第3話 輝く闇


 ……暗い食堂で、二人の女が働いていた。

 一人が鍋を火にかけ、灯具を携えた一人がそれを照らしている。

 食事を準備しているのか、あるいは生贄の到着を待っているのか……。

「サシドリさん、これお粥じゃないですか?」

「えー、リゾットだよ。今からリゾットになります。ではここで中華出汁の素を少々」

 中華粥になった。

 素早い動きでサシドリさんは皿に乗った具材を鍋へ入れていく。

「ソーセージをイン! 続いて溶き卵もイン!」

 卵はともかく、ソーセージは別に調理したほうがよかったのではないだろうか。

「ナカマチちゃん。思ったんだけど、ソーセージは別に焼くとか煮るとかすればよかったね」

「今すぐ鍋から引き上げれば間に合いますよ」

 私は菜箸をサシドリさんへ渡した。空いた手で今日はまだ未使用の片手鍋を差し出す。

 素早く菜箸を操るサシドリさんによって、ソーセージの山は鍋から私が持つ片手鍋へと移されていく。

 サシドリさんの手が止まる。鍋では救出待ちのソーセージが煮られている。

「ナカマチちゃん。ふと思ったんだけど、実はそのスマホでライブ配信してるとかないよね?」

「してません」

 サシドリさんは小さく笑うと、残りの生煮えソーセージを片手鍋へ移した。

「焼きますか、煮ますか」

「水が中途半端に余ってるし、ボイルでいいでしょ」

 私は少しだけ苦労して、置いた片手鍋をミネラルウォーターで満たした。ソーセージが浸るぎりぎりの水位。

「もしこの調理風景を私が配信していたら、きっと炎上していました」

「過激な場面を撮影した者が、時にはその場面よりも過激だと受け取られてしまうわけね」

 急に難しいことを言われた。サシドリさんはそれ以上何も言わなかったが、私が恐れて照らせない暗闇で、笑みを浮かべている気がした。

 そうした私の困惑をよそに、鍋はぐつぐつと煮立っている。サシドリ風中華粥の完成は近いようだ。

 カセットコンロの火が落とされる。サシドリさんが中華粥を三枚の深皿へよそい、カラになった鍋を重ねた布巾の上へ移す。私は片手鍋をカセットコンロの上へ乗せ、再び火を――

「待てや!」

 振り向くとカヤノさんがいた。着替えをしたことで、ずぶ濡れ状態からは復帰している。首にかけたタオルは、カヤノさんを風呂上りのようにも見せるが、停電のため風呂どころか温水すら使えないのが現状だ。

