第9話 仮想武者 前編


 まだ私が、自分で作成したキャラクターの視界の高さに慣れていなかった頃の話だ。

 何もかもが小さく見えたあの頃。

 私は岩の多い坂を上がっていた。歩くのに支障はなく、たしかに道だった。

 坂を上がりきる瞬間が嫌いだ。顔面に矢が飛んでくる心配ばかりしてしまう。

 坂の頂きの手前で、とっさに槍を突けるよう気持ちだけ構えておく。

 戦争で大切なのは、補給を絶やさないことだそうだ。

 武者たちが詰める陣地へ向けて、物資を運ぶクエストが始まって、そろそろ二十分になる。

 特別、派手な事態はまだ起きていない。退屈な二十分間だったと言ってしまえばそれまでだが、そういうゲームだと承知しているので、これ自体は苦にならない。

 このクエストのメンバーは私と三人のプレイヤー。各人にAI従者が一人ずつ。

 従者といっても、命令はできない。従者に荷物を持たせたから、自分は身軽に動ける……という設定だ。要するに、戦争サーバーにおいてプレイヤーが強化される現象を合理的に説明するためだけの存在だ。

 実際に自分の荷物を取り出そうとすれば、腰につけた収納袋に手を突っ込むことになる。こういうところは本当に雑なゲームだと思う。

 考え事をしている内に坂が終わる。予想に反して、眼前にはただ平たい道と、良く作り込まれた自然な山があった。

 やや進み、四人で荷駄隊を待つ。大荷物にゴザをかけた荷車が二台。一台当たり五人ほどの人がついて、ここまで悪路を進んできた。

 荷駄隊の人々の顔面はリアルだが、どんな状況でも表情が変化しないから少し怖い。

 仲間のプレイヤーが突然、刀を抜いた。

 抜き身の刀を構える姿に驚き視線をその先へやる。

 道には山賊風の男たちが数人。さらに山の茂みから道へと次から次に出てくる。十人ほどの集団の構成員は、三種類の顔しか持たないようだった。

 山賊の武装は刀か斧。

 こちらは刀が二、弓が一、私が槍だ。外見上の性別で分けると、私と刀持ちの一人が男で、残りの二人が女だ。

 こうして、戦闘はのろりと始まった。

 一人の山賊が刀を頭上に振り上げながら突進してくる。第一山賊発見である。第一山賊の背後に数人が続いているのが見えた。

 私は先頭に進み出て、槍を突き出した。腹を突かれた第一山賊がよろめくと、山賊同士でぶつかり合い、突進の列が乱れた。

 よろめく第一山賊を避けた別の山賊が突進してくる。当然のように、後ろには武器を振り上げる山賊の列が続いていた。

 私はまた先頭の山賊を槍で突いた。前回と同じく、突かれた山賊がよろめき、突進の列が乱れる。

 私の役目は牽制だ。事前に話し合ったわけではないが、集団の動きを抑制することが最良だと考えていた。

 隙の大きい強力な攻撃ではなく、弱い攻撃を素早く繰り返す。それによって、山賊の集団は串団子のように詰まった状態となっていた。

 刀持ちのプレイヤーが二人、動きが鈍くなった集団の横へと回り込み、斬り付けていく。

 側方から刀で攻撃された山賊が次々と倒れていった。後方からも弓持ちのプレイヤーが矢を放ち、私が相手する山賊に致命傷を与えた。

 山賊たちはあっという間に全滅した。

 ふと心配になり、荷駄隊を見る。荷駄隊は先ほどと同じ場所に留まっていた。

 もし、後ろから別の山賊が荷駄隊を襲っていたら――杞憂でしかなかった。今のところは、だが。

 その後もう一度戦闘があった。敵の戦力が前回と同じだったことに若干の不満を感じた。

 個人用帳面を懐から取り出し、二度の戦闘での報酬と私の個人評価を確認する。

 クエスト中の報酬は後払い。個人評価はAIが自動的に計算したものらしい。

 報酬も評価も、あまり良いものではなかった。敵に与えたダメージ量を考えれば当然だろうか。

 ……今思うと、知識不足どころか思慮不足としか言いようがない。

 当時は知らなかったが、このゲームでは評価の決定にかなり複雑な計算をする。つまり戦闘の評価が低いということは、その戦闘での行動がよろしくないということなのだ。

 私が正面から敵の集団を牽制していたつもりでも、弓による支援がなければ、集団は横に広がり、私たちを囲む形になっていたかもしれない。行動した順序でみれば、私が積極的でなかったから、弓持ちの行動を制限したとも考えられる。もし、もっと自由に弓で攻撃できていればより有利になっていたはず……こうした予測をAIがしていれば当然、私への評価は低いものとなる。

 AIからしてみれば、このプレイヤーたちはより優れた戦術をとれたはずなのに、そうしなかった、という判定になる。

 原因はたった一人の行動。もし、その一人が最適な行動をとっていれば……。

 これは輪を組んだ仲間内で、火のついた打ち上げ花火を筒ごと投げ渡していくような行為だ。全員が最適な行動をとるなんて不可能である。必ず誰かがやらかす。

 とはいえ、これと似たような要素は他のゲームにも、現実にもあるだろう。成績一位がいれば最下位もいる。だが、一位になるための最適な行動とはなんだ?

