第11話 仮想武者 後編
並んだ椅子の一脚がぎしりと鳴る。
LED電灯のそばで、カトウさんの金髪の色彩が濃くなる。
「糖分が必要だ。ナカマチの話は、ややこしいからな」
夕食後、私たちはカトウさんが持ち込んだ菓子を食べることになった。
サシドリさんが作ったカレーは塩辛く辛口だった。まだ口がうずく。
冷蔵庫からサシドリさんが取り出したのは、ババロアが入ったステンレスの型枠だった。
テーブルの上には、人数分のガラスの小鉢が用意されている。ひたすらに透明なだけのこの食器を使うのは、今年初めてのことだ。
どう分けるのか……。そんな疑問がわいた。ババロアは型枠に詰まった巨大な塊だ。スプーンでかき出すのは、華麗さに欠ける。
「少し大きいな、女四人だと」
意味深なカトウさんのつぶやき。私は難しく考えずに「そうですね」とだけ返した。
だが、カヤノさんは別のようだった。
「カトウさん、ナカマチちゃんとなんの話をしてたんです?」
カヤノさんは話題を変えるためなのか、そんなことを言いだした。
困る。
「そうだな……」カトウさんはお湯を張ったボウルをサシドリさんから受け取り、ゆっくりとババロアの型枠の底を温めはじめた。型枠を大皿の上で返してから両方を密着させて振るうちに、ババロアがカトウさんの腕力に耐えきれず落ちる。
大皿に乗ったババロアが包丁で切り分けられていく。それらは鈍く光る刃の面へ順に乗せられ、かすかに揺れた。
こうして、黄色い塊は四つに分割されて、小鉢へとステンレスのスプーンと共に収められた。
「お菓子作りの技術があるんなら、早く発揮してほしかったかも」
「覚えたのは最近」
「ようやく彼氏が?」
そう続けざまに尋ねるカヤノさんは笑みを――いや、ニヤついているのだった。
「なんとなくだ」
「彼氏ができたから、なんとなく?」
階級無差別の舌戦にサシドリさんも加わる。
カトウさんは無言だった。この二人のからかいは、こうして避けるのが無難なのだろう。
しかし、カトウさんは沈黙を破って口を開いた。
その話題は、少し前の時間から引き寄せたものだった。
「私の理解だとあれだ。ナカマチの話ってのはさ――」
私たちがそんなやり取りをしてから、十分ほど経つだろうか。
もうババロアはどこにもない。
あの三人の女たちは、食卓に肘をつけることで、どうにか倒れかける頭を支えている有様だった。
「カヤノ……なんか甘いものないか?」
「あー、白砂糖がそこの棚にたんまりと……」
「そうだ。コップ一杯のお湯に砂糖とマーガリン少々を溶かしてですね……」
「サシドリ、そのレシピは氷河期までとっておけ。……よし、このあとコンビニな」
長老の提案に、三人の娘たちは異議を唱えなかった。
私も、他の二人に混ざって賛成の返事をしたのだった。
菓子までついた食事をたった今済ませたばかりなのに。
どちらの立場であっても、さらなる糖分が必要らしい。この話し聞かせという作業には……。
――頭上に斧。恐怖を感じるほどに緻密なグラフィックの刃を寸前で避ける。
私は槍の後端を上げ、山賊の腰を斜めに突いた。その攻撃で山賊は倒れた。
残りは三人。一気に勝負を決めたいところだが、この三人にはあまり私の攻撃を当てられていない。
一人の山賊を倒すのに要した攻撃回数からして、無理に攻勢へ出れば、倒しきれずに反撃をくらうだけだろう。
この山賊たちは能力が強化されている。肉を斬らせて骨を断つ、そんな戦法はとるべきでない。
妖人の相手をするプレイヤーからヘルプが飛んでくる。この場において、「手伝ってくれ!」とは少し間の抜けた言い方だ。既定のボイスコマンドを使うのみで、マイクを用いて喋ることはしない主義なのだろう。
私が妖人への攻撃に参加するのはいい。しかし、妖人からの注意を私へ引き付けてしまうことにもなる。
問題は位置関係にある。
山賊たちは私一人でも対処できるが、私は山賊たちと妖人に挟まれる位置にあるのだ。
山賊と妖人、両者を相手取れば、どちらかからの攻撃を避けきれなくなる可能性は高い。
妖人の脅威は明らか。妖人とは、反プレイヤーという免疫細胞のような存在。
山賊などのNPCは行動パターンが読みやすく、攻撃動作も大振りだ。冷静さを失わなければ格上であっても対処は可能。
しかし、妖人は異なる。さきほど、私ことメヅに血を流させた剣の振り……まるで武道でもこなしたようなさまだった。中々かっこいいじゃないか。
位置関係をもう一度思い出す。
例えるなら、これは輪だ。
中心に私と妖人が背中合わせになっている。外周には刀持ちのプレイヤーと山賊。
