第3話 特別なオレンジ。
クリスは緩んでいた目元を引き締めると、肩を落としているジュンを見て苦笑いをする。
「そろそろ事務所へ顔見せに行こう。」
「はい。」
クリスとジュンは部屋を出ると、ジュンにからかいの言葉を掛けてきた連中が、自分たちの所属している部署を教えてやるとでも言うように、わざとらしく左肩に縫い付けられたワッペンを見せつけてくる。
「なーんか嫌な感じ。」
ジュンが声に少しの怒りを混ぜながら言う。
「あいつらみたいなのは放っておけ。どうせすぐ何も言えなくなるから。」
「ああ、まあ。そうですけどね。」
二人はニヤニヤしながら小声で話す。
「随分と仲がいいんだなー。」
全員着替えを終えても誰一人その場から離れようとしない。
ならば今度はこちらが。とでも言うように、二人はオレンジ色の作業着用つなぎを身に着けた。すると、急に周りがざわめく。
「おい、お前ら、そのつなぎって。」
「見ろ。あのワッペン、整備課のだぞ。」
誰かの『整備課』という言葉に合せて、全員が発言を止めた。
「じゃ、お疲れ様。」
クリスはウィンクしながら彼らとすれ違うと、洗浄ルームを出ていく。その後をジュンが追う。
地球とは違い資源が少ない月では、モノを大切にすることが当たり前のように根付いている。整備課は今ある資源を活用する、をモットーに展開している部署だ。
厳しく汚い、それに加え向学心や忍耐力がないと務まらない。所属者が少ないのも適した者がいなかったからだ。
限りある資源でなんでも直してしまう。と注目され、給与額も良いので羨望の眼差しで見られることが多い。整備課のワッペンとオレンジ色のつなぎはステータスの一種になろうとしている。
洗浄ルームを出ると、クリスはジュンに聞こえるように大袈裟にため息をつく。
「なんだよ。」
「昔から、喧嘩する時はよく相手を見ろって、言い聞かせてたんだけどな。」
「そうだっけかー。」
ジュンはクリスから顔を反らすと、口を尖らせる。
「一度も教わってない。」
いじけた様子のジュンが可愛くて、クリスは豪快に「わはははは! 」と笑うと、ジュンの頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でた。
「子供じゃないんだから! 」
ジュンが手を払いのけると、クリスは優しい表情で言う。
「こんなに大きい子供はいないが、可愛い弟がいるんだ。二人ね。」
弟という言葉に過剰に反応したのを見逃さなかった。
クリスにとってジュンは本当の弟みたいな存在になっていた。
血の繋がった弟はいるが、今はここにいない。
事務所の道すがら思いに耽る。ジュンと出会ったのはどのくらい前だろうかと。
あれはまだ誰もが安定した職を手にすることが出来ない頃だった。
地球人類が月へ移住するには、様々な問題がありその中の一つに、大きく開いてしまった経済格差があった。
少し考えれば誰にでも分かることで、負の連鎖から抜け出せなくなった人々が多くいた。
持っている者は月へ。
持っていない者は地球に残る。
月へ来たのはいいが、ここでも格差は引き継がれてしまう。
持っている者は光が豊かな所へ。
持っていない者は闇の中へ。
クリスの家系は後者だった。
同じ境遇になった者たちでコロニーを作り、技術を持つ者は居住用のドームを造る。手先が器用な者は光を忘れないようにと、ランタンや街灯を造った。
苦しんでも生き抜いてくれた先祖のおかげで自分がいる。
日々生きてこられたことに感謝しながらも、家族と仲良く暮らしていたある日。
夜、仕事から帰宅した父の腕には、一歳になったくらいの子供がいた。
母は慌てて小さな客人のために食事を作り始める。
その日初めて、両親の喧嘩を見て大きなショックを受けたのを鮮明に覚えている。
結局、小さな客人は両親が引き取ることになった。
弟と二人でよく遊び相手をしていたっけ。と、目の前でふわふわと上下に揺れる頭を見てまた口元を緩めるのだった。
「クリスはさっきから百面相してるけど、何かいいことでもあったのか? 」
急に振り返り立ち止まると首をかしげて訪ねてくる。
「なんでもない。」
クリスは笑顔で言うとジュンを置いてさっさと歩いて行く。
「何か気になるなー。」
足早に近づき後ろからついてくるジュンは、楽しい思いばかりでなく辛いことも思い出させる。
「おーい、クリス。事務所のドア過ぎてるよ。」
「えっ。あ。悪い考え事してた。」
『整備事務所』と書かれたプレートを見て気を引き締める。
「今回も上手くいったはずだけど。」
「だといいが。」
クリスがドアをノックし「失礼します」と言うと、二人で中へ入っていった。
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