第5話 マグマの川を走って渡れ! 中編


 全員がサウナにいる。まだ誰も出て行ってはいない。

 私が入浴による最大限の強化を得るまでの時間は残りわずか。次の行動へ失敗なく移るためには、今のうちにこの状況を可能な限り素早く分析し、完璧なプランを練らなければならない。

――競うか、おぬしら。

 そんなセリフを唐突に発した男は、今は無言で髭を撫でている。こんな特殊なモーションがあるのなら、プレイヤーにも使えるようにしておいてほしい。どう考えても異常だろう……狭い室内にこもった人間全員が、姿勢よく黙って正面を向いている姿は。

 このゲームへの意見はまだあるが、今は置いておく。

 さて、この男が言ったのは非常にレアなイベントに関することだろう。

 このサウナがある山の頂上に存在する廃城へ誰よりも早く到達し、秘宝級妖石を入手すること――それがこのイベントの主だ。要するにトレイルマラソンだ。

 参加者は男を除いて三人。その中でもっとも有利なのが私だ。サウナに入浴した時間に比例したステータス強化はそれほどに強力だからだ。少なくとも、私が他の二人に負ける可能性は低い。道を間違えたり、どこかの崖で落ちたりしなければ、だが

 この勝負、もらった。……待てよ。

 男はイベント用のノンプレイヤーキャラクターというやつだ。だから、このフィールドにはもう一人プレイヤーがいることになるのではないだろうか。

 サウナに来ていなかったのは三人ではなく、四人だった……ということか。懸念すべきは、その四人目がもしかすると山頂の廃城を目指しているかもしれないということだ。

 廃城は収集目的なら旨味のない場所だ。しかし、他の目的、例えば撮影などなら行く価値がある。普段なら問題はないが、このレアなイベントが発生した現状では、山頂にいるそのプレイヤーが苦も無く優勝という事態になってしまう。

 普通はなんらかの対策がありそうだが、なにかと雑な作りのこのゲームのことだ。頑張った結果が骨折り損ということも起こりうる。

 まぁ、心配してもしかたがない。自分が走りきれるかどうかのほうが重要だ。

 視界の端にタイマーのアイコンが表示される。針がゆっくりと動き、ついに時間が――私の前のイーグルが立ち上がり、外へと向かった。

 私よりも、イーグルの強化が一段高まるのが早かったようだ。

 タイマーのアイコンが赤く染まる。私は足元に置いたフットコントローラーのスイッチを踏みつけ、メヅを立ち上がらせた。

 イーグルに遅れはしたが、ほんの数秒だ。問題ない。

 脱衣所への扉を開ける。女武者はまだサウナにいるつもりらしい。後ろ手で扉を閉めるモーションが生じる。少しもどかしい。

 脱衣所の端でしゃがみ込むイーグルの背中が見えた。すでに靴、いや草鞋を履き終えている。

 そのまま駆けだすイーグル。見た目は女子なんだから服くらい着ろ!

 まあ、それだけ本気ということだろう。かくいう私も服どころか、足にもなにかを着用するつもりはない。イーグルと同じく、下着だけである。

 こうして、私とイーグルは調子にのった海水浴客のように山道を走り始めたのだった。

 私のやや先を走るイーグル。このゲームで走るさいに靴を履くのは重要だ。脚力にそのまま直結する。

 対して私は裸足だが、それによるハンデは今のところまったくない。これも私とイーグルとで受けたステータス強化の差だ。一方で、私がサウナを出遅れたことで生じた差は、もうじき埋まりそうだった。

 山を走る。道を間違えないように集中しなければ。山道は細かく枝分かれしている。上へ登る道が、そのまま山頂へ通じるとは限らない。登っているつもりが谷へ出てしまい、気がつくと遭難していた……そんな道もある。幸い、このフィールドは時間制限つきだ。時が来れば強制退出させられ、本当に帰れなくなる事態にはならない。

 続けて走る。開けた平たい場所へ出た。

 フットコントローラーを踏みながら、首を振って周囲を見回す。数人がばらばらに石やら薬草やらを集めていた。もし、未強化のプレイヤーがいるならこの辺りだが……散らばった人の数を数えると四人だった。どうやら、四人目の未強化プレイヤーは山頂へ向かっていなかったようだ。不確定要素が一つ減った。

 考えてみれば理不尽なイベントだ。私より先に出たあの五人組にもチャンスがあるべきだ。案外、向こうでもなにかのイベントが起きているのかもしれないが……。 

 視線を正面へ戻すと、心臓がドキリと跳ねた。

 イーグルが私よりも先を走っているのである。それはさっきから同じなのだが、明らかに距離が開いている。

 靴以外の装備品の効果か、あるいは脚力に関するスキルか?

 いや、戦争サーバー以外ではそういった効果が無効にされるはず。ステータスを強化する消耗品なら別だが、そんなものを使った様子はイーグルにない。

 もう一つ気になることがある。まだサウナを出て二十秒も経っていない。その間、差は縮まりつつあったはずだ。

 最大の強化を受けた私がイーグルよりも遅いなんて!

 笑ってしまいそうなほど、悪役っぽいセリフである……。

 冷静にイーグルを見る。坂になったカーブを駆け上がる。この先はカーブが連続している。

 私とイーグルが走るラインは同じだ。

 しかし、しかしだ。カーブを一つ通過する度に、私とイーグルの距離は開くのだ!

 まずい……。ここでようやく気づく。イーグルが私より速い理由を。

 このゲームでは個人の体格に慣性が働くのだ。私、メヅは成人男性並の体格だが、それに比べてイーグルははるかに小柄だ。

 体格の大小がコーナーの脱出時間に影響する――知っていたはずなのに!

 そもそも、私が受けたステータス強化も脚力には大した影響がなかったのではないだろうか。そんな不安が頭をよぎった。

 このままでは確実に負ける。だが、諦めるつもりはない。

 私の頭の中で、何枚もの地図が飛び交う。

 探しているのはこの山に数多くある抜け道への目印だ。

 抜け道を通ること。それは転落や滑落、さらには流れの急な深い川や強アルカリ性の温泉など、様々な危険が待ち受けているリスキーな選択だ。

 私がイーグルを抜くには、抜け道を通ってショートカットするほかない。

 単純に目の前の抜け道を通ってはダメだ。私がこの道を外れた途端、イーグルもまた抜け道を通ろうとするだろう。

 しかし、まだ勝ち目は残っている。

 この山の抜け道は、体格によって通れるかどうかが別れているのだ。

 つまり、このまま走り続け、イーグルが通れる抜け道をすべて通過して、それからメヅが通れる抜け道へ向かうのだ。

 そんな都合の良いことがあるのか。あるのだ。

 視線を周囲へ走らせる。

 毒キノコが生えた倒木! 違う!

 妖精がいそうな切り株! 違う!

 人の笑い声をまねる鳥! 違う!

 木とほぼ同化した骸骨! 違う!

 ああ、中学生の頃の自分だったらくすくす笑っていただろう卑猥な形の岩!

 ここだ!

 私は両手に握ったコントローラーを振って、メヅを抜け道へと飛び込ませた。

 この岩、裏から見るとそんなに卑猥でもないな……。

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