 カヤノさんはサシドリ風中華粥と生煮えソーセージを交互に見ている。私の隣に立つサシドリさんから緊張が伝わってきた。

「陸軍はこの粥の判定を『優』とする!」

「ありがたきしあわせ~」

 いかめしい低い声を用いたどこか噛み合っていない会話。おそらく友情によって成立している。

「ソーセージは焼きますか、煮ますか」

「うむ、煮たまえ。……もう水に入ってたら煮ろとしか言えないだろ」

 それももっともな話である。

 ……三人の女が食卓へつく。食卓の中央では、カセットコンロの火でソーセージが煮られている。

 思いがけないことが起きた。頭上にある丸い灯具が光を宿したのだ。

 女たちは深く息をついた。それは安堵だろう。誰も言葉を口にしなかったのは、闇の中で起こした強がりがまだ続いているからなのかもしれない……。

 食卓には皿が三枚あった。復活した照明で完全に照らされている。

 それを見ているうちに、私はつい棚へ手を伸ばしていた。もう一枚の皿を取ろうとしたのだ。なんとなくの習慣で。

「ウリヤは遅くなるってよ」

「そうなんですか」

「彼も不幸だね。私の手料理が食べられないとは」

 カヤノさんの報告に反応を返す私とサシドリさん。

 ゲリラ豪雨はとうに止んでいる。夜にやや相応しくない表現だが、天気は晴れだ。これから帰宅するウリヤ少年は幸運だろう。

 匙が深皿を鳴らすたびに、粥が減っていく。鍋から湯気が旺盛に立ち上っている。もう頃合いだろう。

 私が菜箸を取ろうと立ち上がった時に、カヤノさんが言葉を発した。

「案外、彼女と遊んでるのかもな」

「出来たんですか、彼女」

「身近な私を差し置いて?」

 サシドリさんが身をしならせる。同性の私には、異性から見たセクシーさを判定するのは難しい。

「彼女が出来たかもは、たとえばの話。確認したわけじゃない」

「ねえ、ウリヤ君ってさあ、絶対に年上の女が嫌いだよね。思春期の男が成人女性と暮らして何もないなんて、正常に発育できているかすら不安になるよ。いや本当に」

 サシドリさんは急に早口になった。まあ、もっともな話である。そう思いながら、私はぱつぱつのソーセージをそれぞれの皿へ一つずつ順に配っていった。二人ともが私へ礼の言葉をかけてくれる。破天荒なようで、こういうところは決めてくるのが不思議だ。おっと、フォークを忘れていた。

「……たしかに、不安かもな」

「海軍はお姉ちゃんが原因だと推察する」

「……陸軍としては賛同しかねる。で、推察の中身は?」

「お姉ちゃんが、あんただから」

 サシドリさんがカヤノさんを指さす。まるでサスペンス映画の一幕か、我が家の日常のようだ。そんな光景を眺めながら、私はソーセージをかじった。続いて二人もフォークを持ち、同時にかじった。

「正直、ぐうの音も出ないな。身に覚えばかりある。……けど、あと一週間もすれば夏休みが終わる。あいつはここを出て、家へ帰る。そして、多分ここにはもう来ない。……女に囲まれて暮らすなんて、もう嫌だろうからな」

 最後の言葉を言い終えたカヤノさんは、小さく笑った。映画の悪役のように小さく。それはサシドリさんも同じだった。

「ナカマチちゃんは、なにかあった?」

「停電の原因は落雷だったねぇ。パソコンとかやばいんじゃないの?」

 急にマイクを向けられた。この二人から同時攻撃を受けて冷静に対処できる人は少ないだろう。私にも無理だ。

 長く低いうなり声で放送事故を回避する。

「えー……。そうですね……。まあ、多分大丈夫です。パソコンはまだ点検できていないんですけどね。仮に壊れていたとしても、ゲームにしか使っていないので、あまり被害はないですね」

「あれって、お高いゲーミングPCってやつじゃなかったか?」

「そうですね。まあ、ゲーム以外では過剰な性能でしたからね。同じ額で買い替える気もないので、お金の心配はせずに済みます」

「でも、あのVRでやるゲームってすごいんじゃないの?」

 私は二人の女にかわるがわる責められ……いや、攻められた。ああ、どっちでも変な意味になる……。

 私にとってのあのゲーム。一応フレンドもいるというのに、我ながら薄情とは思うが、あまり未練はない。

 ただ、どうにかもう一度ログインしたいとは思う。

 もしPCが壊れていなければ、所持品の整理くらいはしておきたい。

「VRゲームはすごいと言えばすごいですけどね。趣味とはいえ、あれを扱えるクラスのパソコンを買うのは大変ですからね。まあ、壊れていなければ杞憂ですが……」

 ほうほう、といった表情の二人。こちらのゲリラ豪雨も、私はどうにかやり過ごせたらしい。

 食事を終え、食器を片づける間、私はゲーム世界のことを思い出していた。あの時、ログアウトしなかった女武者のプレイヤーも、今頃はどこかでPCの心配か点検でもしているのだろうか。

 メヅを思う。あの暮らしが終わる日も近い。物語風にすれば、『都落ちののち山でみずぼらしく生きた男、メヅ。雷に打たれて死す。』……とでも書けるだろうか。

 蛇口から温水が出るのを確かめるうちに、私はPCの買い替え費用の見積をぼんやりと始めていた。

 やはり、遊興への未練は断ちがたく……。

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