雨郡華―④

 ついに明日はコンクール本番。今日は午前中から午後四時頃まで練習をしていた。そして今は自分の楽器を背負って帰途についている。明日は現地集合ということになっているのだ。

 今日も生憎の雨。それもかなりの豪雨。新しく買ってもらった青い傘で、楽器を守りながら歩いていた。片方の手にはピンク色の傘を握っている。


 実は、先日いつも使っていたピンク色の傘を紛失してしまった。二、三日探しても出てこなかったため、新しく買ってもらったのである。

 なのに。今日、見つかってしまった。正直に謝るしかない。


 駅が見えてきた。駅舎の前で、誰かが途方に暮れているように見える。見るからに傘を持っていないようだ。

 いいことを思いついてしまった。


「あの、傘、持ってないんですか?」


 あたしは男に駆け寄ると声をかける。


「お、おう」


 チャンス。


「これ、使いますか?」


 すぐさま傘を差し出した。

 まぁ、別に親切心が全くなかったわけではない。こんな雨の中傘なしで帰るのは、とても可愛そうに思えた。それに、このことを正直に親に話せば無罪放免だろう。この男を見殺しにするのも嫌だ。むしろ二つ持っていてよかった。


「え、いいの? 傘くらい交番に行けば貸してくれそうだけど……」

「いいんです。どうせ二つ持っているから」

「あ、ありがとう」


 男は不器用な笑みで傘を受け取った。多分若い女の子と話すことなんてなかなかないんだろうな。


「もしかして、楽器、やってるの?」


 やっぱりバレるか。こんな形状のケース、普通はバレないのだが、音楽をやっている人が見ればすぐに分かる。

 あたしは小刻みに頷いた。


「音楽か。いいものだな」


 あれ? この人音楽やっているんじゃないのか。


「でも、芸術の世界は楽しんでいるだけでは生きていけないぞ」


 男はあたしの顔を見ずに呟いた。もちろんあたしに向かって言っているんだろうが、なんとなく男自身に対して言っているようにも見えた。多分、この人も何か芸術関係のことをしていて、色々と苦労しているんだろう。

 ただ、当のあたしは別に音楽で生きていくつもりはない。いや、正確に言えば、自分の実力では音楽で生きていくことなんてできないと分かっている。そのうち手放さなければいけないと。

 でも、今は楽しいから続けていきたかった。


「か、傘、返さなくていいです」


 いずれ訪れる音楽との別れから逃げるように、男の後ろを通り過ぎて行った。


 土砂降りの中、自分の身を多少犠牲に、楽器を必死に守って歩いた。これで風邪をひいてしまっては本末転倒だ。今日はすぐにお風呂に入って寝よう。


 背中に男の視線を感じながら、あたしは早歩きを続けた。

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