第6話 マグマの川を走って渡れ! 後編


 目の前の坂を駆け上がり、その勢いのまま人の背丈ほどもある岩を乗り越える。

 坂の先は岩場だ。平たい岩々の面から面へと飛んで渡る。

 途中、木々が開けた場所から、離れた山の斜面に人がいるのが見えた。

 草と岩ばかりある高山のような斜面。そこを数人が列をなして……あれは競走なのか?

 すぐに思い浮かんだのは、サウナを先に出た五人組だ。

 どうやら、あちらも何かのイベントに巻き込まれているらしい。

 何度目かの跳躍で違和感を覚えた。

 足音が二つ聞こえるのだ。私が立てた音の直後に、もう一つ続く音。

 技術的な原因のある現象なのか、それとも誰かいるのか。その誰かって、思い当たるのは一人しかいないじゃないか。

 振り向きたい、自分の背後を確かめたい、ここまでの自分の思考も感情もが不様な醜態だったかもしれない恐ろしさ――そんな思いを断って駆ける。

 私の後から音が聞こえるということは、相手が私よりも遅れているということだ。今ここで集中を乱して失敗でもすれば、そこで勝負は終わりだ。それは少しだけ嫌だ。少し嫌ということは、絶対に嫌ということでもある。

 そして、私はとうとう岩場を抜け、乾いた地面へ降り立った。

 立ち止まらず駆ける。どうにか失敗せずにここまで来れた。あとはほぼ直線の坂だ。

 競走相手であるイーグルがどの地点にいようが、直線で大きくタイムを縮められるのは私のほうだ。それがイーグルの高速コーナリングに優ると信じるしかない。

 相変わらず、足音は二重に響いている。

 気持ちに少しだけ余裕が出来てきたので、背後へ振り向くことにした。

 ……男。そこにいたのは、見覚えのあるたくましい男だった。私、メヅと同じモーションで腕と足を振るって、坂を駆け上がっている。

 まあ、イベントの進行を考えれば自然なこと……と考えられなくもない。ゴール地点である廃城でのイベントには、このキャラクターが付き添っているはずだからだ。

 プレイヤーの後ろにつく、ということは、私がもっとも先行しているのだろうか。それは考えが甘すぎるか。

 それにしても、男が私とくっつきそうなほど近くにいることに、若干の不安を覚えた。何かのきっかけで衝突すれば、突き飛ばされるのは、体格からしてメヅのほうなのだから……。

 坂を駆け上がる速度が徐々に加速していく。視界の隅が狭まる。これは加速による画面エフェクトだが、パーカーのフードを無理やり被せられたようで少しだけ邪魔に感じる。

 ここまで加速すると、走りのフォームが変化する。上半身を大きく前傾し、両手を力強く振る走りにだ。

 このフォームは個人的にもお気に入りだ。自分では見られないのが残念ではある。これを『ウマ・フォーム』と呼ぶらしいが、『ウマ』が人名か外国語なのかは未だに知らない。

 後ろを走る男も、このフォームに変化しているのだろうか。気になったが、振り向くのはやめておこう。もし私の想像通りの光景がそこにあったら、集中をかなり乱される予感がする。それこそ、この直線の坂を駆け上がりきれないほどに。

 駆ける。坂の終わりは近い。もうそれが見えている。

 土と緑だけだった風景が、灰と青空へ変わった。

 ここが頂上だ。大昔に廃棄された城の跡、という設定の建物を通る。建物といっても、残っているのは石垣がせいぜいで、板や棒の形に見える材木を組んだ残骸が、かろうじて建物という設定を維持している。あとはとにかく石と土ばかりだ。

 廃城の中心にはすぐたどり着いた。

 コントローラーを操作し、表示した地図でゴール地点を確認する。

 うん、この場所で合っている。イーグルの姿はなかったが、勝利の実感はない。

「妙だな……」

「へぇ?」

 思わず男へ返事をしてしまった。私の声がゲーム内に反映されることはないのだが。

 男が腕を組んでうなっているところに、イーグルが到着した。

 本来なら、互いの健闘を称え、ただちに『御苦労』を贈る場面だ。しかし、なんとなく遠慮してしまった。

 山道を駆け抜けるのは操作技術によるものだ。一方で抜け道は広く共有された知識だ。

 知識を超えた駆け引きはあったかもしれない。

 どの体格ならどの抜け道が使えるか。誰でも通れるとか、イーグルだけが通れるとか、メヅだけなら通れるとか……。

 プレイヤーの実力といえるのは、技術と知識のどちらだろうか?