妖人は私からやや離れたところでプレイヤーと刃を交えている。私は時々、妖人へ視線を向けていたが、今のところは私へは注意を向けていないように思う。
ではどうする。
私も外周へ向かい、プレイヤーと合流する……すると妖人と山賊が一枚の壁となって押し寄せてくるわけだ。
これは良くない。攻撃の回避が難しくなってしまう。
山賊たちを突破して、外周からプレイヤー二人で圧迫していく……これは無意味だ。強化された山賊を全滅させるのには時間がかかる。
そうした位置関係では、あのプレイヤーを援護することができない。妖人との戦いに即座の援護が必要だと判断したからこそ、私へ助けを求めたのだ。
ではどうする。
山賊、三人。妖人、一人。
二対四。このまま一対三と一対一の戦いを続けるべきか。それとも――
円を描くか、だ。
私は最も近い山賊へ棒手裏剣を打った。続けて他の二人へも打つ。致命傷には至らなかったが、三人ともがひるんだように動作が強張る。
時間は稼いだ。私は走り、こちらに背を向けている妖人へ、槍を――
「そう易々とはいかないか……」
渾身の力を込めた槍は確かに妖人へと刺さった。甲冑の胴に長い刃が深々と侵入したはずだった。
前傾した直後に頭上を白刃が通り過ぎる。
なんて長い刀だろう。長いのは腕のほうかもしれないが。
私は追撃を行わず、妖人の間合いを走り抜けた。
刀を構えるプレイヤーの横へつく。
顎がしっかりとした、眉も鼻も太い屈強な男だった。美女美男子の多いこのゲームでは珍しいアバターだった。
「妖人と山賊を時間差で攻撃します。私が主に動くので、あなたは妖人をお願いします」
マイクをオンにしてまくし立てる。相手が聞き取れたか少し不安だったが、うなずき返す男の様子を見るに、問題はなさそうだった。
さて、円運動の時間である。
最も危険なのは妖人からの攻撃だ。妖人の周囲を回り続けることで、回避はいくらか容易になる。
私へ妖人の注意をわずかでも引き付けられたなら、それだけこちらの攻撃機会は増える。
山賊と妖人の位置的な隙間が埋まらないよう、気をつけねば……。
――緩急をつけるべきだ。
部屋のベッドが折り畳み式で、事前に畳んでおいたことは幸運だった。
コントローラーを操作し、トラッキングモードを変更する。
これまで、私は移動を足元に置いたフットコントローラーによって行っていた。ゲーム内での移動が直観的に行える操作方法だ。
立ち上がり、椅子を足で隅へやる。選択したモードはフルトラッキング。VRヘッドセットに内蔵されたセンサーが下半身も含めて私の全身動作をトレースし、ゲーム内で私が操るアバター、メヅへ反映させるモード。
このモードでの移動は手に持ったコントローラーで行うことになる。私はこの移動方法が苦手だ。急に転ぶようになったりはしないが、少し気が散る。
これによって何が可能になるか。
要は、殴り合いに特化したモードということだ。
私は自分の部屋の中央に立った。
妖人が私の間合いへ一歩踏み込む。
私の槍と妖人の刀。通常なら、刀で槍には勝てない。あの刀が他より長いとしても、間合いの差は歴然。しかし、妖人の高い攻撃力を思えば大した差にはならない。
妖人が右足を引く。上半身の姿勢が、力を溜めるようにたわむ。
突きか。私もだよ。
槍の刃が妖人の突き出した肩を甲冑ごと手ごたえなく貫く。
私は妖人の横を再び走り抜けた。直線的な動きなら、握り込んだコントローラーでも可能だ。
三人の山賊を順に槍で攻める。止めるように突き、丸く払う。それは書道にも似ていた……というのは乱暴すぎる例えだろうか。
背後から吠え声。妖人が天を突くように刀を振り上げ、私へと向かってくる。
避けねば。その瞬間、妖人の速度が急激に増した。
妖人は、もう目の前にいた。
わずかに横へ動かした足を起点に身体を捻る。
技が脳裏に閃く。センサーがあの動作を追跡してくれるよう祈りながら、私は膝を曲げて屈み、片足を伸ばし――
私の、メヅの伸びた片足が妖人の足を裏から払う。
妖人が仰向けに倒れる。甲冑の重い音がした。
まさか、こんな動作までトレースできるとは……!
このゲームも雑なようで細かい作りになっていたのか!
走り寄ってきた男が妖人へ刀を突き刺す。
雷で空が裂かれるような音――死の音だったのだろうか。
ナカマチ、スイーツの宅配とろうぜ。便利な時代になったよな。何がいい?
フルーツサンドとイチゴミルクでお願いします。
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