴る。背もたれに体重を思い切り預けた結果だ。打ち明けるタイミングはもう少し遅らせても良かっただろうか。そのほうが面白い結果になったかもしれない。
彼――少年を見ると、彼の視線は私とカトウさんの中間のやや下、テーブルの縁の辺りに合っていた。
不干渉ということらしい。
「それはそうと、夜も更けてきました。彼は未成年でしょうか?」
「いや、酒も飲める年齢さ。……なんだその顔は」
「なんでもありません」
「お前、冷めたんだろ」
時々、カトウさんは他人の心底を言い当てることがある。
何にどう冷めたのかは、私とカトウさんとでは食い違っているようだが。
テーブルに肘をつき、組んだ両手に口づけをする。
私は単に、隣にいる一人の男が自分の同輩であることを冷静に受け止めただけだ。
特別なことはない。仮想現実に存在する、もう一人の自分とあなた。それだけだ。
ただし、その関係性を基底現実にも持ち込んだのなら、私はもう一人の自分をあなたに覗かれ、同時にあなたをこの私が覗いていた。そういうことになる。
夜の夢は昼の現実を塗り替えうるか。答えは否だ。
では、二人の人間が同じ夢を同時に見たとしたら、どうだろうか。
体験の共有は現実の証と言える。私が、いや、あまたの人々が渡り歩く二つの現実に最早差はない。
夢から目覚めた朝、もう一人の自分が現れる。陽炎が立つように、それは空気から出現し、お前は私で自分は私だと主張する。
もう一人の私の後ろに、もう一人のあなたがいる。私はそれがあなたではなく、もう一人のあなただと知っている。なぜなら、この二人が出会うのは夜の夢の中だけだからだ。
今、入眠と覚醒はコーヒーショップの席で隣り合わせになった。
今、私はもう一人の自分と重なり合う。あなたもそうなる。
いつの間にか、自分同士が臍の緒で繋がっていただなんて……私が?
まぁ、それでもいいさ。何事も感じ方次第というものだ。大したことではないと思えれば、大したことではなくなる。人の脳内にだけ存在する思いとは、その程度のものだろう。
もっとも、私の隣にいる男が、そんな風に割り切ってくれるとは限らない。ゆえに、私はただ待った。
カトウさんと私の食い違い。あの瞳の中に、年下で同じ趣味の美少年と出会った途端、にわかに思春期を取り戻した私の姿があったのなら……それはそれで良いことだったのかもしれない。
何も言わず、カトウさんが席を立つ。
私はカトウさんの背中を横目で追った。すぐに視線を戻す。
沈黙が場を支配していた。店内には私たちの他にも客がいて、外からは人々の動き回る気配が伝わってきた。まばらにいる客たちも、彫刻や柱時計などではない。
それでも、私は狭い箱に二人きりで閉じ込められたような気持ちになった。
薄い手のひらが私の肩を軽く叩く。
テーブルに置かれたのは、やはり茶色の重厚な紙カップに入った――
「紅茶派だっけ? ノンシュガー……」
「ええ、私の好きなやつです」
カトウさんは薄く笑い、また去っていった。
去り際に「ちょっと行ってくる」とだけ言い残して。
人型の彫刻は動かず、人型の柱時計もちくたくと鳴る。
人々の気配は、カトウさんと共に離れていったように感じた。
彫刻が彫刻らしく、柱時計が柱時計らしくなるほどに、行動せねばという焦りがつのっていく。
――あの……いえ、どうぞ……
間抜けな言葉を発したのが、私とあなたのどちらだったか。
同時だったかもしれない。
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