第13話 A.A.A
街には活気があった。
人が大勢いた。道を歩き、店の中に座り……あらゆる場所に人がいて、何の区別もつけずに『人が大勢いた』と表現するのが最も適切なほどだった。
自動車の車列の横を何台ものロードバイクが通り過ぎていく。人力のほうが速そうに見えるのは不思議だった。
時々、貨物用とも思えないガソリンエンジンの自動車――あるいはオートバイと出くわすこともあった。こうした古代文明の継承者たちの苦労を思えば、私が抱える不安など大したことではないだろう。
この光景は、交差点を十も二十も横切ってもなお続いた。
縦横に歪んだ道を電動スクーターで進む。目的地までの道順は覚えている。
空は暗いのに、視界は明るい。
血管を疾走する赤血球にでもなった気分だった。
迷うこともなく、血流に乗って先へ先へと行かされる……。
まぁ、当然だ。車道の上で止まって自身の先行きを案じるなど、交通違反どころか死の危険すらある行為だからだ。
駐輪場に入った。途中で起動した地図アプリの予測通り、私が停めるスペースは充分にあるようだった。
白い充電パッドの真上まで進み、キックスタンドを足で蹴って接地させる。メーターの充電ランプが点灯する。このビルは充電設備が充実しているので気兼ねがいらないのがよい。
私は座席を跳ね上げて、脱いだヘルメットを内部へ収納した。
ビル内へのエレベーターまで歩きながら、スマートフォンをポケットから取り出す。
満充電までの予想時間が通知欄にあった。電動スクーターの管理アプリで施錠の状態と、今月の残り充電量を確認する。施錠に問題はなかった。
残り充電量に関しては、私、カヤノさん、サシドリさんの共同で大容量の契約を結んでいるので、あまり神経質になる必要はないのだが。
……今月、もうかなり乗ったみたいだな。ウリヤ君……か?
まぁいい。エレベーターのスイッチを押し、二階まで運ばれる。私だけを運ぶ銀色の箱の中で、少しだけ思考を巡らせる。
今日一日の出来事を思い出す。
VRゲームで実力者と競ったが、決着を不明な人物の不明な手段によって曖昧にされた。
カトウさんが訪ねてきて、私はカヤノ姉弟をかばうためにサシドリさんと協力した。
私はVRゲームでのある体験をカトウさんへ話した。途中からカヤノさんとサシドリさんにも話すことになった。
そういえば、最後にどうなったかを話していなかった。敵が潜む森の中に一人向かったプレイヤーのことを。
今更、誰も聞きたがりはしないだろう。生身の人間が関与するとはいえ、所詮はゲームの話だ。我が身のことのように聞け……などとは微塵も私は思っていない。
なによりも、今日のお喋り会はもう終わってしまったのだから。
エレベーターの扉が開く。外へ出ると、脇に天馬像があった。今にも天高く飛翔しようとするかのようなブロンズの像は、高い台座に乗ってもなお、私の背丈より低く、どこかひっそりとしていた。
巡らせた思考の答えは出なかった。
人が大勢いる通路を歩く。商業ビルの中には活気があった。夜は一層深くなりつつあるというに。
暗闇の力も、ここでは除去されつくしていた。
『アカシ天守閣』の看板のそばで歩みを止める。明るいオレンジ色の照明。ばらばらに埋まった客席。
外から覗ける範囲では、カトウさんの姿はなかった。
別の店に変えたのかもしれない。
隣のコーヒーショップを覗く。照明は暗いオレンジ色。
中へ入る。予感があった。いや、記憶というのが正しいか。
視界が染まる。蜂蜜に漬かるようだった。
奥の四人席で、見覚えのある蜂蜜漬けの人――金髪の女が手を上げた。
私も手を上げて返答する。
「こっちでしたか」
「悪い。連絡するのを忘れてた。それにしても、よくわかったな」
「この店が気に入っているようでしたから。あなたが……」
「そうだったな。覚えてるもんだな……」
私はカトウさんの向かい側に、もう一人の蜂蜜漬けがいることに気がついた。先入観のせいもあってか、近づくまで別の席の客だと思っていたのだ。
「それで、こちらの方は?」
私が尋ねると同時に、蜂蜜漬けが私へうなずいた。挨拶なのだろうか。
顔立ちと服装は若い男……少年といったところか。背丈はウリヤ君と並ぶだろう。年頃も近いかもしれない。
華奢な体つきは、陽光を浴びれば塵になってしまいそうだった。
しかし、私を見上げる彼の顔は、その陽光を浴びせてでも鑑賞したくなるほどに――美少年だった。
「申しわけないが、私も彼の名前を急に思い出せなくなってね……」
芝居がかったカトウさんの言い回しに私は「そうですか」とだけ答えた。
「……」
少年の唇が動き、声が聞こえた。自分の名前だったのだろう。生まれて初めて喋ったかのようなかすれた声。
「……」
すぐにもう一つ。今度は明瞭に聞こえた。理由は発言の内容にある。
それは少年から私への問いだった。
視界は蜂蜜だが、呑み込んだ空気は苦かった。
私は、一瞬にしてうろたえ、ただちに冷静さを取り戻し、少年へ尋ね返した。
「どうして、その名前を?」
「あなたが『メヅ』だって……カトウさんが……」
私は空いた席へ落ちるように座った。
恋に落ちたのではない。
少年がつぶやいた最初の名前は、少年自身のアバターのものにちがいない。
オンラインVRゲームのプレイヤー同士が現実世界で会う……ろくなことが起きそうにない。
心臓の鼓動が早まり、目が冴える感覚。
最早カフェインは不要。
オーダーは水で良かろう。
恋に、落ちたのでは、ない。
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