 その後に私が調べた限りでは、AIが予測した理想的な推移で戦闘を終えるのが、このゲームにおける『最適な行動』だそうだ。

 つまり、単純に点数を加えたり、減らしたりする仕組みではないのだ。

 もっといえば、チームで競技に挑み、自分が個人戦で一位をとっても、それを見て緊張した仲間が最下位となったなら、自分の一位も取り消されるという仕組みだ。

 なぜ、もっと仲間を思いやらなかったのか……超越的な責任の問い方だ。こんな仕組みが適用可能な社会は地上に存在しない。

 問題はここだ。このゲームでは、この仕組みが適用されているのだ。

 あの時、この場で積極的に弓持ちのプレイヤーに攻撃させていればどうなるか、といったような予測を私が正確に行うのは困難だ。あのプレイヤーの技量も、弓の攻撃力も私は知らない。『最適な行動』は偶然でもないかぎり不可能だった。

 なぜ不可能かといえば、私はすべてを知っているわけではなく、また有りうるすべての可能性を予測することなどできないからだ。だが、AIは違う。

 人間の私と計算機械のAIとでは、持っている情報量も計算能力にもとてつもない差がある。

 私の計算能力が人間並みであることや、このゲームやプレイヤーの何を知っているかなんて関係ない。

 AIには可能。私には不可能。その違いをこのゲームのAIは考慮しない。

 ……うまく言葉にできない。それでも、他のゲームにない重大な欠陥が、このゲームの中枢にあるような気がしてならない。

 だが、もっと重要で、当時の私が気にすべきことがある。

 私の個人評価が低いということは、他の三人のプレイヤーの個人評価も抑えられているはずだった。

 私とは異なる発想で、『最適な行動』を可能な限りとろうとした人物がこの場にいれば、その人物は私を良くは思わないだろう、ということだ。

 戦闘の端緒を切ったのは私であり、その後の推移を決定づけたのも私なのだから。

 なにが正しいかわからないまま、正しいことをせよと迫られる。最後には、お前は過ちを犯していたのだとだけ教えられる。

 いまだに断言できないが、このゲームはAIに限らず、設計自体がなんというか……人間の心理を探っているような、あるいはもてあそぶような傾向がある……そんな気がする。

 きっと、どこかの誰か、恐ろしく聡明で、自分の能力が平均的だと思い込んでる知能型弱虫みたいなやつに大金を預けた結果が、このゲームなのだろう。

 けれど、あの日の私はこのゲームでほんの少しだけ人間的に成長することとなったのだ。すりかえにも等しい感想だが、それが事実だ。

 クエストの進行は、まだ半分といったところだった。



「ちょっと待て、ナカマチ。これはもしかしてとても長い話じゃないか?」

「それほど長い話をするつもりはありません。もう半分なので」

 カトウさんは眉をひそめた。苦虫を噛み潰したような顔、といったところか。

「では、結末だけ話しましょう」

「いや、そこまでしなくてもいい。そうだなぁー……」

 カトウさんは頬杖をついて何かを考え込んでいる。美少女度急上昇である。少女に例えるのは、かえって失礼かもしれないが。

 さて、話を続けるか。

 私がそう決めた時、部屋の扉がノックされた。

 返事をする間もなく扉が開かれる。

「カレー、オ持チシマシター」

 現れたのは片言のカヤノさんだった。

「手ぶらじゃねぇか。カヤノ、自分がなにしたかわかってるんだろうな。お前、ここに男を――」

「先ニ香リダケオタノシミクダサーイ」

 カトウさんのあまりにもストレートな追及が続くのを、カヤノさんが自分のTシャツをあおいで妨害する。

「……私は食通じゃねぇよ。なんで空気だけ運んでんだ」

「えっ、ここに男を連れ込んだ奴がいるんですか!?」

「それを今話そうとしてたんだよ。いいか、お前やナカマチやサシドリにだって男ぐらいいるかもだがな――」

「ねぇねぇ、サシドリがカレー作ったってさ。知ってた?」

「知ってます」

「お前ら、他人に順番を譲るってことを覚えろや!」

 これは私も責められているのだろうか?

 それはさておき、カレーということになった。

 正確には、カレーと冷凍シューマイだが。

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