 答えは私自身が知っている。誰もが納得する答えではないとしても、自分で見出した答えを捨てたくなかった。

 これこそ醜態だ。

 なぜなら、私は何もせず、その場にただ立っているだけなのだから。

 イーグルはそんな私のそばへ近づくと、親指を立てて『御苦労』を贈ってきた。

 私も親指を立てて『御苦労』を返した。

 四白眼を備えたイーグルの顔の表情に変化はない。表情が変化しないといえば、メヅもそうなのだが。

 勝手かもしれないが、私はこのやり取りを経て少しだけ安堵した。ああ、勝手だ。

「妙だな……」

 二度目である。一体何が妙なのか質問したいが、そんなコマンドはこのゲームにない。

「妙だな……」

 妙なのは貴公である。

「妙だな……」

 だんだん間隔が短くなっている。

 嫌な予感がしてきた。

 私は辺りを調べることにした。イーグルも独自に調査を始めたようだった。

 それはすぐに見つかった。

 地面を掘った跡と、カラになった木箱だ。

 ……先を越された。どのような手段だったかはわからない。

 確かなことは、ここにあるはずの秘宝級妖石を何者かが事前に入手してしまったということだ。

 だってそうだろう、私とイーグルよりも先にここへ来ることは不可能……待てよ、スタートした最初からここを目指していれば……いやいや、レアイベントで出現する秘宝級妖石を事前に入手するのはそれこそ不可能なはず……。

 以前、たまたま廃城にいたプレイヤーが一着になってしまう可能性を疑った。

 しかし、イベントが始まった時点でほとんどの被疑者はサウナにいたのだ。サウナに来なかった四人組は少し怪しいが、四人ともサウナの近くで私が目撃している。未強化のまま、あの短時間でサウナ近くの狩場まで降りてこられるだろうか?

 イベントの仕様に何か原因があるのだろうか?

 それともバグ、プログラムの欠陥を悪用されたのか?

 あるいは空間の見えない隙間を狙ったグリッチか?

 誰かが悪さをした――そう考える私の脳裏をよぎるのは、なぜかあの女武者だ。

 いや、良くないぞ。人を疑うのは良くない。

 まず、このフィールドには十二人までしか入場できない。

 サウナに入浴しなかった四人組と入浴した五人組、私とイーグル、そして女武者。

 やはり、被疑者は四人組か女武者……?

 だめだ、なんだか混乱してきた。

 大雑把なこのゲームのことだ。イベント報酬の消失くらい起きても不思議ではない。

 そもそも、この廃城でレアイベント発生時にしか発見できないはずの財宝を入手する方法とはなにか。

 イベントが開始した時点では女武者もサウナにいたのだ。

 やはり、誰かがチートを使ったのだろうか?

「優勝者を発表する!」

 重く低い声が響く。例によって、あまり時代にそぐわない言葉づかいな気がした。

 唐突に平常を取り戻した男が巻物を取り出し、私とイーグルへ突きつけるように広げた。

 重力に従い、縦に広がった巻物には、古風な絵柄の武者が描かれていた。

 武者の髪は長い。ポニーテールのように……。

「此度は大儀であった。さらば!」

 煙と共に男が消える。

 こたびはたいぎ、か……。

 イーグルを見る。私へ親指を立ててくる。『御苦労』は一定時間をおかないと繰り返し贈れないが、私もイーグルへ親指を立てた。

 入場時間はまだ余っているが、もうやる気はない。

 ここで何があったかなんてどうでもいい。女武者のとった手段が、ゲームプレイヤーとして倫理的かそうでなかったのかもどうでもいい。

 疲れた。ログアウトだ。

 イーグルももういない。

 コントローラーを操作し、私はゲームを止めた。



 VRヘッドセットを机へ置く。

 椅子から立ち上がり、ベッドへ身体を投げる。

 力を抜く、ただ抜く。深呼吸を少し。疲労すると呼吸が浅くなり、健康に悪いらしい。

 ポケットのスマートフォンを取り出す。山での出来事を調べようかと思ったが、止めた。後にしよう。


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