第4話 俺たちに定時はない。
「お疲れ様。修理完了してから二十分強経過してるけど、今のところ通知ブザーはないわね。あなたたちが扉をこじ開けて入ってきたこと以外はね。」
白いスーツに身を包む女性。胸に輝くはこの部署を統括している証のバッジ。
口調は穏やかに聞こえるが、呆れた表情で手厳しいことを言う。
この上司は一言多い。だが、正しいところを指摘してくる。
机の上に山積みになっている書類の影から、時折姿を見せながら「これは論外。」とか「だめ。」などと言っている。
「あの、署長。さっきから何をしているんです。それにこの書類の山。」
署長の机周りは机上に限らず、床にまで紙の山が出来ている。
「これは入署希望者の申請書類ですか。人手不足なので大変助かるのですが、なぜこんな時期に? 新人募集が許されているのはまだ先ですよ。」
クリスが床の紙山から一掴み取ると、書類に目を通しながら言った。
「そうなんだけどねー。上からのお達しでね。でも、ここにある山は。」
署長はバンバンと、自分の机上右側で山になっている紙山を叩く。
「全部アウトなんだなー。」
言いながら手と目を止めることなく、紙山から手に取れるだけ取ると素早く操り右側の紙束に重ねていく。
「署長、それちゃんと見てるんですか? 」
あまりにも早い紙さばきにジュンが口を出した。
「あなたは気にしなくていいの。内容はちゃんとこの眼鏡でスキャンしてるから。リラックスしながら後でじっくり選ばせてもらうわ。」
ジュンの頭を撫でる代わりに、書類の束で軽く二、三度ポンポンと、叩いた。
ムッとしたジュンが書類の束を横取りすると、署長がここに置いてくれと言わんばかりに、床の紙山を指で示す。
「カー署長。」
示された紙山に書類の束を戻そうと体を屈めた時、上から呆れたようなクリスの声を聞く。
「お言葉ですが、一人でさばくには多すぎではないでしょうか。今日はもうオレの担当はありませんので手伝わせてください。もちろん、残業代有りで。」
子供がいたずらをした時の様に笑う。
反してジュンは嫌な表情をした。彼のいいところでもあり、悪いところでもあるお人好しの発動。根本的にこんな性格だから憎めないのだが。
このクリスの一言で、何時に終わるかも分からない残業が決定したのである。
肩をガックリと落とすジュンにカー署長は優しい笑みを向けながら言う。
「あと二、三人くらい新人来たら残業なくなるかもね。」
「いい笑顔で言わないでくださいよ。」
今にも泣きだしそうな声で抗議するジュンを、子供を慰めるようにクリスがなだめる。
「ここにいる三人しか所属者はいないんだ。申し訳ないが協力してもらう。それに、この部署が定時で終わったら、何か良くないことが起こりそうだろ? 」
異様に輝くクリスの笑顔が、ジュンの心に大きな不安の種をまく。
「不吉なこと言わないでよ。」
心の中で芽吹き始めた不安を拭い取るように、目の前にある山積みの書類に手を伸ばす。
「え。これって。」
たまたま手に取った一枚の申請書。
ジュンが詳しく見ようとする前に、カー署長が素早く奪い取る。
「君が審査をするのは、まだ早いと思うんだー。」
言葉の続きを言われなくとも「見なかったことにしなさい。」という圧を掛けられているのが理解できる。
「じゃあ、俺は何で残業を? 」
カー署長は思い出したかのように、空中ディスプレイを出す。
「また通信部から修理の依頼が来ているのよ。」
「またですか? 」
「その依頼はこの間オレが受け持ったやつですかね。」
ジュンとクリスは不思議そうな表情をして見せた。
「オレがミスをしたのならば」
「そうじゃないんだよ、クリス。」
カー署長は少し声を張って、クリスの言葉を遮った。
「前回、君が担当してくれた案件とは別らしい。」
「別? 依頼書を拝見しても」
手を伸ばしたクリスの手からひらりと書類を遠ざける。
余ほど知られたくないらしい。
「あのさ、その依頼受けるよ。」
不満げな顔のクリスを横に、依頼の内容を確認もせずに言う。
カー署長の空中ディスプレイは、ジュンの声を認識してしまい、依頼受理の通知を相手に出してしまった。
「あー! やられた。」
「えっ! なんです? 」
自分が何をやってしまったのか分からず混乱気味のジュンを尻目に、カー署長は空中ディスプレイを閉じて電源を落としロックしてしまった。
彼女としては、クリスにもジュンにも請け負って欲しくない仕事だったのだ。
二人が事務所を出た後、一人で処理しようとしていたのに。
今までの依頼内容におかしな所はない。が、今回に限ってジュンを指名してきたことに違和感を感じていたのだ。
月というこの狭い世界で人を疑うことはしたくないが、ジュンの声に反応したことでカー署長の中で不可思議を解くピースが揃ったらしい。
「これは謀られたわね。」
静かになった事務所の空気が、彼女の一言で重くなるのを感じた。
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